きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

自分の貧乏がまわりに見えないように必死で取り繕って生きている国

[3272]エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」で、国民政治を考える
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/

日本はますます貧乏になっている。

 

かつては中産階級だった者たちが、どんどん貧困層に落ちてる。

 

 

貧困層が増えて社会的な不満が高まったら、どこかで激発して、それで国民政治が変わる。

 

私はそれをじっと観察している。

 

だが、まだ簡単には今の自民党公明党の連立与党の政権は変わらない。

日本国は十分に貧乏なのに(もう30年も続くデフレ不況のせいで)、それでも各種の社会インフラは整っていて、都市には高層ビルが建って街はキレイで、電車もきとんと動いて、犯罪も少なくて安全な国だ。

 

国民の多くは貧乏だ。

 

ただし自分の貧乏がまわりに見えないように、皆、必死で取り繕(つくろ)って生きている。

 



一方で、相変わらずコロナとワクチンという、おかしな世界支配者たちが、上から日本にも強制している 共同幻想(マス・イルージョン mass illusion )に罹(かか)っている。

 

これの別名が、集団発狂状態だ。

 

静かで無自覚な、集団発狂状態の中で生きている。

 

多くの人は、このことを自覚しないで、自分はまとも(sane  正常、正気=しょうき=)だと思っている。 

日本は、コロナウイルスでの死者は、本当は60人ぐらいしかいない。

 

これには、去年の2月3日からの旅客船(クルーザー)の死者12人を含まない。 

 

あの「ダイヤモンド・プリンセス号」で、やってきた香港からの、感染者(保菌者)たちは本物で、日本にコロナウイルスを撒き散らすための突撃隊だった。 

 

あのときの、死者12人の外国人(香港人)たち のことを、日本の厚労省は、今でも必ず発表の時に末尾に「クルーザー船での死者12人を除く」と書く。

 

しつこいぐらいに書く。

このあと、子供たちにまで、ワクチンを打つ、という狂気の行動に出ようとしている。


これは、まさしく正気(sane セイン)ではない 発狂している(insane インセイン)行動だ。

 

自分が馬鹿だから、自分の判断で軽率にワクチンを打ってしまった大人たちは、もう、取り返しがつかない。

 

これから2年後に多くの死者(おそらく200万人ぐらい)が接種者の中から出るというのは本当だろう。

あれほど奇妙な高熱を出した人がたくさんいたのだから。

 

このことを自覚した人は、私のまわりにもたくさんいる。

 

「あ、自分は騙された。もう取り返しがつかない」と思ったようだ。

 

人間は、集団で発狂すると、こういう「自由からの逃走」をする。

だから子供たちを、ワクチンという生物化学兵器(バイオ・ケミカル・ウエポン)から守らなけばいけない。

 

コロナが目的だったのではない。

 

あれはヤラセの、おとり作戦(manueuver  マニューバー)だったのだ。

 

ワクチンが本当の兵器であり、目的だった。


今からでも日本はこれを防御、撃退しなければいけない。 

 

ボケっとして「自由から逃亡」している暇はない。

山本太郎が、「政権を変えさせてください」と言った。

 

このコトバが、私は妙に気になる。

 

政権、政治 とは「変えさせていただく」ものなのか。

 

「お願いですから、今の自民党の体制を変えさせてください」というコトバは奇妙だ。


そして自民党自身は、ブルブルと震(ふる)えながらも、「いいや、まだまだ、俺たち以外には、国の運営が出来る党はいない」から、「国民(の皆さま)にお願いします」 と言っている。

 

自分たちが権力者(権限者)なのに。

エーリッヒ・フロムというドイツ人の思想家がいて、「自由からの逃走」と言う本をもう80年前に書いて、それ以来、今も読まれている。

 

「人間(人類)は、自ら勝ち取ったはずの自由を、ある時、自らすすんで神経症(ニューロシス)に落ちいって、自ら自由を投げ捨てて、愚かな行動に走って、自由から逃亡する」と書いた。

フロムは、ドイツのナチス政権から逃れて、1934年に、アメリカに亡命した当時のドイツのユダヤ人の知識人の一人だ。

 

