第3次世界大戦を口にするソロスの明かされない秘密
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202205300000/
ウクライナでの戦闘をめぐり、WEF(世界経済フォーラム)の総会でヘンリー・キッシンジャーとジョージ・ソロスが衝突した。
ふたりはユダヤ系の大物で、経歴も似ているが、今回の件では意見が対立している。
キッシンジャーはウォロディミル・ゼレンスキー政権に対し、ロシア側の要求を全て呑んでドンバスやクリミアのロシアへの割譲を認め、2カ月以内に停戦交渉を始めるべきだと訴えたのに対し、ソロスは「西側文明」は「生き残る」ため、できるだけ早くロシアを打倒しなければならないと主張したのだ。
ソロスは1930年にハンガリーで生まれたが、彼の家族はドイツからの移民。
第2次世界大戦が始まった時には9歳ということになる。
14歳になると彼はユダヤ人を発見するという形でナチスに協力、大戦後にソ連軍はその協力を理由に彼を逮捕した。
その後、GRU(ソ連軍参謀本部情報総局)のために働いたと言われている。
本人の話によると1947年にはイギリスへ難民として渡ったというが、警備の厳しい国境を超えてハンガリーを脱出したことに疑問を持つ人もいる。
そしてロンドン大学の学生になり、大学を卒業すると金融の世界へ入る。
1970年には「ソロス・ファンド・マネージメント」を設立して会長に就任。
その一方、ソロスは1984年にブダペストで「オープン・ソサエティ財団」を設立、反ソ連/ロシアのプロジェクトを本格化させる。
そうした動きはアメリカ政府と連動しているように見える。
1976年のアメリカ大統領選挙で当選したジミー・カーターは国家安全保障補佐官にズビグネフ・ブレジンスキーを任命するが、実際はブレジンスキーとデイビッド・ロックフェラーがカーターを大統領に据えたのだという。
そのブレジンスキーはサウジアラビア、パキスタン、イスラエル、王政時代のイランなどの協力を得てアフガニスタンを不安定化させ、ソ連軍を引き出す計画を立て、実行する。
不安定化させる武装集団の戦闘員としてサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団がサウジアラビアから送り込まれた。
その当時、アフガニスタンではいくつかの武装集団が存在、その一部も利用された。
誰と手を組むかを選んだのはパキスタンの情報機関ISIだった。
アメリカの軍や情報機関は集められた戦闘員を訓練、携帯防空システムのスティンガーや対戦車ミサイルのTOWを含む武器/兵器を供給する。
しかし、アフガニスタンにおけるCIAの工作はカーター政権より前から始まっていた。
パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールが1989年に語ったところによると、アメリカ政府は73年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめている。
援助先の人選もCIAはISIのアドバイスに基づいている。
(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)
アメリカのアフガニスタン工作ではパキスタンの支援が必要だったわけだが、ズルフィカル・アリ・ブット政権はCIAにとって好ましくなかった。
そのブット政権は1977年に軍事クーデターで倒され、ブット自身は79年に処刑されている。
クーデターを指揮したのはムハンマド・ジア・ウル・ハクだ。
ブレジンスキーの思惑通り、ソ連軍の機甲師団が1979年12月にアフガニスタンへ派遣されたが、その年の7月にエルサレムでアメリカとイスラエルの情報機関に関係する人びとが「国際テロリズム」に関する会議を開いている。
「国際テロリズム」はソ連政府の政策や陰謀にあるとして反ソ連キャンペーンが展開されることになった。
1980年8月にポーランドで労働者がストライキを実施、「連帯」という労働組合がレフ・ワレサたちによって結成された。
1982年6月にはロナルド・レーガン米大統領がローマ教皇庁の図書館で教皇ヨハネ・パウロ2世とふたりきりで会談、ジャーナリストのカール・バーンスタインによると、その大半はソ連の東ヨーロッパ支配の問題に費やされ、ソ連を早急に解体するための秘密工作を実行することで合意したという。
秘密工作の下準備は1970年代から始まっているが、その工作の一端が1978年に発覚している。
イタリア銀行監督局のマリオ・サルチネッリ局長による調査命令を受け、1978年4月から当局はイタリアの大手金融機関であるアンブロシアーノ銀行の調査を開始、同銀行による数十億リラの不正送金が明らかになったのだ。
このスキャンダルにはバチカン銀行(IOR¥/宗教活動協会)が深く関係していた。
当時、バチカン銀行の頭取だったのはシカゴ出身のポール・マルチンクスだ。
マルチンクスはパウロ6世の側近だったが、この教皇はヒュー・アングルトンとジェームズ・アングルトンの親子と緊密な関係にあった。
このふたりはアレン・ダレスの側近としてアメリカの情報活動に従事、つまりパウロ6世はアメリカの情報機関の協力者だった。
アンブロシアーノ銀行の頭取だったロベルト・カルビは裁判の途中で変死するが、同銀行を経由して流れた不正融資の行き先はポーランドの「連帯」だと生前、家族や友人に話していた。
(Larry Gurwin, “The Calvi Affair,” Pan Books, 1983 / David Yallop,”In God's Name,” Corgi, 1985)
ソロスは1979年から「連帯」に資金を提供。
1991年12月にソ連が消滅しても反ロシア工作は続く。
「カラー革命」、そして2013年11月から14年2月にかけてウクライナで実行されたネオ・ナチのクーデターでも大口資金提供者のひとりだ。
彼がロスチャイルドのネットワークと関係が深く、ニルス・タウブやリチャード・カッツを通じてイギリスの「N・M・ロスチャイルド・アンド・サン」につながり、ジョージ・カールワイツを通じてフランスのエドモンド・ド・ロスチャイルド・グループにつながっていることは明らかだが、イギリス政府のソロスに関するファイルは最高機密になっているという。
ロスチャイルドとのビジネス上の関係以上の秘密があるのだろう。
ソロスは露国を崩壊させるために軍や情報機関の幹部を買収済みなのだろうか?
