今日は9/11 あのインチキ・テロから21年。
歴史の流れを変える出来事が引き起こされた9月11日
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イギリスのエリザベス2世女王が9月8日に死亡した。
この国はアフリカ、西アジア、南アジア、東アジアを植民地化、中国を侵略するために日本で明治維新を仕掛け、第2次世界大戦ではソ連を倒そうとして失敗している。
イギリスのエリートは19世紀からロシアの制圧を目指し、ユーラシア大陸の周辺部を支配、内陸部を締め上げるという長期戦略を持っている。
その戦略を踏襲したのがアメリカのエリートだ。
第2次世界大戦後、世界はアメリカを中心に動き始める。
そのアメリカが世界を支配する暴力装置として破壊活動を実行する組織が編成されたが、その教師役はイギリスの情報機関や特殊部隊だった。
アメリカの破壊活動は大戦の終盤、1944年に組織された「ジェドバラ」が始まりだと言えるだろう。
1941年6月にソ連へ攻め込んだドイツ軍は42年1月にモスクワで降伏、43年1月にはスターリングラードで降伏して戦争の趨勢は決した。
こうした展開を見て慌てたイギリスはアメリカと話し合い、1943年7月にシチリア島上陸作戦を行う。
ハリウッド映画で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。
その1944年にジェドバラが組織されたわけだが、その目的はドイツ軍と戦っていたレジスタンスに対抗することにあった。
レジスタンスの主力がコミュニストだったからである。
1945年4月にフランクリン・ルーズベルト米大統領が急死、5月にドイツが降伏。
ウィンストン・チャーチル英首相はすぐにソ連への奇襲攻撃を計画、JPS(合同作戦本部)に対して作戦を立案を命令、5月22日には「アンシンカブル作戦」が提出された。
その作戦によると、攻撃を始めるのは1945年7月1日。
アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。
この作戦が発動しなかったのは、参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。
(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)
イギリスの戦略に同調するアメリカ人エリートは少なくなかったが、民主主義を尊重する雰囲気は今より強かった。
そうした中、登場したのがジョン・F・ケネディだが、1963年11月22日に暗殺され、私的権力は主導権を奪い返した。
この出来事が歴史の節目だったことは間違いない。
そして1973年9月11日、チリのサルバドール・アジェンデ政権が軍事クーデターで倒された。
クーデターを指揮したのはオーグスト・ピノチェトだが、その背後ではCIAの破壊工作(テロ)部門が暗躍、その部門に命令していたのはリチャード・ニクソン大統領の国家安全保障補佐官を務めていたヘンリー・キッシンジャーだ。
このクーデターはふたつのことをもたらした。
ひとつは自立した民主的な政権を倒してアメリカの私的権力が持っていた利権を守ったこと。
もうひとつは労働者から基本的な権利を奪い、富をアメリカの私的権力やその手先へ集中させる新自由主義を世界で初めて導入したということだ。
その上でイギリスのマーガレット・サッチャー政権が自国に新自由主義を導入している。
彼女はフリードリッヒ・ハイエクと親しかった。
そして2001年の9月11日。
ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。
世界貿易センターへの攻撃ではノースタワーとサウスタワー、そして7号館(ソロモン・ブラザース・ビル)が爆破解体されたかのように倒壊している。
アメリカ支配層の好戦派はそのショックを利用して国外での侵略戦争と国内での収容所化を進めた。
ノースタワーが攻撃されたのはこれが初めてではない。
1993年2月に地下2階にあった駐車場が爆破されているのだ。
その爆破でコンクリートの床が破壊され、4階層に渡って幅30メートルの穴が空いたのだが、それでもビルはびくともしなかった。
それほど強固な建造物だということだ。
その爆破事件を受け、1994年から2000年にかけてACEエレベーターという会社がWTCのエレベーター・システムを改良、96年から2000年にかけては新しい治安システムを導入するための工事が実施されている。
その間に「何か」が仕掛けられてもわからないだろう。
新しいシステムを設計、建設のためにサウジアラビアと関係が深い4社が雇われたが、その選定にあたったのはクロル・アソシエイツ。
CIAやイスラエルの情報機関モサドと緊密な関係にあり、ウォール街のCIAと呼ばれてきた会社だ。
(George W. Grundy, “Death of a Nation,” Skyhorse, 2017)
WTCの治安を担当することになったストラテセク社は1996年から2000年にかけて新しいビルの治安システムを導入するための工事を実施した。
1993年から2000年にかけてマービン・ブッシュがこの会社の重役を務めているが、この人物はジョージ・W・ブッシュの弟だ。
また、サウス・タワーの90階、そして94から97階のフロアーにオフィスがあったフィデュシアリー・トラストで働いていたスコット・フォーブスによると、攻撃直前の9月8日から9日にかけて動力が落ちたという。
50階から上は電力の供給がなくなり、監視カメラやドアのセキュリティ・ロックも機能していない。
この故障を修理するために多くの技術者が荷物を携えてタワーに出入りしていたという。
この情報をフォーブスは9/11委員会を含む各方面に手紙で知らせたが、無視されたという。(前掲書)
ドナルド・トランプは2019年6月、ABCのジョージ・ステファノポラスからインタビューを受けているが、その中で2001年9月11日の攻撃について、
イラクではなかった。
ほかの連中だ。
その連中が誰なのかを私はわかっていると思っている。
あなたもそうかもしれない。」
と語っている。
もし9/11に関する機密文書をトランプが持ち出していたなら、誰かを脅すことができるかもしれない。
2001年当時、オサマ・ビン・ラディンは肉体的に戦闘を指揮できる状態ではなかった。
フランスのル・フィガロ紙によると、その年の7月4日から14日にかけて彼はドバイのアメリカン病院に入院しているのだ。
彼は腎臓病を患い、人工透析を必要としていた。
ドバイの病院でビン・ラディンを治療していたのはアメリカ人医師のテリー・キャラウェイで、入院中にサウジアラビアのトゥルキ・アル・ファイサル総合情報庁長官やCIAエージェントのラリー・ミッチェルが見舞っているという。
CBSニュースは2002年1月、パキスタンの情報機関(ISI)の情報として、オサマ・ビン・ラディンは2001年9月10日にパキスタンのラワルピンディにある軍の病院へ入院、透析を受けていると伝えた。
攻撃直後、そのオサマ・ビン・ラディンは世界貿易センターやペンタゴンへの攻撃に関与していないと語っている。