外交的解決を拒否、軍事的解決を目指す米英に見切りをつけた露が警告通りに行動
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202250001/
ロシア軍がチェルノブイリ原発を制圧したと伝えられている。
https://twitter.com/TadeuszGiczan/status/1496905910404460547?cxt=HHwWhsC5vdP_icYpAAAA
攻撃されない場所を拠点にするためだとする人もいるが、現在の状況はロシア軍が圧倒している。
ロシア軍によると、ウクライナ軍の軍事施設74カ所をミサイルで破壊、ボロディミル・ゼレンスキー大統領はウクライナが孤立していると訴えていると伝えられている。
ウクライナの一部勢力が原発を「ドゥームズデイ・マシーン」として使う、つまり放射性物質を環境中へ撒き散らすことを防ぐ、あるいは撒き散らすと脅すことを防ぐ意味もあるだろう。
ロシアのウラジミル・プーチン政権が軍事作戦の実行を決断したのはアメリカのウェンディ・シャーマン国務副長官とロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官がジュネーブで安全保障問題について話し合った1月10日の後だろう。
プーチン政権はアメリカ/NATOに対し、ウクライナをNATOへ加盟させず、モスクワを攻撃するシステムをロシアの隣国に配備しないように求めているほか、ロシアとの国境近くで軍事演習を行わず、NATOの艦船や航空機をロシアへ近づけないようにとも言っている。
さらに定期的な軍同士の話し合いを実施、ヨーロッパへ中距離核ミサイルを配備しないことも要求。
そして、それらを保証する文書を作成するように求めている。
こうしたロシア政府の要求をアメリカ政府は拒否、リャブコフ次官は交渉が袋小路に入り込んだと表現した。
双方の問題への取り組み方が違い、交渉を再開する理由が見つからないともしている。
この段階でロシアはアメリカ/NATOとの交渉に見切りをつけたと見られたが、その後も会談は続いた。
シャーマンとリャブコフが会談する直前、1月2日にカザフスタンの旧首都アルマトイで暴力的な反政府活動が始まり、暴動へエスカレートする。
救急車やパトカーが放火されるだけでなく、市庁舎も放火される事態になった。
この地区では非常事態が宣言され、夜間外出禁止令が出されている。
その際、カシムジョマルト・トカエフ大統領は外国が介入していると非難、CSTO(集団安全保障条約)に平和維持部隊を派遣するように求め、認められた。
CSTOの動きは迅速で、短時間に暴動を沈静化させることに成功、撤退していった。
なお、CSTOの加盟国はカザフスタンのほか、アルメニア、ベラルーシ、キルギスタン、ロシア、タジキスタンが含まれている。
何者かがクーデターを目論んだと見られているが、失敗に終わった。
1月6日にはカザフスタンの安全保障会議で議長を務めていたカリム・マシモフが解任され、反逆罪で逮捕されたと伝えられている。
未確認情報として、ヌルスルタン・ナザルバエフ前大統領の甥も反逆罪で拘束されたともいう。
1月10日には取り調べを受けていた治安当局の大佐が飛び降り自殺、やはり捜査の対象になっていたジャンブール州の警察署長も自殺したと伝えられている。
暴動の背後には大きな組織、あるいは国が存在していた可能性がありそうだ。
カザフスタンでトカエフ政権が倒され、親米政権が誕生していたならシャーマンとリャブコフの会談でアメリカは優位に立てただろう。
その後、1月14日にホワイトハウスの報道官を務めているジェン・サキはロシア政府がウクライナの東部地区、つまりドンバス(ドネツクやルガンスク)の周辺で「偽旗作戦」を行おうとしているとする情報があると発言したが、ウクライナで戦争の準備を進め、挑発的な行為を続けてきたのはアメリカにほかならない。
これは本ブログでも繰り返し書いてきたことだ。
昨年11月にアントニー・ブリンケン国務長官がロシアを恫喝、ロード・オースチン国防長官はウクライナを訪問。
この月にはネオ・ナチの一派である「右派セクター」を率いるドミトロ・ヤロシュを参謀長の顧問に就任させたと伝えられている。
ウクライナの親衛隊はヤロシュの部下がコントロールしている。
そして11月30日にプーチン大統領はNATOがウクライナの「レッド・ライン」を超えたなら、ロシアは行動せざるを得ないと警告した。
https://www.reuters.com/markets/stocks/putin-warns-russia-will-act-if-nato-crosses-its-red-lines-ukraine-2021-11-30/
ウクライナに超音速ミサイルが配備されたなら、5分でモスクワへ到達すると指摘、そうしたことは容認できないとしたわけだ。
その後、プーチンはロシアにも自衛の権利があると発言している。
昨年12月にはアメリカ軍の偵察機が黒海の上空を何度も飛行、民間航空機の飛行ルートを横切るなどロシアに対する脅しを繰り返し、ウクライナ軍はアメリカ製の兵器を誇示してロシアを挑発した。
そして12月の終わりにバイデン政権はウクライナに対する2億ドルの追加支援を承認する。