彼の家系は、多くの有名なユダヤ教のrabbi 祭司たちがいる。

 

だからアメリカで大いに受け入れられた。
  

彼が、自分が味わった、第2次大戦時代の愚かなヨーロッパでの戦乱を見つめながら、戦後世界に向かって、「なぜ人間は、ある時、集団で神経症に落ちて愚かな行動に走るのか」を問いかけた、今も読まれている本だ。

今日から総選挙が公示された。

 

昨日(18日)、9人の政党の党首が並んで、党首討論会を、日本記者クラブ主催でやったようだ。

 

私は見ていない。

 

党首たちが並んだその右端に、れいわ党の山本太郎 と 「NHKと裁判で争ってる・・何とか党」の立花孝(たちばなたかし)がニューズの画像には並んでいた。 

 

日本国民が、この2人を入れて、9大政党として認めているということだ。

私は、山本太郎が、何とかれいわ党の代表として、彼1人でいいから何とか東京の比例区1位で、受かってほしいと思っている。

 

れいわ党が、全国で200万票ぐらい取れれば、それだけでも日本は明るくなる。

 

彼が、国会の論戦で、自民党に挑みかかって、強烈な質問の漫才芸のような面白い政治をやってくれることを、政治好きの国民は思っている。

NHKをぶっこわす党の 立花孝は、その生来のあく(灰汁から来た語)の強さで、頑張り通して、NHKの経営陣 に赤恥を書かせ続けて、日本国の言論に風穴を開け続けてくればいいと、私は思っている。

何事も、政治は政治家になる資質(ししつ)と適性のある、強烈な個性をした者の、たった一人の闘いだ。

 

自分で前に進まないといけない。

 

自分の周りに集まってくる仲間たちを大事にしながら、彼らを調整する力がなければいけない。

 

そして、大きな国民政治の力からは、「自分も調整される」のだと思い知る。

世の中は、どこでも、集団活動がある限り、たとえSNSの ネット上の会話であっても、この非情の冷酷な法則が貫徹する。

 

どっちが上か、の 問題になる。

 

マウンティング という 言葉を、女たちが使い始めた。

 

マウンティング mounting とは、「自分の方があなたより上よ」という意味だ。 

きっと SNSの ツウイッターかフェイスブック での 仲間内での主導権争いの時に生まれたのだろう。

 

テレビ映像で皆が見た記憶のある、猿山のサルたちの生態観察から借用したコトバだ。

 

きっと女たちの 数十人の フォローワー集団にもそういう 政治力学の争いがある。

 

本当の英語の マウンティングの意味は、上に乗って性交、生殖行為 をする、という意味だ。

 

だから決して群れの序列を決めるための行動、という意味ではない。

 

それは、社会心理学という学問で使われるときに近い方だろう。

 

エーリッヒ・フロムは、この socio psychology (ソシオサイコロジー社会心理学)を大学で教え続けた学者だ。

山本太郎は、立憲民初頭の党首の枝野幸男 に 騙されて、東京8区(杉並区)からの立候補表明で、「野党共闘」の頂点(すなわち首相候補)に、いきなり立とうとして、失敗した。

 

枝野幸男が、「お前のようなやつは、こうしてやる」と策略に嵌(は)めた。

山本太郎は、元々の自分が持っている勢力だけで戦うしかないのだと、今回も思い知っただろう。

 

私も、このことを腹の底から知っている。

 

人生は、どんな人も、たった一人で闘いつづけるしかない。

 

そうしないと周りはなかなか認めない。

 

ちょっとやそっとのことでは、人は人の能力と努力を認めない。 

「応援しています。あなたを支持します」という、少し考えてみれば、奇妙なコトバを使う人たちを大事にして、周りに集めて自力で闘うしかない。

 

その結集軸になるしかない。 

エーリヒ・フロム Erich Fromm (1900-1980)は、‘ Escape from Freedom , 1941 ‘ 「エスケイプ・フラム・フリーダム」、 「自由からの逃走(逃亡)」 を書いた。 

