きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

アメリカは暴力的なクーデターを「民主主義」と呼ぶ

 

米国が軍事支援する理由は自分たちのターゲットと戦わせるため
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202208130000/

アメリカ/NATOウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権に対し、軍事支援を続けている。

 

言うまでもなくロシアと戦わせるためだ。

 

その戦闘が始まる切っ掛けは2013年11月から14年2月にかけてバラク・オバマ政権がキエフで実行したクーデター

 

その実行部隊はNATOの軍事訓練を受けたネオ・ナチだった。

ロシア軍がウクライナに対する攻撃を始めた今年2月24日以降、ウクライナ中央銀行は124億ドル相当の金を売却したというが、その金塊の一部は兵器に化けているだろう。

 

アメリカが基軸通貨ドルを発行する特権を持ち、そのドルを回収する仕組みを作り上げているため、帳簿上は問題なく兵器を供給できる。

 

ドル体制の崩壊はアメリカの支配層にとって深刻な問題だ。

 

ドル体制を揺るがしているという点でもロシアと中国は打倒すべきアメリカの敵ということになる。

ジョー・バイデン米大統領は今年5月、ウクライナに対する400億ドル相当の支援を行う法案に署名している。

軍事的な支援に限ると、8月8日に​10億ドル相当の支援​を発表、

 


2014年からの支援を合計すると118億ドルになるが、9日には国務省8900億ドル相当の追加支援を今年度中に行うと表明している。

供給された兵器を見ると、アメリカはHIMARS(高機動ロケット砲システム)、イギリスはM270-MLRS(M270多連装ロケットシステム)という高性能兵器をウクライナへ供給していることは知られているが、アメリカ製の空対地ミサイルAGM-88 HARMを秘密裏に供給していたことも発覚している。

 

AGM-88は防空システムを破壊することを目的として開発された兵器だ。

アメリカやイギリスをはじめとするNATO諸国がウクライナへ兵器を供給、将兵を訓練、特殊部隊や情報機関員を送り込んでいるのはロシア軍とウクライナ人を戦わせるためにほかならない。

 

明治維新後、アングロ・サクソンが日本に対して行ったことと基本的に同じである。

 

手先になる戦闘集団の育成だ。

 

明治体制になって政府が国民に反アジア教育を徹底させたのも侵略のためにほかならない。

 

その洗脳は世代を超えて伝わり、今でも影響を及ぼしている。


反アジア教育で国民の多くが洗脳されている日本アメリカやイギリスは中国との戦争に使おうとしている。

 

明治維新の後、日本は米英両国に煽られ、アジア侵略を始めた。

 

手始めに琉球を併合、次いで台湾に派兵し、江華島事件日清戦争日露戦争へと進んだ。

 

東アジアでは当時と似た状況が作られつつある。

日本で戦争の準備が本格化したのはウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成された3年後の1995年。

 

その時に何があったのかは本ブログで繰り返し書いてきた。

 

そして日本はアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのである。

ウクライナ、EU、日本、台湾などに自分たちのターゲットと戦わせる一方、米英の支配層、つまり巨大資本は安楽椅子に座って殺し合いを眺めるつもりだろう。

 

世界的に見るとそうした仕組みから脱出しようとする国が増えているのだが、日本はどっぷり浸かっている。

 

それは破滅への道を歩んでいるということでもある。

 

 


NATOを危険な存在だと考えるウクライナ国民の意志を封じ込めたクーデター  
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202208140000/

民主的な選挙で選ばれたウクライナの政権をアメリカの支配層が暴力的なクーデターで倒さねばならなかったのは、民意がアメリカの意向に反していたからだ。

 

おそらく、この状態は今も変わっていない。

 

アメリカがウクライナの和平を恐れる理由のひとつはここにあるだろう。

2010年2月25日にビクトル・ヤヌコビッチがウクライナの大統領に就任した。

 

ヤヌコビッチは2004年の選挙でも当選していたのだが、ロシア語を話す国民が多く、ロシアとの関係が深い東部や南部を支持基盤にする人物を嫌ったアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権が介入し、いわゆるオレンジ革命新自由主義者のビクトル・ユシチェンコにすげ替えてしまった。

言うまでもなく、新自由主義は不公正な手段で富を一部の人びとに集中させ、大多数の庶民を貧しくさせる。

 

そこでウクライナ国民は再びヤヌコビッチを選んだのである。

ユシチェンコ新自由主義を導入するだけでなく、ウクライナNATO北大西洋条約機構)へ組み込もうとしていた。

 

この軍事同盟は1949年4月、ソ連軍の侵攻に備えるという名目で創設されたのだが、実際はヨーロッパを支配するための仕組みだ。

アメリカとイギリスの情報機関は第2時世界大戦の終盤、1944年にイギリスのSOEとアメリカのSO(OSSの一部門)はレジスタンスに対抗するため、ジェドバラというゲリラ戦部隊を組織した。

 

その人脈がアメリカでは大戦後、特殊部隊やOPC(破壊工作組織)になる。

 

