きなこのブログ

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ウクライナで2014年の再現を狙うアメリカ 2 ~ウクライナ工作失敗の次~

ウクライナをロシア側に戻す?
https://tanakanews.com/220216ukraine.htm

バイデン米政権が、ロシア軍ウクライナ侵攻日として指定した2月16日の前日である2月15日、ロシア軍がウクライナ国境近くのロシア領内での軍事演習を終え、国境から遠くの常駐基地に向けて帰還し始めたと、露国防省が戦車部隊を貨車に積む帰還風景の動画もつけて発表した。

 

ロシアのこの発表は、米政府を嘲笑するためのものだろう。

 

緊張が緩和され、金相場が下落し、米国などの株が(実は無関係なQE残存資金の流入で)急騰した。

 

バイデン大統領は「露軍が本当に国境から退却したのかどうか確認できず、まだ露軍が侵攻する可能性は大きい」という趣旨を述べた。

 

バイデン政権やマスコミの信用失墜が加速している。

ロシア議会は2月15日、前回記事で紹介したウクライナのロシア系が多い東部2州(ドネツクとルガンスク。2つ合わせてドンバス地方)をウクライナから分離した独立国として認める決議を、おおむね予定通りに可決した。

 

土壇場の段階で、似たような決議案がもう一つ出された。最初の決議案は、2州の分離独立(とロシアへの併合)をブーチンに直接に具申するもので、2つ目の決議案は露外務省などロシア政府内で検討してもらってからプーチンに具申する案だ。

 

後者の方が2州の併合までの時間が長くかかるので、ウクライナ側の時間稼ぎに付き合ってやる感じだ。

 

どちらが可決されたのか、2種類の報道が流れているのでわかりにくいが、ロシアが2州を併合する手続きが動き出したのは確かだ。

 

議会が決議しても、プーチン大統領令を出さなければ2州の併合は起きない。 

ウクライナでも新たな大きな動きが始まっている。

 

最大のものは、バイデン政権の米国が2月16日露軍侵攻説に固執するあまり、ウクライナの首都キエフの米国大使館を完全に閉め、ウクライナにいる米国人全員に即時撤退・出国を要請したことだ。

 

最低限の連絡要員はキエフからポーランド国境近くのリボフに移ってウクライナ国内にいるが、その他のすべての米当局者はウクライナから出国した。

 

キエフの米大使館は、機密文書をすべて持ち出すか破壊・焼却し、大使館の通信施設やコンピューター類もすべて取り外して出国もしくは破壊した。

 

米政府は、キエフの米大使館の機能を壊してウクライナから総撤退した。

これは、ロシア軍がキエフに侵攻してきたら米大使館も占拠され米政府の大事な機密が仇敵ロシアの手に渡ってしまうので、それを阻止する目的で行われたが、実のところ、もしロシア軍がウクライナに侵攻したとしても、露軍が占領するのはロシア系住民がいて分離独立した東部2州だけだ。

 

ロシアがウクライナを侵攻する場合の目的は「併合してロシア領内になった2州に住むロシア人を守る邦人保護」だ。

 

東部2州はロシア国境から100キロ以内で、ウクライナのごくわずかな辺境部分でしかない。

 

2州から首都キエフまでは500キロ以上離れている。

 

露軍がキエフまで進軍してきて占領することはあり得ない。

 

それなのに米政府は、キエフなど東部2州以外のウクライナにも露軍が侵攻してくるかのような大間違いを喧伝してきた。

 

バイデンは、ウクライナに残る米国民は助けてやれなくなると述べた。

露軍が侵攻する場合の目的は「邦人保護」だ。

 

それなのに米欧日のマスコミはそう書かず、露軍が米欧NATOに対抗する帝国主義を発揮する目的でウクライナ全土を軍事占領しそうだと「解説」している。

 

この話は米当局・諜報界が流している意図的な大間違いであり、この大間違いに沿って米政府がキエフの大使館の機能をすべて壊し、米国の当局者・諜報員・国民のすべてをウクライナから出国させようとしている。

