きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

統一地方選、国会議員補選、衆院解散総選挙、統一協会問題を忘れるな

 

統一協会問題を忘れるな
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2023/03/post-2ccd0f.html

安倍晋三氏が銃殺され、統一協会問題がクローズアップされた。

安倍氏を銃殺したとされる山上徹也被告は統一協会によって家庭を破壊された経験を有する。

母親の過剰な献金が原因で家庭が自己破産に直面した。

山上氏は大学進学もあきらめなければならなくなった。

山上氏が安倍氏を銃殺した動機は安倍氏統一協会と深く関わっていたと山上氏が判断したからだと伝えられている。

事件直後、山上徹也容疑者が供述したとされる旧統一協会と安倍元首相との関係について一部のメディアは「山上容疑者の思い込み」と表現した。

テレビ朝日報道ステーション」司会を務める大越健介氏は次のように発言した。

「宗教団体への積年の恨みということを供述していますが、なぜその恨みの矛先が一足飛びに安倍元総理に向かったのか。

その理由として、祖父の岸元総理大臣、安倍元総理大臣と宗教団体との関係性を挙げていますけれども、これは全く、到底理解できない中身となっています。

徹底した動機の解明を待ちたいと思います」


発言は大越氏の無知をさらけ出すものになった。

戦犯容疑者として収監された岸信介氏はGHQによって釈放され、いくばくもなく首相の座に就いた。

ここに戦後史の核心が集約されている。




敗戦後の日本は劇的な転換を実現した。

戦前が否定され日本民主化の偉業が成し遂げられた。

しかし、その偉業が実行されたのは敗戦直後の2年間に限られた。

1945年から1947年の2年間。

この期間が日本民主化奇跡の2年だった。

その集大成が日本国憲法

日本国憲法は1947年5月3日に施行された。

しかし、占領統治は1947年に根底からの大逆転に直面する。

米国の外交基本路線が「ソ連封じ込め」に転換した。

1947年3月のトルーマン大統領特別教書演説が転換点を画した。

連動して対日占領政策が180度の転換を演じた。



GHQ主導権はGS=民政局からG2=参謀2部に移行。

占領政策の根幹は「民主化」から「非民主化」、「反共化」に転換したのである。

占領政策の「反共化」に連動して戦犯容疑者への対応が激変した。

米国は日本における反共工作の手先になる人材を戦犯容疑者から選出したと考えられる。

その「選ばれた」戦犯容疑者が釈放され、日本における「反共工作活動」の中核を担うことになった。

米国側の工作活動中核を担ったのがCIA。

CIAの活動についてはニューヨークタイムズ記者ティム・ワーナー氏による

『CIA秘録』(文藝春秋社)

 


に詳しい。

 

 

ティム・ワーナーはCIAから自民党への秘密献金をスクープした敏腕記者。

上掲書の中で、

「CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった」

「釈放後、岸はCIAの援助とともに、支配政党のトップに座り、日本の首相の座にまで上り詰めるのである」と記した。

他方、1954年に韓国で設立された統一協会は1964年に日本で宗教法人の認可を得た。

統一教会本部は岸信介氏私邸の隣接地に置かれた。

統一協会は1968年に国際勝共連合を創設したが、その後ろ盾になったのが岸信介氏である。

韓国の統一教会は反共政策を前面に押し立てることによって朴正熙軍事政権の庇護を受けることに成功。

CIAの極東における反共工作活動の工作部隊として統一協会が位置付けられ、岸信介氏が日本における統一協会活動の後ろ盾になった。

岸田内閣が旧統一協会に対する解散命令を請求すると伝えられてきたが実態は先送りである。

 

 

 

 

 

統一地方選、国会議員補選、さらに可能性が指摘される衆院解散総選挙の強行のなどの状況下で、解散命令請求がうやむやにされる可能性が存在する。

人々の記憶は薄れやすい。

重要なことは一つ一つの問題に確実なけじめをつけてゆくこと。

統一協会問題高市早苗議員問題をあいまい処理することは許されない。