そしてカザフスタンのクーデター未遂だ。
アメリカやNATOは1月7日にロシアが設定した「レッド・ライン」を拒否、1月13日にジェイク・サリバン国家安全保障補佐官はロシアがウクライナへ軍事侵攻する可能性が高いと発言する。
それに対し、1月24日にウクライナの国防大臣がロシアの軍事侵攻は迫っていないと発言、26日には外務大臣がロシアはいつでも攻撃できるとした上で、全面侵攻する準備はしていないと語った。
有力メディアの「予定稿」にどう書いてあったか不明だが、ロシアの攻撃を全面侵攻と言うことはできない。
ゼレンスキー大統領は、軍事侵攻が迫っているとする警告はウクライナ経済を危険な状態にしているとしていた。
クリミアを含むロシア南部で演習していた部隊が所属基地へ戻り始めたと2月15日に伝えられたが、2月17日にはウクライナ軍によるドンバス(ドネツクやルガンスク)へのミサイル攻撃が激しくなり、学校も標的になっていたことが現地での取材で判明している。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202200000/
そこでドンバスの住民はロシアへ避難したという。
2月18日にウクライナ国家安全保障国防会議の議長を務めるオレクシー・ダニロフは「ドンバス解放」の命令は出ていないと発言しているが、攻撃は始まっていた。
ロシアはウクライナの軍や親衛隊への命令がNATOの司令部から出ていると考えているようだ。
そして2月21日、プーチン大統領はドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認、ウクライナに対し、クリミアとセバストポリがロシア領だと認めること、次にウクライナはNATO加盟を断念すること、第3にルガンスクと入植について話し合うこと、最後にウクライナは非武装化(攻撃的な軍事施設や兵器を持たない)して中立を宣言することを求めた。
バラク・オバマ時代からロシアとの軍事的な緊張を煽ってきたアメリカ/NATOだが、今のところロシアとの軍事的な衝突は避けている。
アメリカ軍の上層部がロシア軍との軍事衝突を認めないだろうが、結果としてウクライナは孤立した。
こうした状況を作ったアメリカの好戦派(いわゆるチキン・ホーク)を世界の人びとは見ている。
ウクライナ大統領がロシア大統領に交渉を要請
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ウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に対して交渉の席に着くことを求めている。
ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は交渉の用意があるとしたものの、武装勢力が武器を置くことを条件にした。
今回の軍事作戦でロシア政府が最も重要視しているのはネオ・ナチの排除だろう。
アメリカの支配層は1930年代からナチスをはじめとするファシスト、第2次世界大戦の終盤からはマフィア、1970年代からはイスラム系のカルトとも言うべきワッハーブ派やムスリム同胞団、あるいは麻薬業者や少数民族を手先として利用してきた。
第2次世界大戦後、アメリカはナチスの幹部や協力者の逃亡を助け、保護し、場合によっては利用してきた。
保護する傍らでさまざまな訓練を行い、ソ連が消滅した後には出身国、あるいは親の出身国へ送り返してアメリカの工作に使っている。
ウクライナのネオ・ナチはステファン・バンデラの信奉者で、OUN・B(ウクライナ民族主義者機構バンデラ派)の系譜に連なる。
この一派はOUNの中でも反ロシア色が濃いグループで、そのリーダーがバンデラだった。
このOUN・Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇うが、その一方でドイツが資金を提供、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入る。
OUN・Bは、いわばMI6とゲシュタポのハイブリッドだ。
1943年の春にOUN・BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動を始め、その年の11月に「反ボルシェビキ戦線」を設立。
大戦後の1946年4月に反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)になる。
ABNは中央ヨーロッパをカトリックで支配しようというインターマリウム構想の勢力と連合、バンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコが指揮するようになる。
1948年にアメリカでは極秘のテロ組織OPCが設立され、アルバニア対する工作を最初に行うが、この極秘組織とステツコたちは連携する。
この情報はソ連のスパイだったMI6のキム・フィルビーからソ連側へ伝えられていた。
(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)
