[3372]ウクライナ戦争。10本目。ディープステイト(ゼレンスキー)は、こんなむごたらしい、逆襲をしてくる。人類の終わりが見えて来た。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
私が、下↓の「3371」番「アゾフ連隊が、ロシア兵捕虜を虐殺している動画が世界に衝撃」を載せた。
このあと、何と即座に、ゼレンスキーたちは、こういう卑劣極まりない、虚偽を捏造する 逆襲を、ゼレンスキー自らが仕組んで掛けて来た。
キエフの捕虜収容所にいたロシア兵の若い捕虜たち、410人を殺して、イルピンとブチャの街路に、4月1日の夜に、次々を投げ捨てた。
そして「退却したロシア軍が、一般市民を大量に虐殺した」という世界キャンペーンを、昨日3日から大々的に始めた。
日本のテレビ各局も狂ったようにこの報道をしている。
アメリカと西欧先進国(G7)というのは、こういう悪魔の業所をする者たちだ。
これでは世界は、もう第3次世界大戦に向かう。
止めることができない。
止める者がいない。
ウクライナのキエフのゼレンスキー政権は、昨日、「キエフの北西の町、イルピンとブチャとホストメリ で、410人の射殺された遺体が見つかった。これは、ロシア兵が、退却するさいに虐殺されたウクライナの一般市民である。これはロシアのプーチンとその周りの者たちの戦争犯罪(ウォー・クライム war crime )である」と発表した。
これに即座に追随して、イギリスとドイツとフランスの首相たちが、「このような残虐な行為を、世界は許さない。プーチンは、戦争犯罪人( war criminal ウォー・クリミナル)だ」と会見をして声明文を出した。 グテレス国連事務総長は、「事実を独立の調査機関に調査させる」と声明した。
日本の岸田首長も、即座に「断じて許せないことで、ロシアに対して、国際社会は、さらに強い制裁を掛けるべきだ」と声明した。
ロシア政府は、「ロシア軍は、ひとりの市民にも暴力を振るっていない。事件は、キエフ政権による、いつもにやり口で、捏造されたものだ」と声明を出した。
ラブロフ外相は、「ロシア軍は、30日にはブチャから撤収した。そのあと、ブチャの市長は、市内は平穏だ、と言っていた。そのあと、どうしてこういうことが起きるのか」と、ウクライナ政府による捏造を指摘した。
私は暗澹(あんたん)となった。
西側同盟を支配する、ディープステイトたちは、こんな、卑劣なことまでする。
今やウクライナ軍の中心の 国家親衛隊(ナショナル・ガード)の中核になっている、凶悪なネオナチ思想を持つ、アゾフ連隊が、やった戦争犯罪だ。
それを応援しているアメリカが、これまで自分たちが、どれほど世界中で、たくさんの虐殺を行ってきたか。
そのことの延長線で、血に飢えているアゾフ連隊がやったことだ。
世界中の第3世界(後進国)の人々は、自分の国でもこれまでに、これと似たヒドいことを、イギリスとアメリカはやってきた、と腹の底から実感で分かる。
ウクライナ政府が発表した、現場の証拠写真と動画 (うしろに1つだけ記事と共に載せる)なるものを見ると、戦場になった街路の、あちこちに、きれいな服を来た若者が、射殺されて、だいたいはうつ伏せに、点々と転がしてある。
彼らはおそらく捕虜になって捕まっていた若いロシア兵たちだ。
戦闘で幸運にも死なないで済んで、捕まって捕虜なった兵士たちは、後方(こうほう)に連れてゆかれる。
そして普通は大事に扱われる。
ジュネーブ4(フォー)条約(コンヴェンションズ。戦争の処理に関する4つの条約 )で、捕虜へ虐待は厳しく禁じられているからだ。
戦争捕虜(ウォー・プリズナーズ)は、普通は大事にされる。
なぜなら停戦の後で、敵側に捕まっている自分たちの兵隊と、捕虜交換をするときに使われるからだ。
だが、アゾフ連隊のような狂気の連中には、そういうことは通用しない。
彼らは平気で捕虜の虐待をする。
私が、先日、下 ↓ に載せた、ロシア兵捕虜たちへの、残虐極まりない虐殺に動画のとおりだ。
*************************
(転載貼り付け始め)