 

イギリスでは、同じ本が、‘ The Fear of Freedom ,1941 ‘ 「ザ・フェア・オブ・フリーダム」、 「自由への恐れ」。 

 

「人間は自由であることを恐れる」として出版された。

 

第2次大戦の始まりの時だ。

このほかに、フロムは、「正常な社会」 ‘ The Sane Society ,1955 ‘ すなわち 「人間が何とか正気(sane セイン)を保つことが出来る社会」 と 「人間が持っている自己破壊衝動を解剖する」(1973年刊)’ The Anatomy of Human Destructiveness, 1973  ‘という本も書いている。 

 

この他に、' the Art of Loving ,1956 ' 「(人を)愛するということ(はどういうことか)」という本を書いて、世界的な ベストセラーになった。

次に載せる英文が、フロムの思想を理解する上で、重要だ。

・・・・Fromm's response, in both The Sane Society[21] and in The Anatomy of Human Destructiveness,[22] argues that Freud indeed deserves substantial credit for recognizing the central importance of the unconscious,
 but also that he tended to rectify his own concepts that depicted the self as the passive outcome of instinct and social control, with minimal volition or variability.     
 Fromm argues that later scholars such as Marcuse accepted these concepts as dogma, whereas social psychology requires a more dynamic theoretical and empirical approach.・・・・・・


この 英文の中の次の一行が重要だ。

Freud depicted the self as the passive outcome of instinct and social control.

 「フロイト・デピクテッド・ザ・セルフ・アズ・ザ・パッシヴ・アウトカム・オブ・インスティンクト・アンド・ソウシアル・コントロール

フロイトは、人間の自我(自己)を、本能(インスティンクト) と 社会統制(ソウシアル・コントロール)を受動的に受け入れる結果の産物である、と描いた」

と書いてある。

 

「人間は、自ら進んで、社会から命令される統制に従ってゆく生き物である」と書いている。

上の載せた英文の1章を、私が、わかり易く解説しながら、翻訳したら次のようになる。

 ・・・・ フロムの先生であった精神分析学の大家で、今でも人類の大思想家のひとりとされる、ジークムント・フロイトは、以下のように考えた。 

「人間が持つ 無意識(アンコンシャスネス unconsciousness )が、人間という生き物を考えるうえで一番重要である。このことを私ははずっと主張してきた。

人間が外界を認識するときに、この無意識を中心に置くことが、どうしても最も信用に値する」と。

フロイトは、「人間が持っている本能(インスティンクト)と、それと人間は自分が所属する社会から、あれこれの制御、支配を受ける。この社会からの制御(ソウシアル・コントロール)を、受け身になって必ず受容する。それこそが人間の自己(自我 the self エゴ ego )である」と、フロイトは人間を描いた。

人間は、社会や、政府(国家)が決めたことを守る。

 

従順に従う。

 

だから、今も、散々、煽られた(扇動された)コロナ・ウイルスの脅威(作られた、虚構の恐怖)は、終わったと、政府が、緊急事態宣言を10月1日から解除した。
 

それなのに、みんなマスクをしている。

 

誰が外し始めるかをきょろきょろと見まわしながらも、「自分は、政府と社会の言うこと(これが、social control 社会統制) をよく聞く、善良で立派な人間だ」ふりをして、生きている。

そして、その次に、コロナ騒ぎ(禍、「か」だと。笑い。「わざわい」だ)からの回復期に立ち直り給付金を、国民全員に10万円(多くの党)とか20万円(山本太郎)を貰いたがる。

 

消費税を下げろ、とか、スーパーやコンビニのプラスチック袋を無料にして、とかの、動きが、日本の国民政治の中心課題になる。

 

それが、今度の総選挙の焦点だ。

 

 

まったく言葉を失うほどの、柔らかい無意識の社会統制(ソウシアル・コントロール)だ。

エーリッヒ・フロムは、ヒトラーナチス政権に、真剣に、のめり込んでいった自分も属しているドイツ国民が、「自ら、大切な自由(Freiheit フライハイト、freedom フリーダム)をかなぐり捨てて、捨て去って、ナチスの統制のもとに自ら、入っていった。そして、たくさんの国民(1千万人ぐらい)が戦争で死んだ。周囲の国の国民もたくさん死んだ」と書いた。 