 

米国は、キエフの大使館のカギだけ閉めて出て行ったのでなく、大使館としての機能を全て破壊して出て行った。

 

米政府は、ありえない露軍キエフ占領を勝手に妄想し、その妄想に基づいて全く不必要な総撤退を敢行した。

 

ゼレンスキーがバイデンに「気は確かか?」と電話したのは当然だった。

 

いったん破壊した大使館の機能は、短期間で元に戻せない。

 

米国がウクライナに戻るとしても、復旧に何か月もかかる。

 

今回の米国のウクライナ撤退は、昨秋のアフガニスタン撤退とか、ベトナム戦争末期サイゴン陥落に似ている。

 

もう二度と戻ってこない感じの撤退だ。

 

今回の総撤退から感じ取れる「次に米大使館がウクライナに戻ってくる時期」は、今から数週間後とかでなく、早くて数カ月後、遅ければ数年後だ。

 

そういうイメージの撤退ぶりだ。

この件はとても重要だ。

 

なぜなら、2014年の「カラー革命(マイダン革命)」による政権転覆後のウクライナ政府は、米大使館を拠点にする米当局・諜報界の司令のもとに動いてきたからだ。

 

カラー革命の首謀者は米諜報界であり、キエフの米大使館は革命(政権転覆)の司令塔だった。

 

その後にできたポロシェンコや今のゼレンスキーの政権も、米大使館の司令で動いてきた。

 

 

米諜報界(米軍やCIAなど)は米大使館を拠点に、ウクライナナショナリストたち(主に右派)を扇動・組織・支援・訓練してロシア敵視の民兵団や政治活動家集団に育て、東部2州に送り込んでロシア系住民と内戦させてきた。

 

米諜報界はウクライナに自律的な組織網を作っていると考えられ、その組織は短期間なら米国側からの支援なしに活動できる。

 

だが、支援が何か月も絶たれると、もともと米傀儡の組織だっただけに弱くなってしまう。

 

いったん弱体化した傀儡組織の再建には時間がかかる。

米政府が米国民に総撤退を要請しても、実際に出国するのは表の要員と一般市民だけで、諜報界につながる裏の要員たちはウクライナに残る。

 

しかし彼らとて、表の司令塔であるキエフの米大使館が閉鎖されて何か月かたつと、力を失って死に体になる。

 

今回のように米国がウクライナから総撤退することは、2014年のカラー革命以来、米国がウクライナを支配してロシア敵視の内戦をやらせてきたすべて構造を放棄することにつながる。

 

だから米傀儡のゼレンスキーは米国に「ロシアは攻めてこないのに何してんだ??。出て行かないでくれ」と叫んでいる。 

米政府は自国勢だけでなく、英国やカナダ豪州といった英国系勢力(アングロサクソン諸国)に対し、ウクライナから総撤退するよう要請(事実上の命令)している。

 

英国系勢力はこれまで、米国が構築した諜報網に乗っかって、ときに自滅的(隠れ多極主義的)な米国勢がしでかしたことを復旧する覇権延命の作業をしてきた。

 

今回、米国だけが撤退して英国系の大使館などがウクライナに残っていると、米国が残置した地下的な諜報網を英国系が延命させ、英国系がウクライナのロシア敵視勢力を動かし続ける展開になりかねない。

 

米国はそれを阻止するため、アングロサクソンNATO諸国の全体をウクライナから撤退させた。

2014年以来ウクライナを支配してきた米国と英国系の諜報勢力が総撤退すると、その後のウクライナに何が残るか。

 

大混乱と内戦激化か??。

 

前回は私もそういうシナリオを感じていた。

 

だが、よく考えるとそうでない。

 

ウクライナには2014年よりはるかに前からあった、もう一つの支配筋があるからだ。

 

それは、ロシアからの支配筋、親露勢力のネットワークだ。

 