※ニューヨーク・ポスト紙のウェブサイトにある映像は下をクリック(開いたら、赤い丸の中にある三角のボタンを押してください)↓
https://nypost.com/2022/03/28/ukraine-to-probe-after-videos-show-alleged-russian-pows-shot/
アゾフ大隊によるロシア兵捕虜の虐殺1
https://x.gd/0aWBb
Maria Dubovikovaという政治アナリストのツイッターに情報が掲載されている
(YouTubeでは非公開措置になりましたので見られません。上記アドレスから見てください)
アゾフ大隊によるロシア兵捕虜の虐殺2
************************
ロシア兵はこんなことはしない。
あの動画が、世界中に広まったので、ウクライナ側の暴虐非道さが世界中で騒がれた。
それで、「これではいけない。これに対する反撃、対策として、ロシア側も同じ残虐なことをやっている。一般市民を殺している、という事件を作り上げるぞ」と決めて、やったことだ。
このことは、当然、ゼレンスキー大統領も加わって、彼の意思決定でやったことだ。
捕まって、きれいな服に着替えさせられていた若いロシア人の捕虜たちを、410人(発表の通り)、次々に撃ち殺して、それを4月1日の夜中のうちに、一般のウクライナ兵が、いない時に、トラックで、キエフの東側の激戦地の イルピンと ブチャとホストメリの 町の街路に、どんどん投げ落としていったのだ。
写真を見ていると、倒れている死体は、すべて小ぎれいな普段着の若者のようだ。
簡単に後ろ手に縛られて、頭に目隠しのフードのようなものを被(かぶ)らされている。
だいたい、イルピンもブチャも、ロシア軍が撤退して、もう1週間がたつ。
ロシア軍は、もういないのに、どうして、4月2日の朝になって、急に410人の一般市民の死体が、あちこちに散乱している、ということが、見つかるのか。
私は、ディープステイトと、それが操(あやつ)る、今のウクラナナのゼレンスキーたち、ネオナチの、確信犯の凶悪人間たち、と、それを、上手に使って、ウクライナ人(ロシア人、Russia ルーシア人 の一種で、大きくは同じロシア人だ)とロシア人を、殺し合いをやらせて、自分たちは、大きく後ろに隠れていている。
そして、自分たちは「大きな正義(ジャスティス)」だとする。
戦争を始めた(自分たちが、まんまとおびき寄せて、プーチンを罠に嵌=わな=に=は=めた )プーチンが、悪者、戦争犯罪者だ、として、悪の側に追い落とした。
このとき、善(goodness グッドネス)と悪(evil イーヴォ―) を、ひっくり返してしまって、本当は、 自分たちが人類に取り付いた悪魔(デビル、サタン、デアボロー)であるのに、自分たちを、正義の側の、正しい裁きをする者だ、と、善悪、正邪、正義と悪をみごとにひっくり返してみせる。
彼らディープステイト the Deep State の、この手口の、底知れない悪魔性の、恐ろしさを、私は、深刻に考え込む。
そうか、西洋白人文明 というのは、近代(モダーン)以降の500年間、こうやって、それ以外の世界を、この恐ろしい、「善と悪を、巧妙に、ひっくり返して、見せる」という 悪辣(あくらつ)極まりないやり方で、非白人世界を、征服し、奴隷化してきたのだ。
私は、もう、ここまでやってきたら、世界は、第3次世界大戦にまで、突き進むと思った。
もう歯止めがかからない。
このあと、すぐには核戦争( 大きいものは、ICBM 大陸間弾道弾の 撃ち合い)ということは、起きないだろう。
が、その手前で、小型の核兵器である、戦術核(タクティカル・ニュークレア・ウエポン)は、プーチンとロシアの今の体制は、自分たちを守るために、使うだろう、と考えるようになった。
そして、それさえも、プーチンを追い詰めて戦術核(半径7キロぐらいの同心円で、熱風で1万人ぐらいが死ぬ)を使わせることで、さらに、人類への罪を犯した者たちとして裁く気だ。