 

人間は、国家によって扇動されると、集団で神経症(ニューロシス neurosis ドイツ語で ノイローゼ )すなわち集団発狂状態に入って、「自由から逃走する」生き物だ、と。   

以下に、総選挙の始まりの新聞記事を2本載せます。

(転載貼り付け始め)

〇 れいわ山本太郎氏、衆院選比例東京ブロックから「仲間は理解」名簿1位で
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202110160000518.html
2021年10月16日17時43分 日刊スポーツ

衆院選を前にしてれいわ新撰組山本太郎代表が参議院議員会館前での緊急の囲み会見を開いた(撮影・寺沢卓)
れいわ新選組山本太郎代表は10月16日、東京・池袋で街頭演説を行い、19日公示の衆院選(31日投開票)の対応について、比例代表東京ブロックから出馬する考えを明らかにした。比例単独候補としての出馬で、選挙区への出馬は見合わせた。東京ブロックの比例名簿は1位という。

東京ブロックの比例名簿の順位を1位としたことについて、「国会が一番嫌がるミサイル撃ち込む必要あるでしょ」と話した。
2019年の参院選では、比例代表に出馬。比例特定枠を使い、同枠1位に難病のALS患者の舩後靖彦氏、2位に脳性まひで重度障がいがある木村英子氏を入れ、山本氏は3位に入って選挙を戦い、舩後氏と木村氏が当選していた。
れいわ新選組の中では理解を得ているといい「1番手で乗り込ませてくれということはれいわの仲間は理解してくれた」と語った。

山本氏は今月8日、いったん、国政初挑戦した2012年衆院選で出馬した東京8区への出馬を表明。しかし、野党間の候補者調整が完全に解決していなかったことから、地元の野党候補の支援者らが反発し、出馬を断念。あらためて対応を模索していた

〇 衆院選19日公示 党首論戦 自公継続か立共共闘か
 2021年10/18(月)    産経新聞
 第49回衆院選は19日公示され、31日の投開票に向け12日間の選挙戦が始まる。令和に改元後初の総選挙で、選挙区289、11ブロックの比例代表176の計465議席を争う。自民、公明両党による連立政権の継続か、立憲民主党共産党など野党勢力に政権を委ねるかが最大の焦点だ。新型コロナウイルス対策や経済政策などが主要な争点となる。公示を前に与野党9党の党首は18日、日本記者クラブ主催の討論会で論戦を交わした。

岸田文雄首相(自民党総裁)は自公の与党で過半数(233)の獲得を目標としている。立民、共産などは200超の選挙区で候補者を一本化し、事実上の与野党一騎打ちの構図を作った。
首相は18日の討論会で「経済、外交、安全保障、全ての分野で厳しい現実と向き合いながら責任ある理想を語っていく」と述べ、責任政党としての立場を強調した。新型コロナ対策をめぐり病床確保と大型の経済対策を講じる考えを示した。「成長と分配の好循環で所得を上げる」と重ねて語った一方で、消費税率や法人税率の引き上げには慎重姿勢を示した。

公明党山口那津男代表は「日本の未来を担う子供たちを全力で応援する」として、0歳から高校3年生まで1人当たり一律10万円相当の給付を行うよう主張した。
野党は経済や政治への姿勢をめぐり対決色を強めた。立民の枝野幸男代表は「支え合う社会を作る」と述べ、「(安倍晋三元首相の経済政策アベノミクスで)恩恵を受けた人に応分の負担をお願いし、所得を分配する」と説明。政権を獲得した場合の枠組みについては「基本的には単独政権だ」と語った。立民に協力する共産の志位和夫委員長は「安倍・菅義偉(よしひで)政権を引き継ぐ岸田政権には日本の政治を任せられない」と訴えた。