東アジアでは1954年にAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)が組織されるが、このAPACLとABNは1966年に合体してWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)になる。
この組織がCIAと緊密な関係にあったことは広く知られている。
(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986)
ウクライナのネオ・ナチを率いているひとり、「右派セクター」のドミトロ・ヤロシュは昨年11月から参謀長の顧問を務めているが、この人物は2007年頃からNATOの秘密部隊ネットワークに参加していると言われ、西側の有力メディアが売り出している「アゾフ大隊(またはアゾフ連隊)」を率いている人物はヤロシュの部下だ。
現在のウクライナ体制はアメリカを後ろ盾とする暴力的なクーデターにより、選挙で選ばれた政権を倒して築かれた。
そのクーデターの主体がネオ・ナチなのだが、それを認める人間はナチズムを支持していることになる。
クーデターの際、キエフで治安部隊だけでなく市民をネオ・ナチが虐殺していたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。
クーデターで排除されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領の支持基盤である東部や南部でも住民が惨殺されている。
ドンバス(ドネツクやルガンスク)は東部、クリミアやオデッサは南部にある。
ネオ・ナチによるオデッサでの住民虐殺は凄惨なものだが、西側では大きな問題になってこなかった。
そうした状況がロシアの軍事作戦で変わる可能性がある。
ウクライナ大統領がロシアに停戦交渉を要請したが、その後、交渉を拒否と発表
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ウラジミル・プーチン露大統領はアメリカ/NATOに対し、ロシアの安全を文書で保証するように求めてきたが、アメリカのジョー・バイデン大統領、アントニー・ブリンケン国務長官、EUのジョセップ・ボレル外務安全保障政策上級代表、あるいはNATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長などはプーチンに対して唾を吐きかけてきた。
そこで警告通り、ロシア政府は自らの手で自らの安全を確保することにしたわけである。
2月21日にプーチン大統領はドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認、ドンバスで「特殊軍事作戦」を実施すると発表した。
プーチンがウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領に求めているのは4点。
クリミアとセバストポリがロシア領だと認めること、ウクライナはNATOへの加盟を断念すること、ルガンスクと入植について話し合うこと、そしてウクライナは非武装化(攻撃的な軍事施設や兵器を持たない)して中立を宣言することだ。
西側では「ゼレンスキー大統領の排除」をロシア軍は目指していると宣伝しているが、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)の一掃が大きな目的だと見られている。
ゼレンスキー大統領は2月24日にウクライナが孤立していると発言した。
これまでウクライナを利用してロシアを挑発、恫喝してきたアメリカ/NATOは隠れてしまい、ウクライナが取り残されたということだ。
2月25日にゼレンスキーはロシア政府に対し、中立化について話し合う用意があると発言、イスラエルに仲介を依頼したという。
ロシア政府は代表団をベラルーシのミンスクへ派遣する用意があると答えている。
これに対し、アメリカ政府はロシアとの外交関係を断絶した。
通常、これは戦争へ向かうことを意味する。
2月26日にゼレンスキー大統領のミハイル・ポドリャク顧問は交渉を拒否しすると発言したが、これはアメリカやネオ・ナチの意向だろう。
アメリカ側の反応を見ると、ロシアの反応が想定を超えていたように思える。
イスラエルやアメリカを後ろ盾とするジョージアが2008年8月に南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で惨敗しているが、せいぜいその時の攻撃止まりと考えていたのかもしれない。
おとなしくしていた「熊」を「鷲」が挑発、その「熊」が立ち上がったので「鷲」は驚いたといったところだろう。
いや、「鷲」ではなくある種の「鷹」と言うべきかもしれない。
こうした流れの中、アメリカ政府はゼレンスキーに対して「避難」させると提案、ゼレンスキーはキエフからルボフへ飛行機で向かったと伝えられている。
ゼレンスキーを手元に置き、ウクライナを混乱へと導くつもりかもしれない。
アメリカ政府は軍を使い、フィリピンの大統領だったフェルディナンド・マルコスを1986年2月に拉致し、国外へ連れ出した。
亡命したわけではない。
この作戦を指揮したのはネオコンの大物として知られているポール・ウォルフォウィッツだったと言われている。