またしてもプーチンを大(だい)悪人に仕立てて、人類全部の敵、ということにして、この為に、さらに対立が激烈に進む。
私は、だんだん、この事態にまで、即ち、泥沼の世界大戦にまで、数年かけて至るだろう、と考えるようになった。
人類は、もはや、そこまで突き進んでゆく、と、悲観するようになった。
だが、その時は、もう今のようにプーチンを、国際平和を壊す悪人として、断罪すれば、それで済むと思っている、ディープステイトの側に立って、「自分は、正義の側の人間だ」と、思い込んで勝ち誇ったように、「プーチンが負ける。今のロシアの体制が壊れる」と、言っている者たちも、今の私と同じく、ひどく苦しんで落ち込まなければ済まないだろう。
私は、自分が引き受けた運命として、この日本国の行く末だけは何とか、救い出したいから、「日本は、何が有っても、平和な中立国である」という大方針を、国民、皆で固く、守り続けなければいけない。
どちらの側にも、のめり込むことなく、平和主義(パシフィズム、pacifism )の中立国でなければいけない。
中立国 は、今は英語では、 non-alignment country 「ノン・アラインメント・カントリー」という。
非同盟(ひどうめい)政策 non-alignment policy (ノン・アラインメント・ポリシー)を貫く国と言う意味である。
私は、この世界と人類の運命を考えて、ひとりで勝手に、どん底の気分に落ち込んでいる。
それでも、生きる気力を取り戻そうとしている。
私は、もう老人だから、自分はいつ死んでもいいのだ。
だが、これからの大(だい)戦争の時代を生きて行く 若い人たちが可哀そうでならない。
このように考えるのは、私の勝手な考えだ。
それでも、人類(地球)の未来に向かって、こういう超(ちょう)悲観的な考えもあることを、知っていてもらいたい。
「世界は、そんな風には、ならないよ」と私も思いたいのだ。
副島隆彦記
(一本だけ記事と動画。 転載貼り付け始め)
〇 「 ロシア軍が“大量虐殺”か 世界が非難「戦争犯罪だ」 ※動画視聴の際はご注意下さい 」
2022年4/4(月) 19:43配信 テレビ朝日系(ANN)
国際社会に衝撃が広がっています。
ロシア軍が撤退したウクライナの首都キーウ近郊の「ブチャ」で多くの市民が死亡しているのが見つかりました。
これから流れるVTRには遺体の映像が含まれているので、つらいと感じる人は無理しないで下さい。
(ここに、この記事にある 動画を貼ってください)
目を背けたくなる惨状。ただ、目を背けられない現実でもあります。キーウ近郊の街、ブチャ。ロシア軍から奪還したキーウ州の街です。
ブチャ・フェドルク市長:「おととい、ここで22の遺体が見つかった」
ウクライナ政府が全域を奪還したと発表した「キーウ州」。その凄惨(せいさん)な状況が、時が経つにつれ明らかになってきました。
車道には逃げる途中だったのか、乗り捨てられた車や自転車とともに多くの遺体が放置されています。軍服を着た人は一人もおらず、女性の姿もあります。高齢の女性にも、銃口は容赦なく向けられました。
ゼレンスキー大統領、これには怒りをあらわにしています。ウクライナ、ゼレンスキー大統領:「何百人の人々が殺されました。市民は拷問され撃たれました。すべてのロシア兵の母親にブチャ、イルピン、ホストメリの遺体を見てもらいたい。ブチャという街がロシアに何かしたのか?なぜこのようなことができるのか?」
ウクライナ当局は、キーウ周辺で民間人410人の遺体を発見したと発表。裏付ける目撃談は、相次いでいます。
住民:「ロシア軍が最後に去った日、何の理由もなく手を上げていた男性を殺してマンションの入り口にいた女性を殺しました」
市長も、生々しい証言を続けます。ブチャ、フェドルク市長:「彼らの手は白い布で縛られて後頭部を射撃されたんです。ロシア軍はどれだけ残虐行為を犯したかイメージできますか」
映像には、その証言を裏付ける、白い布で縛られた遺体が映し出されていました。非人道的な行為。撤退するときにも行われています。
ウクライナ、ゼレンスキー大統領:「この地域は地雷で埋め尽くされています。遺体までも罠が仕掛けられている。この地域に戻る人はくれぐれも注意してほしい」