討論会には日本維新の会松井一郎代表、国民民主党玉木雄一郎代表、れいわ新選組山本太郎代表、社民党福島瑞穂党首、NHKと裁判してる党弁護士法72条違反での立花孝志党首も出席した。衆院選には18日現在、1040人超が立候補を予定している。


(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝 

 

 

枝野幸男氏は野党共闘を肯定すべし
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2021/10/post-0eea4e.html

衆院選が公示された。

10月31日の投票日まで2週間弱の選挙戦が展開される。

自公政治の打破が求められるが、そのためには基本政策を共有する野党勢力が連帯して対応することが必要不可欠。

共産党を含む野党共闘体制の構築こそ政権刷新のカギを握る。

ところが、残念なことに野党第一党立憲民主党代表の枝野幸男氏が野党共闘に否定的な発言を示している。

共闘する対象は国民民主党と連合であって、共産党社民党、れいわとは共闘しないと述べている。

総選挙直前のタイミングでこのような発言をすることは極めて残念なこと。

立憲民主党は党勢を拡大するために共産党の支援を必要としているのではないか。

選挙直前のタイミングで「共闘するのは国民民主党と連合で、共産党社民党、れいわとは共闘しない」と発言して野党共闘に弾みがつくとは考えられない。

日本政治刷新に向けて少し長い目で問題を捉える必要がある。

野党共闘を確立して政権を奪取するには立憲民主党の大改造が必要不可欠。

立憲民主党の党首交代も必要不可欠。


この点も視野に入れて総選挙に臨む必要がある。

総選挙を前に野党批判するのはどうかとの意見もある。

しかし、「どうか」の言葉で表現すべきは野党第一党の党首の姿勢であることを見落とすべきでない。

総選挙を前に、野党共闘の対象は国民民主党と連合であって、共産党社民党、れいわは共闘の対象ではないと発言する野党第一党の党首の姿勢を「どうか」と考えるべき。

この姿勢では、残念ながら政権奪取は困難だ。

オールジャパン平和と共生」=政策連合の活動を始めた2015年6月以降、一貫して政策を基軸にした連帯構築の必要性を主張してきた。

共産党とも基本政策を共有し得る。

平和主義の堅持

原発稼働ゼロ

共生の経済政策

の基本を共有して強固な野党共闘を構築するべきである。

この基本方針に背を向けているのが立憲民主党

立憲民主党がこの姿勢を押し通すなら日本政治刷新の道を切り拓くことは極めて困難。

長い目で見て政治刷新を実現するには立憲民主党の大刷新、あるいは、立憲民主党に代わる「たしかな野党」の構築が必要だ。

立憲民主党の枝野体制を温存することは政治刷新を遠ざけることにつながる可能性が高い。

この点まで洞察して衆院総選挙に臨むことが必要だ。

野党候補を一本化した選挙区については野党統一候補を支援する。

しかし、野党候補を一本化しなかった選挙区については正しい考え方で対応する必要がある。

重要なことは野党共闘に背を向けた立憲民主党に対して厳しい姿勢で臨むこと。

共産党と候補者が重複する選挙区が多いが、共産党候補を支援するのが正しい対応になるだろう。

実質的な任期満了選挙であり、対応する時間は無尽蔵にあった。

しかし、野党第一党立憲民主党は野党候補一本化に向けてリーダーシップを発揮してこなかった。

逆に共産党との共闘を攻撃する連合六産別の意向にばかり配慮し続けてきた。

立憲民主党は連合六産別の支配下に置かれている印象。

これまでに指摘してきていることだが、野党陣営の分断を指向し続けているのは米国の日本支配勢力だ。

日本の革新勢力が一枚岩で団結しないよう、分断するために1960年に民主社会党が創設された。

その民社党の支援母体とされたのが同盟

「連合六産別」は「同盟」の系譜に連なる大企業御用組合の連合体だ。

民社党の系譜にそのまま連なるのが現在の国民民主党

立憲民主党が連合および国民民主党と共闘するのであって共産党社民党、れいわとは共闘しないと明示する以上、立憲民主党に政治刷新を求める主権者の投票が集中するとは考えられない。

この現実を冷静に見つめることが重要だ。