ウクライナはもともとソ連の一部であり、ロシアの支配下だった。

 

ソ連崩壊後、ロシアが劇的に弱くなり、その空白を埋める形で米英が入ってきてウクライナのロシア敵視を扇動した。

 

だがその後、テロ戦争やリーマン危機などの愚策で米国が自滅し、プーチンがロシアを再台頭させていく中で、米国側が先制的に挙行したウクライナ傀儡化策が2014年のカラー革命だった。

 

革命前のウクライナは親露的なヤヌコビッチ政権だった。 

あれから8年、米国側はコロナなどでさらに自滅し続け、中国との同盟関係を強化したプーチンのロシアがウクライナの東部2州を自国に併合するか、それともウクライナへの加圧を強めてミンスク合意を履行させるか、と思っていた矢先に、バイデンの米国が稚拙なロシア敵視を強めた挙げ句、勝手にウクライナから外交団を総撤退し、カラー革命以来の傀儡構造を自壊して出ていった。

 

カラー革命後、ウクライナの親露勢力は反逆罪などをかけられて弾圧されているが、何とか生き残っている。

 

プーチンやその傘下のロシア諜報界は、米英がいなくなって米英傀儡筋が弱体化していきそうな中、ウクライナの親露勢力を全力でテコ入れし始めているはずだ。

 

近年は、ウクライナ国民の4割が親欧米派で3割が親露派の感じだった。

英諜報界はロシアがウクライナの親露政治家のうちエウヘン・ムラエフ(Yevhen Murayev)を新たな指導者にして、反露的なゼレンスキー政権を転覆させる逆カラー革命をやろうとしている英米マスコミに書かせている(ということはつまり、事実でないかもしれないが 笑)。

 

米バイデン政権は、露軍キエフ占領の妄想に基づいてウクライナから政府要員を総撤退し、カラー革命以来ウクライナで構築した政治諜報の資産を自滅させ、その空白を埋める形でロシアがウクライナを再支配していく新たな逆カラー革命の流れを作ってしまった。

 

バイデン政権は、米国を自滅させてロシアを台頭させる隠れ多極主義策をやっている。

 

米英勢がいない状態が1-2年も続けば、ウクライナ政界の多数派はロシア側に戻る。

 

そうなったら、今の米覇権の低下ぶりから考えて米英による奪還は不可能だ。 

上記のシナリオでは、ウクライナの親露政治家たちが、反露的なゼレンスキー政権を選挙などで潰し、ウクライナを親米反露から親露側に再転換させる流れだが、それとは違うシナリオもあり得る。

 

それは、ゼレンスキー自身が保身のために反露から親露に転向する可能性だ。

 

これまでゼレンスキーを支えてきた米英諜報界は、今回の総撤退でウクライナから出ていってしまった。

 

取り残されたゼレンスキーは、座して死を待つのか?。

 

そうとは限らない。

 

うまく転向してロシアの傀儡になれれば、ゼレンスキーは権力を持ち続けられる。

 

米英側や、ウクライナ政界でまだ強いロシア敵視派をごまかしつつ、ゼレンスキーは目立たないようにロシアの要求を受け入れていく道を模索しているふしがある。

 

プーチンは最近、周辺国の敵方の傀儡指導者を自分の側に転向させる策略をカザフスタンでもやっている。 

ゼレンスキーの転向の試みと思えるものは、たとえば2月14日、ウクライナの駐英大使(Vadym Prystaiko)BBC放送などに対し「ロシアがものすごく嫌がって圧力をかけてくるので、ウクライナNATO加盟の希望を引っ込め、代わりに(欧州諸国などと)2国間の安全保障協定を個別に結んでいく道を模索するかも」という趣旨の発言をしたことだ。

 

これはまさにプーチンが求めている方向だ。

 

ウクライナがこの道を公式に採用したら、米露対立の理由の何割かが消える。

 