兵士も容易に近づけず、ロープを使い遺体を回収する状況です。民間人だけではありません。ウクライナでは11の村の村長が拘束され、ある村の村長は一家全員処刑されたという情報もあります。
ウクライナ副首相:「彼女は残念ながらロシア軍の捕虜となり殺されました」
ロシア国防省は殺害の事実を否定、こう言っています。
ロシア側:「ブチャの映像はマリウポリの時と同様、ウクライナ政府が西側メディアのために制作したものである」
“民間人の虐殺”。各国はこれまでにない強い言葉で非難しています。アメリカ、ブリンケン国務長官:「このような映像を見て、はらわたが煮えくり返る思いです」
ドイツ、ショルツ首相:「民間人の殺害は戦争犯罪だ。犯罪は容赦なく調査しなければならない。加害者とその雇い主が責任を負うべきだ」
首都キーウ。ウクライナが奪還して迎えた週末、変化はあったようです。
キーウ(キエフ)在住、オレクサさん:「最近市民の車が増えた。戻ってきた人も多い。空襲警報も少なくなり1日1回か2回、少し静かになった」
キーウで科学者をしていたオレクサさん。ロシア軍の侵攻と共に赤十字でボランティアを務めています。薬も、食料も満足になく、地下で耐え忍ぶ人々の姿がありました。
オレクサさん:「8歳の男の子が胃腸薬を頼んできました。その子どもは2週間ろくに食事ができず、急に食べたからおなかを壊したそうです」
ウクライナから国外に逃れた人は今月2日時点で417万人以上に上ります。ハルキウから避難した人:「彼らはハルキウを爆撃しました。空を軍用機が飛び交い空襲警報が鳴り響いていました。本当に怖かった。多くの人が町や村を出ました。恐ろしいことが起こっていました。状況は日に日にひどくなっています」
その体験した事、見てきた事はあまりにも凄惨(せいさん)です。ハルキウから避難した人:「ハルキウ郊外のある家族は地雷に巻き込まれ子ども1人しか生き残りませんでした。(ハルキウ州)チュフイフの状況は恐ろしいです。病院にはレイプされた女性が来ました。恐ろしいです」
7歳のマクシム君。ハルキウの家が爆撃されました。ハルキウから避難、マクシム君:「最初は家にいたけど銃撃が激しくなって地下室に移動した。それから家に戻ったり地下室に行ったり家が攻撃された時は地下室で寝ていた。家にあんなことが起きた後だともう何も怖くない」
ポーランドを訪問し国境の街などを視察した林外務大臣は4日、政府要人と会談後、帰国します。日本への避難を希望する人について政府専用機に同乗させる方向で調整しています。
林芳正外務大臣:「帰国する時までに調整を了しまして避難民の方々を連れて帰る可能性を最後まで追求していきたいが現時点では引き続き調整中という状況でございます」
惨劇はいつまで繰り返されるのでしょうか。ウクライナ、ゼレンスキー大統領:「ロシア政府の決定により平和が奪われた。彼らが我らの領土から去っていくなどという無駄な期待はできない。厳しい戦いで平和を獲得する以外に道はない。同時に交渉や積極的な活動を行っていく」
ウクライナとロシアの停戦に向けた交渉は今月1日と2日、オンラインで開催され4日に再開される予定です。ロシアは来月9日、対ナチス・ドイツ戦勝記念日までに勝利宣言をするのではという観測が強まっていて、何らかの成果を上げようとする可能性もあります。 テレビ朝日
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦拝
不自然な点が多すぎるブチャの虐殺話
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202204050000/
キエフから63キロメートルほど北にあるブチャで住民が虐殺されたと4月3日に報道された。
ウォロディミル・ゼレンスキー政権はロシア軍によるものだとしているが、不自然な点が指摘されている。
ロシア軍は3月30日にブチャから撤退を完了、31日には市の職員がフェイスブックで喜びを伝えているが、虐殺の話は出ていない。