マルコスに限らず拉致して幽閉するということをアメリカは行うことがある。
ロシア政府とウクライナ政府の交渉は当面、難しそうだ。
いずれにしろ、ロシア側はネオ・ナチの排除を放棄するとは思えないが、このネオ・ナチに反発しているウクライナ国民は少なくない。
この目的が達成でき、ウクライナがアメリカ/NATOの軍事的な支配地になることを阻止できるなら合意は可能だろう。
プーチン大統領がドンバスの独立を承認する直前、2月17日頃からウクライナの軍、あるいは親衛隊からのミサイル攻撃が激しくなり、住民がロシアへ避難していると伝えられている。
その後、攻撃はエスカレートするが、ウクライナ国家安全保障国防会議のオレクシー・ダニロフ議長は軍に「ドンバス解放」を命令していないと発言、オレクシー・レズニコフ国防相はロシアと大規模な軍事衝突に発展する可能性は小さいと語っていた。
https://www.reuters.com/world/europe/ukraine-estimates-probability-major-escalation-with-russia-low-defence-minister-2022-02-18/
しかしドンバスに対する攻撃が激しくなっていたことは事実。
ロシア側はこの攻撃の命令がNATOから出ていると考えていたようだ。
NATOを後ろ盾とする親衛隊がドンバスへの何らかの軍事作戦を始めようとしていたなら、ロシアとの国境近くにネオ・ナチの戦闘員が集中し、アメリカやイギリスの特殊部隊や傭兵もいた可能性がある。
つまりネオ・ナチを排除するためには好都合だと言えるだろう。
ロシア軍とNATOの秘密部隊ネットワークの戦いという様相を呈してきた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202270001/
アメリカにジョー・バイデン政権が誕生したのは2021年1月。
それ以来、アメリカ/NATOはウクライナへ武器/兵器を含む軍事物資を運び込む一方、ウクライナ周辺で軍事的な挑発を繰り返してきたことは本ブログでも繰り返し書いてきたが、その一方でCIAが2015年からネオ・ナチに対する軍事訓練を行っていたとも伝えられている。
それに対し、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は2月21日にドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認、ドンバスにおける「特殊軍事作戦」を実施すると発表した。
その後の展開を見ると、アメリカが作り上げた、より正確に言うならCIAが組織したネオ・ナチを主体とする親衛隊がロシア軍と戦っているようだ。
ウクライナにおけるネオ・ナチのリーダー、ドミトロ・ヤロシュは昨年11月から参謀長の顧問を務めていると伝えられている。
ヤロシュが率いる「右派セクター」は2014年2月のクーデターで住民に対し、特に残虐な行為をしていた。
ヤロシュは2007年頃からNATOの秘密部隊ネットワークに参加しているとも言われ、西側の有力メディアが売り出している「アゾフ大隊(またはアゾフ連隊)」を率いている人物はヤロシュの部下。
つまりウクライナにおける戦闘の背後にはNATOの秘密部隊ネットワークが存在している可能性が高い。
外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」に掲載されたダグラス・ロンドンの記事によると、ロシアが東部や南部での軍事作戦で終わらせようと考えてもウクライナ側が戦闘をやめないとしている。
https://www.foreignaffairs.com/print/node/1128587
ウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領は2月24日にウクライナが孤立していると発言、25日にはロシア政府と中立化について話し合う用意があると発言、ロシア政府は代表団をベラルーシのミンスクへ派遣する用意があると応じた。
こうした動きはアメリカ側の作戦を揺るがすことになる。
26日にゼレンスキー大統領のミハイル・ポドリャク顧問が交渉を拒否しすると発言したが、これはアメリカやネオ・ナチの意向だろう。
アメリカ政府はゼレンスキーに対して「避難」させると提案、ゼレンスキーはキエフからルボフへ飛行機で向かったと伝えられているが、拉致だったとしても驚かない。
バラク・オバマ大統領の命令で2015年からCIAの「グラウンド・ブランチ(現在はグラウンド・デパートメント)」がウクライナ軍の特殊部隊員などをアメリカの南部などで秘密裏に訓練しているとする情報も伝えられている。
https://news.yahoo.com/cia-trained-ukrainian-paramilitaries-may-take-central-role-if-russia-invades-185258008.html
ウクライナでアメリカ政府がネオ・ナチを使ったクーデターを成功させたものの、クリミアとドンバス(ドネツクやルガンスク)の制圧に失敗したことから始められたという。
