民主党の大敗が予想されていた米国の中間選挙で選挙機械の故障が報告されている
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11月8日はアメリカ中間選挙の投票日である。
下院議員435名全員、上院議員100名のうち35名が決まるのだが、事前の世論調査によると、民主党は大敗する可能性が高かった。
経済問題、外交問題、軍事問題は相互に深く関係しているが、人びとの批判が強い分野は経済だと言えるだろう。
支配層は統計を利用して誤魔化してきたが、富が一部の人びとに集中して社会は崩壊しつつある。
その流れに拍車をかけたのが「COVID-19対策」、そしてロシアに対する経済戦争だ。
投票が始まると、予想されていたことではあるが、機械の故障が報告されている。
そうした報告をまとめている記事もある。
アメリカ支配層にとって都合の悪い結果をもたらす他国の公正な選挙をインチキだと西側の有力メディアは罵るが、アメリカの選挙がインチキだと考える人は少なくない。
現在、アメリカではネオコンが外交や軍事に関する政策を決定している。
そうした形が明確になったのは1991年12月にソ連が消滅した後。
1992年2月に国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で作成された世界制覇プランに基づいて政策は決められていく。
ソ連が消滅、ボリス・エリツィンの下でロシアは米英支配層の属国になり、ネオコンたちはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、世界制覇に向かって動き始めたのだ。
冷戦の終結で世界は平和になると考えていた人びとは冷戦の本質を見誤っていた。
その当時のアメリカ大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー。
ポール・ウォルフォウィッツ国防次官が中心になって書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。
ライバルだったソ連が消滅したことからヨーロッパや東アジアは叩くべき潜在的なライバルとなり、エネルギー資源のある中東で従属度の足りない体制は破壊の対象になった。
潜在的なライバルの中でも特にアメリカが危険視していた相手は中国で、その中国を倒す手先として日本は位置付けられる。
そもそも日本の「近代化」は中国を侵略するために米英が進めたことだ。
そこでアメリカの戦争マシーンに取り込もうとするのだが、細川護煕政権は国連中心主義を捨てず、1994年4月に倒される。
1995年2月には国防次官補だったジョセイフ・ナイが「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表。
そこには10万人規模の駐留アメリカ軍を維持するだけでなく、在日米軍基地の機能を強化、その使用制限は緩和/撤廃されることが謳われていた。
その年の3月には「地下鉄サリン事件」が引き起こされ、その直後に警察庁長官だった國松孝次が狙撃されている。
8月にはアメリカ軍の準機関紙であるスターズ・アンド・ストライプ紙に日本航空123便に関する記事が掲載されたた。
その記事の中で自衛隊の責任が示唆されている。
日本政府は脅されたように見える。
その20年後、2015年6月に安倍晋三首相は赤坂にある赤坂飯店で開かれた懇親会で「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたと伝えられている。
そして2001年9月11日にアメリカの支配システムを大きく変化させる出来事が引き起こされた。
ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。
その攻撃を利用してアメリカは収容所化、あるいはファシズム化が一気に進む。
そうした政策を進めたジョージ・W・ブッシュ大統領は2000年の選挙で選ばれたが、この選挙では正体不明の「選挙監視員」による投票妨害が報告されているほか、旧式の機械やバタフライ型投票用紙で投票が正確にカウントされていない可能性が指摘されていた。
実際の投票数と出口調査の結果が違うとも指摘された。
2000年の選挙は事実上、共和党のブッシュと民主党のアル・ゴアが争ったのだが、有権者に最も支持されていた人物は別にいた。
ジョン・F・ケネディ・ジュニア、つまりJFKの息子だ。
当人は出馬を否定していたが、もしケネディ・ジュニアが立候補した場合、民主党と共和党以外の候補者が大統領になる可能性もあった。
そのケネディ・ジュニアは1999年7月16日に不可解な飛行機事故で死亡している。
2016年の大統領選挙でも事前に投票マシーンへの信頼度が揺らいでいた。
2000年の選挙でブッシュ・ジュニアを担いでいたネオコンはヒラリー・クリントンの周辺に集まり、ヒラリーを勝たせるために不正を働くと噂されたのだ。
実は、2015年6月の段階でクリントンを勝たせることが内定したとする噂が流れたが、その理由は同月の11日から14日かけてオーストリアで開かれたビルダーバーグ・グループの会合にジム・メッシナというヒラリー・クリントンの旧友が出席していたからだ。
流れが変わったのは2016年2月にヘンリー・キッシンジャーがモスクワを訪問してウラジミル・プーチン露大統領と会談してからだ。
ブッシュ・ジュニアを当選させた投票では機械的なシステムが使われていたため、さまざまな痕跡が残りやすかった。
電子化が進められたのは不正を容易にするためだと噂され、実際、そうしたシステムで実際の投票数と違う数字を集計結果として表示することを大学などの研究者が指摘していた。
2016年の大統領選挙から6年。
技術は進歩しているだろう。