ニューヨーク・タイムズ紙によると、4月2日にはネオ・ナチを主体に編成された親衛隊のアゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)がブチャへ入っている。
ロシア軍が住民の犠牲を厭わなかったならば、はるか前にキエフは制圧されていたが、そうしたことにはなっていない。
ニューズウィーク誌によると、軍の情報機関DIAは長距離ミサイルが攻撃しているターゲットは軍事施設だと説明、住民が狙われているとする話を否定している。
またアメリカ政府が宣伝している生物化学兵器による「偽旗攻撃」について、アメリカ国防総省の高官はロシアによる化学兵器や生物兵器の攻撃が差し迫っていることを示す証拠はないと語っている。
本ブログでは繰り返し書いてきたが、ウクライナの戦争は2014年2月にクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ政権を転覆させたところから始まっている。
ヤヌコビッチの支持基盤だった東部や南部の地域では反クーデターの機運が高まり、クリミアでは3月16日にロシアとの統合を求める住民投票を実施、80%以上の住民が参加、95%以上が加盟に賛成した。
この住民投票では国外からの監視団が入り、日本やアメリカに比べれば遥かに公正なものだったと考えられている。
こうした動きを懸念したのか、ジョン・ブレナンCIA長官が4月12日にキエフを極秘訪問、クーデター政権は14日に東部や南部における制圧作戦を承認する。
22日にはジョー・バイデン米副大統領もキエフを訪問した。
ヤヌコビッチの支持基盤に含まれていたオデッサでは5月2日に右派セクターが反クーデター派の住民を虐殺している。
サッカーの試合を見にきていたフーリガンを挑発して広場へ誘導、市民を労働組合会館の中へ入れたのだが、そこでネオ・ナチのグループが反クーデター派の市民を虐殺している。
50名弱が殺されたと伝えられている。
大半は焼かれているが、棍棒などで殴り殺されたり射殺されている人が少なくない。
周りが焼け焦げていない場所に焼かれた死体が置かれているため、殺した後に襲撃グループが移動されたということだろう。
しかし、これは地上階で発見された死体の話。
地下ではさらに多くの人が殺されたと言われている。
住民の話によると、120名から130名が殺され、その大半は運び去られたという。
この虐殺事件で中心的な役割を果たした右派セクターは2013年11月にドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーが組織した。
ヤロシュは2007年にNATOの秘密部隊ネットワークに組み込まれたが、その当時アメリカのNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランドだ。
昨年11月2日、ゼレンスキー大統領はヤロシュをウクライナ軍のバレリー・ザルジニー最高司令官の顧問に据えた。
クーデター直後、ウクライナの軍や治安機関の中にもクーデターに反発するメンバーが少なくなかった。
一部はドンバスの反クーデター軍へ合流している。
そうしたこともあり、クーデター政権は3月13日、内務省に親衛隊を設置。
オデッサで住民が虐殺された3日後、右派セクターが中心になって「アゾフ大隊」が創設された。
その後、この武装組織は親衛隊の「アゾフ特殊作戦分遣隊」として活動する。
その拠点がマリウポリ。
この武装グループを当初、率いていたのがビレツキーだ。
オデッサの虐殺から1週間後、クーデター政権はマリウポリ市に戦車などを突入させて市内を破壊、非武装の住民を殺害している。
5月9日はソ連がナチスに勝ったことを記念する戦勝記念日で、住民は外で祝っていた。
そこへキエフのクーデター軍が突入したのだ。
ここからドンバスの戦争は始まる。
この制圧作戦はロシア語を話すウクライナ国民を虐殺する民族浄化作戦でもあったが、これを作成したのはアメリカ国防総省系のシンクタンク、RANDコーポレーションだと推測されている。