OPCは1950年10月にCIAへ吸収され、翌年1月にはアレン・ダレスがOPCとOSOを統括する副長官としてCIAへ乗り込んできた。

大戦後、ヨーロッパでも秘密工作を実行する組織が作られ、NATOが組織されるとその内部へ入り込み、1951年からはCPC(秘密計画委員会)の下で活動するようになった。

 

1957年にはCPCの下にACC(連合軍秘密委員会)が創設される。

 

この委員会を通じてアメリカはNATO加盟国に設置した秘密部隊のネットワークを操っていると言われている。

 

そうした秘密部隊の中で最も有名なものはイタリアのグラディオだ。

 

このネットワークはアメリカやイギリスの支配層にとって邪魔な存在を抹殺し、ヨーロッパを支配する環境を整備することが役割である。

(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005)

 

ド・ゴールフランス軍NATO軍から離脱させ、NATOの本部をパリから追い出した理由はここにあるだろう。

グラディオは1960年代から80年代にかけての時期、極左を装って爆弾テロを繰り返し、クーデターも計画しているが、フランスの組織もクーデターやド・ゴール暗殺を試みている。

第2次世界大戦でドイツの主力は東でソ連と戦ったが、西ではレジスタンスが戦っていた。

 

レジスタンスの中心はコミュニストだったが、コミュニストでない人たちもいた。

 

そのひとりがド・ゴール

 

そこでアメリカやイギリスの支配層からは嫌われていた。

フランスでは1947年6月に社会党系の政権が誕生したが、その内務大臣を務めたエドアル・ドプは政府を不安定化するための策略について語っている。

 

アメリカとイギリスは秘密部隊を使い、「青計画」を作成したというのだ。

 

秘密部隊はクーデターをその年の7月末か8月6日には実行に移す予定で、米英支配層にとって目障りなシャルル・ド・ゴールの暗殺も目論んでいたとされている。(前掲書)

計画の首謀者とされて逮捕されたのはアール・エドム・ド・ブルパンなる人物で、フランス北部に彼の城で重火器、戦闘指令書、作戦計画書などが発見されている。

 

シナリオでは、まず政治的な緊張を高めるために左翼を装って「テロ」を実行し、クーデターを実行しやすい環境を作り出すという流れだった。(前掲書)

1961年にOAS(秘密軍事機構)が組織されるが、この軍事機構はアルジェリアの独立を認めようとするド・ゴールに反発する軍人らによって構成されていた。

 

フランスの情報機関SDECEや第11ショック・パラシュート大隊とも結びついている。

OASはその年の4月12日にスペインのマドリッドで秘密会議を開いてアルジェリアでのクーデター計画について討議。

 

この会議にはCIAの人間も参加、シャルル・ド・ゴールの政策はNATOを麻痺させると非難していた。

1961年4月22日にクーデターは実行に移される。

 

ド・ゴールシャレアメリカの情報機関が支援していると判断した。

それに対し、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領はジェームズ・ガビン駐仏大使に対し、必要なあらゆる支援をする用意があるとド・ゴールへ伝えるように命じる。

 

こうしたケネディ大統領の対応はCIAや米軍の好戦派を驚愕させただろう。

 

アルジェリアにいるクーデター軍がパリへ侵攻してきたならアメリカ軍を投入するということを意味していると理解されたからだ。

 

結局、クーデターは4日間で崩壊。

 

その後、ド・ゴール大統領はポール・グロッシンSDECE長官を解任、SDECEの暗殺部隊と化していた第11ショック・パラシュート大隊を解散させた。

(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

NATOの秘密部隊が存在することは承知していたド・ゴールはそうした組織を解体するように顧問のコンスタンチン・メルニクへ命じるのだが、亡命ロシア人の息子でソ連を憎悪しているメルニクは命令を実行せず、秘密部隊は存続。

 

フランスのクーデターを阻止したケネディ大統領は1963年11月にテキサス州ダラスで暗殺された。

1966年にフランスのシャルル・ド・ゴール大統領は自国軍をNATOの軍事機構から離脱させ、その翌年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出す。

 

その後、SHAPEはベルギーのモンス近郊にある。

ウクライナNATOに加盟するということは、ウクライナアメリカやイギリスの支配下に入ることを意味し、国の主権は大きく制限されることになる。

 

こうしたことを理解していたのか、​ギャロップウクライナで2009年5月に実施した世論調査​では、NATOを40%が脅威だと考え、保護してもらえると考える人の割合は17%にすぎなかった。

 

 

そして翌年の大統領選挙でヤヌコビッチが選ばれた。

民主的、あるいは民主的を装った手続きでアメリカの意向に沿う政権を作ることが困難な状態になっていたのだ。

 

アメリカはネオ・ナチを使った暴力的なクーデターウクライナの体制を転覆させるしかなかったということだ。

 

それを西側では「民主主義」と呼ぶ。

 

なぜならアメリカが行うことだからだ。

 

 

 

 

 

 

 

統一教会の壺売りのみなさ~ん、維新の(ゴミクソカスでどうでもよいが)代表戦らしいですよ~出番ですよ~