しかし、駐英大使のこの発言後、米英からウクライナ政府に対し、その方向性の採用をやめさせようとする強い圧力がかけられたらしく、ウクライナ政府は同日NATO加盟がウクライナの正式な希望です」と宣言し、駐英大使の発言を打ち消した。

 

駐英大使の発言は、ゼレンスキーが打ち上げた政治的な観測気球だった可能性がある。

 

 

東部2州との話し合いについても今後進展があり得る。

 

ウクライナ政府が2州と話し合って自治を再付与するのが、内戦の外交解決策として2014年に締結されたミンスク合意の中心だ。

 

ウクライナは2州との話し合いや自治付与をずっと拒否してきた。

 

ゼレンスキーは2019年の選挙で「私が当選したら東部2州と話し合って内戦を終わらせる」と公約し、内戦が膠着して人気が低下していた現職のポロシェンコを破って当選した。

 

だがゼレンスキーも就任後は、政界で強い好戦的な米英傀儡勢力の反対に阻まれ、これまで2州との交渉できなかった。

 

バイデン政権が起こしている最近の敵対扇動で東部での内戦が再燃し、それへの対策としてゼレンスキー政権は、2月11日にベルリンで行われた最新の交渉で「OSCEを経由して東部2州と間接交渉する形なら開始しても良い」と言い出し、少し譲歩した。

そしてバイデンが2月16日露軍侵攻説を言い出してキエフの米大使館を自壊的に閉鎖し、ゼレンスキーが米国の後ろ盾を失っていく道が突然見え始めた後、急いでミンスク合意の交渉を再開したいとゼレンスキーが言い出した(それまで、ミンスク合意の次回の交渉予定は3月だった)。

 

表向きは、露軍がウクライナを本当に侵攻するのかどうかロシアに問いただす会合をゼレンスキーが要請したことになっているが、予定されている会合の本質はそうでなく、ロシアが2州を併合するのを避けるためと、自分の政権を維持するため、ゼレンスキーがロシアが望む2州との交渉を開始する流れについてロシア側と話し合うことになっている可能性がある。

 

このへんは確定的でない。

 

何も起こらないかもしれない。

これらの新事態は、バイデン政権が米国や英国系をウクライナから総撤退した結果として起きているが、米国や英国系が今後もずっとウクライナから総撤退した状態を続けるかどうか、難しい点もある。

 

このままロシアが東部2州を併合せず、よって露軍がウクライナに侵攻しなければ、ウクライナ周辺の緊張が再び緩和されていき、バイデン政権が勝手に妄想してウクライナから西側外交官を総撤退させる「大間違い」をやったことが確定し、米国は大使館や諜報要員たちをキエフに戻さねばならなくなる。

 

英国系もウクライナに戻っていく。

 

そうなると、米英が自滅的にウクライナから出ていきロシアがウクライナを親露側に再転覆し、2州に自治が再付与されて問題が解決するという隠れ多極主義的な展開が進まなくなる。

ウクライナをめぐる緊張が極限状態で維持されないと、米英勢がウクライナから出ていった現状が維持されない。

 

そのため、バイデン政権は今後もウクライナをめぐる米露の緊張を高め続け、今にも露軍がウクライナに侵攻しそうな状況を維持するのでないか。

 

また、近いうちにプーチンが2州のウクライナからの独立を承認し、2州か望むロシアへの併合に同意する大統領令を出し、邦人保護のために露軍が2州に移動(侵攻)する可能性も依然として強い

 

露軍が2州(米欧から見るとウクライナ東部)を占領したら、バイデンら米国は露軍キエフ侵攻説を叫び続けられ、米英の外交官や諜報要員を永久にウクライナから撤退させておける。

 

ロシアはSWIFTから追放されて非米諸国経済の非ドル化が急進し、中露の結束が格段に強まり、多極化が加速する。

 

これはプーチンにとって好都合だ。

 

米露は裏で組んで敵対を扇動している。

 