つまり目的はクリミアやドンバスの制圧だ。
ダグラス・ロンドンはCIAの秘密工作部門に所属していたというが、この部門の歴史は第2次世界大戦の終盤までさかのぼることができる。
第2次世界大戦においてヨーロッパでドイツと戦った国は事実上、ソ連だけである。
ドイツ軍は1941年6月にソ連へ向かって軍事侵攻を始める。
バルバロッサ作戦だが、この作戦に投入した戦力は約310万人。
西側には約90万人を残すだけだった。
これだけ西側を手薄にする行為は非常識といえるが、軍の意見を無視して命令したのはアドルフ・ヒトラーだった。
ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達、10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていた。
ところが年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北、8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北し、1943年1月に降伏。
この段階でドイツの敗北は決定的になった。
慌てたイギリスやアメリカはすぐに善後策を協議、1943年7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。
サンライズ作戦だ。
その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。
ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。
ダレスはアメリカの戦時情報機関OSSの幹部だったが、ウォール街の大物弁護士でもあった。
ナチスを資金面から支えていたのはウォール街やシティ、つまりアメリカやイギリスの巨大金融資本である。
例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどがそうしたパイプだった。
ウォール街とファシストとの関係を明らかにする出来事が1933年から34年にかけてアメリカで引き起こされている。
ウォール街の傀儡だったハーバート・フーバーが1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北、ウォール街は在郷軍人会を利用してクーデターを行おうと計画したのだ。
計画の中心的な存在だったJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えていたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかける。
このバトラーは憲法を遵守するタイプの人物だったため、計画内容を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言し、議会で詳細を明らかにしている。
その証言は議会の公式記録として残っているので、誰でも確認できる。
大戦中、西ヨーロッパで誰もドイツ軍と戦わなかったわけではない。
そのレジスタンス対策として大戦の終盤にアメリカやイギリスの情報機関はゲリラ戦部隊を編成した。
それが「ジェドバラ」だ。
戦争が終わった後、その部隊を基盤にしてアメリカでは特殊部隊や極秘の破壊工作部隊OPCが組織され、OPCが核になってCIAの秘密工作部門は編成された。
その一方、ヨーロッパでもアメリカやイギリスの情報機関人脈が秘密部隊を組織している。
1949年に北大西洋条約が締結されてNATOが登場すると、秘密部隊はNATOへ入り込みむ。
1957年からはCPC(秘密計画委員会)の下部組織ACC(連合軍秘密委員会)を通じてアメリカやイギリスの情報機関がNATOの秘密部隊ネットワークを操っているともいう。
全てのNATO加盟国に秘密部隊は設置されているが、イタリアのグラディオは特に有名だ。
1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返していた。
左翼勢力に対する信頼をなくさせ、社会不安を高めて治安体制を強化することが狙いだ。
そのかん、クーデターも計画している。
こうしたNATOの秘密部隊ネットワークにドミトロ・ヤロシュは組み込まれている可能性がある。
2014年のクーデター当時、ポーランドで伝えられていた情報によると、クーデターの主体になったネオ・ナチは2004年からバルト3国にあるNATOの訓練施設で軍事訓練を受けていたという。
2013年9月にはポーランド外務省がクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたり、暴動の訓練を受けたとも伝えられている。
ネオ・ナチのグループにはシリアやチェチェンでの実戦経験のある人物も含まれていた。
今後、アメリカ/NATOはウクライナの親衛隊へ武器や資金を供給、特殊部隊や傭兵も送り込み、ロシアを泥沼へと引きずりこもうと考えているだろうが、これはロシアも想定していたはずだ。
それでも軍事作戦を決断しなければならない状況にあったと言うことだろう。
少なくともプーチン政権はそう判断した。