私は、昨日今日の緊張緩和を見ても依然として、近いうちにプーチンが2州併合に踏み切るのでないかと邪推している。 



米政府は2月15日、ウクライナだけでなくベラルーシからもすべての米国人を出国させることにした。

 

ベラルーシの当局が、米国人に言いがかりをつけて不当に逮捕拘束する可能性が強まっているからだという。

 

ベラルーシの独裁的なルカシェンコ大統領は親露派であり、以前から米英諜報界がベラルーシの野党など反政府勢力をテコ入れして政権転覆させようとして失敗してきた。

 

米国勢が総撤退すると、米傀儡勢力である野党や反政府勢力が弱まり、ベラルーシがロシアの傘下に入る傾向が強まる。

 

ロシアの台頭が加速する。

 

 

 

ウクライナ政府を無視してアメリカやイギリスの政府や有力メディアは軍事的な緊張を高めていたが、アメリカ政府の思惑通りには進まず、事態は沈静化しつつあるようだ。

軍事的な緊張の高まりに合わせてロシアはウクライナとの国境近くに部隊を移動させ、クリミアを守るように約30隻の艦船を地中海から黒海へ入れたが、地上の一部部隊が基地へ戻り始めたという。

その一方、地中海へはバルチック艦隊や北方艦隊から艦船が入ったと伝えられている。

 

地中海の東側にあるシリアではイスラエル軍機によるダマスカスへの攻撃が続いていたが、ロシア軍はそのシリアで軍事演習を実施するようだ。

 

艦船が集結しているほか、2月15日にはTu-22M3戦略爆撃機とミグ31K戦闘機がシリアのフメイミム空軍基地に到着した。



シリアは2011年3月からアメリカを中心とする勢力の侵略を受けてきた。

 

その手先はムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とする戦闘員で、アル・カイダ武装集団やダーイッシュ(ISIS、ISIL、IS、イスラム国などとも表記)という形をとっている。

バラク・オバマ大統領が2010年8月にPSD-11を承認、アラブの春を始めたと言われているが、シリアに対する侵略戦争もその一環。

 

ムスリム同胞団やサラフィ主義者を傭兵として使うという戦術はオバマの師にあたるズビグネフ・ブレジンスキーが1970年代に始めたものだ。

 

シリアもリビアも「内戦」ではなかった。

アル・カイダ」の象徴的な存在だったオサマ・ビン・ラディンアメリカ海軍の特殊部隊「NSWDG(通称DEVGRU、またはSEALチーム6)」に殺されたとされているのは2011年5月。

 

リビアでの作戦が開始されてから3カ月後のことだ。

 

死体は空母カールビンソンから海に葬られたとされているので、誰も死体を確認できない。

 

これによって「アル・カイダ」の象徴は消えた。

​2014年に自分がオサマ・ビン・ラディンを射殺したと主張する人物が現れた​。

 

ロブ・オニールと名乗るその人物はチーム6の元メンバーだというが、ビン・ラディン殺害の3カ月後、チーム6のメンバー20名がアフガニスタンで死亡したとAPが伝えている。

オサマ・ビン・ラディンを有名にしたのは2001年9月11日の出来事。

 

ニューヨークの世界貿易センターバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃されたのだが、詳しい調査をする前にジョージ・W・ブッシュ大統領はアル・カイダ」の犯行だと断定、その象徴としてオサマ・ビン・ラディンが「テロの象徴」として使われるようになった。



そのオサマ・ビン・ラディンは2001年当時、肉体的に戦闘を指揮できる状態ではなかった。

 

フランスのル・フィガロ紙によると、2001年7月4日から14日にかけて彼はドバイのアメリカン病院に入院している。

 

彼は腎臓病を患い、人工透析を必要としていたというのだ。

ドバイの病院でビン・ラディンを治療していたのはアメリカ人医師のテリー・キャラウェイで、入院中にサウジアラビアのトゥルキ・アル・ファイサル総合情報庁長官やCIAエージェントのラリー・ミッチェルが見舞っている。

CBSニュースは2002年1月28日、パキスタンの情報機関(ISI)の情報として、ビン・ラディンは2001年9月10日にパキスタンのラワルピンディにある軍の病院へ入院、透析を受けたとする情報があると伝えている。

そして、ジャーナリストのティエリー・メッソンによると、オサマ・ビン・ラディンは2001年12月15日に死亡、アフガニスタンで行われた葬儀にはイギリスの情報機関MI6の代表が参列したという。

何が事実なのかは不明だが、それはともかく、リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制は2011年10月に倒される。

 

その際に地上部隊の主力がアル・カイダだということが判明した。

 

空からNATOが攻撃、アル・カイダ武装集団を支援したといことだ。

 

情報機関はカダフィの動きを追跡、地上部隊へ知らせていたという。

カダフィ体制が崩壊した後、アル・カイダ武装集団の戦闘員と武器/兵器をアメリカ政府はシリアへ移動させるが、その拠点はベンガジアメリカ領事館

 

その領事館が2012年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス大使が殺されている。

シリアへ運ばれた戦闘員や武器/兵器は反政府軍へ流れる。

 

その事実を否定できないオバマ大統領は「穏健派」への支援だと強弁するが、​それが事実に反することを明らかにする報告書をアメリカ軍の情報機関DIAが2018年8月にホワイトハウスへ提出​している。

その報告書の中で、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになると警告しているが、その警告は2014年にダーイッシュという形で現実になった

 

シリアで政府軍と戦っているアル・ヌスラはアル・カイダ武装集団のAQI(イラクアル・カイダ)と同じだともしている。

その構図が2015年9月末に崩れる。

 

ロシア政府がシリア政府の要請で軍事介入、アル・カイダ武装集団やダーイッシュの支配地域は急速に縮小していく。

 

介入の背景にはオバマ大統領の動きがあった。

 

2月に国防長官がチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、9月には統合参謀本部議長がマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代しているのだ。

 

戦争に慎重な人物から好戦的な人物へ入れ替えたのである。

デンプシーは2015年9月25日に議長から退くが、その5日後にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入した。

 

その後、ロシア軍は兵器と戦闘能力の優秀さを世界へ見せつけることになる。

ジハード傭兵の敗走を受け、アメリカはクルドを新たな手先にするのだが、それが一因になってクルドを敵視しているトルコが離反する。

 

戦争の長期化で経済が悪化したことも大きな理由だ。

その後、ジハード傭兵の幹部はアメリカの軍や情報機関が救出、アフガニスタンなどへ運んだとされている。

 

そのアフガニスタンからアメリカ軍が撤退することになると、戦闘員は中央アジアへ移動したとも言われていた。

 

一部は新疆ウイグル自治区へ入った可能性がある。

中央アジアはロシアと中国に接し、新疆ウイグル自治区と同じように中国が進める「一帯一路」が通過する。

 

戦略上、重要な場所にあると言えるだろう。

国防総省系のシンクタンク「RAND研究所」が2019年に出した報告書には、ウクライナ武装強化、シリアのジハード傭兵への支援強化、ベラルーシの体制転覆、アルメニアアゼルバイジャン(南カフカス)の緊張を煽るといったことなどが書かれている。

実際、アメリカはウクライナネオ・ナチなどの武装勢力に武器/兵器を提供、軍事訓練を行なってきた。

 

ジハード傭兵がシリアから撤退する際、「スリーパー」を残したようで、今後、破壊活動を始める可能性が高い。

 

ベラルーシの体制転覆工作や南カフカスでの緊張はあった。

カザフスタンでのクーデターが成功したり、ウクライナアメリカに逆らい始めたボロディミル・ゼレンスキー大統領を排除できたならウクライナ情勢は変わったかもしれないが、そうした展開にはならなかった。

 

今後、ジョー・バイデン政権はシリアに対する攻撃を強める可能性がある。

 

それを見越してロシアは動いているようだ。