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投機家のジョージ・ソロス5月24日、ダボスで開かれたWEF(世界経済フォーラム)の総会で、2月24日に始まったロシア軍の攻撃で「第3次世界大戦」が始まったかもしれないと語った。
ソロスやヘンリー・キッシンジャーはウクライナの軍や親衛隊の敗北が決定的だと考えているのだろう。
ただ、キッシンジャーはゼレンスキー政権に対してロシア側の要求を全て呑み、ドンバスやクリミアのロシアへの割譲を認めて2カ月以内に停戦交渉を始めるべきだと訴えている。
ソロスは「第3次世界大戦」が始まれば西側文明は生き残れないかもしれないとした上で、西側文明を守る唯一の方法はできる限り早くプーチンを打倒することだと主張する。
https://www.reuters.com/article/us-davos-meeting-soros-idAFKCN2NA1TE
ソロスの言い方からすると、「第3次世界大戦」でロシアに勝ち、プーチンを排除しようと考えているわけではないようだ。
クーデターで体制を転覆させたがっているように思える。
ソ連を消滅させたときの手口を使うつもりかもしれない。
しかし、ロシア国民は1990年代、ボリス・エリツィン時代の新自由主義的な政策で塗炭の苦しみを味わっている。
欧米に対する幻影は消えているはずだ。
ただ、エリートの中には西側のシステムで甘い汁を吸いたい人もいるだろうが、西側が「カラー革命」を実行できる状態にはないが、ウラジミル・プーチン政権の内部に親欧米派はいる。
エリツィン時代、ロシアの経済政策はソロスの友人としても知られているハーバード大学教授のジェフリー・サックスなどが決定、その下で働いていたのがソロスの知り合いだというエゴール・ガイダル。
それ以来、ロシアの金融や経済は米英金融資本の手先が支配している。
例えば、国家安全保障会議副議長のドミトリー・メドベージェフ、財務大臣のアントン・シルアノフ、中央銀行総裁のエリヴィラ・ナビウリナである。
気候問題特使を務めていたアナトリー・チュバイスが辞任、国外へ出た。
ネオコン、あるいは米英の金融資本はロシアのエリートが反旗を翻すことを願っているはず。
ロシアのエリート層に対する「制裁」をアメリカが行う理由はそのためだろう。
アメリカがソ連を崩壊させる秘密工作を始めたのは1970年代の終盤で、ローマ教皇庁とも手を組んでいた。
ロナルド・レーガン米大統領がローマ教皇庁の図書館でヨハネ・パウロ2世とソ連の解体について話し合った1982年にレオニド・ブレジネフが死亡、84年にはユーリ・アンドロポフが死亡、85年にはコンスタンチン・チェルネンコが死亡、そして親欧米派に囲まれたミハイル・ゴルバチョフが実権を握った。
ゴルバチョフはペレストロイカ(建て直し)を打ち出す。
これを考え出したのはKGBの頭脳とも言われ、政治警察局を指揮していたフィリップ・ボブコフだとされているが、この人物はCIAのOBグループに買収されていたとする情報がある。
そのOBグループのひとりがアメリカの副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュだ。
(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)
ボブコフだけでなく、アレクセイ・コンドーロフや1982年から88年にかけてKGB議長を務めたビクトル・チェブリコフも買収され、ソ連の解体と資産の略奪を目論んだというのだ。
一種のクーデター。
「ハンマー作戦」と呼ばれている。
エリツィン時代、20歳代の若者がクレムリンの腐敗勢力と手を組んで巨万の富を築き、「オリガルヒ」と呼ばれるようになる。
ミハイル・ホドルコフスキー(1963年生まれ)、アレックス・コナニヒン(1966年生まれ)、ロマン・アブラモビッチ(1966年生まれ)などだ。
ボリス・ベレゾフスキー(1946年生まれ)でも40歳代。
こうした若者たちを操っていた黒幕がいたことは容易に想像がつく。
ソ連消滅劇の始まりは1991年7月にロンドンで開かれた主要7カ国首脳会議。
そこに呼び出されたゴルバチョフは新自由主義の導入、いわゆる「ピノチェト・オプション」を求められるとさすがに難色を示す。
ソ連で「クーデター未遂」が引き起こされるのはその翌月のことだ。
このクーデター未遂はゴルバチョフの政策をソ連解体の策謀と考える「国家非常事態委員会」が権力の奪還を狙ったものだとされているが、KGBが行った「出来レース」だと推測する人がいる。
この「クーデター未遂」を利用してボリス・エリツィンが実権を握り、ソ連を消滅させた。
その後、エリツィンは議会を強制的に解散し、抗議する議員を砲撃させて殺害、新自由主義を導入してロシア国民の資産を略奪しはじめた。
ハンマー作戦を実行するためには資金が必要。
買収だけでも相当の金額を用意する必要がある。
数百億ドルが投入されたと推測されているのだが、その出所は旧日本軍が東アジアを侵略していた際に略奪した財宝を元にした資金だと言われている。
日本軍が略奪した財宝の一部は日本へ運ばれたが、戦局の悪化で輸送が困難になると集積地のフィリピンに隠された。
その多くをアメリカは回収したと言われている。
回収作業の責任者はエドワード・ランズデールだったという。
後にCIAの秘密工作を指揮、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の現場にいたとも言われている人物だ。
ランズデールの部下だった情報将校は自身が親しくしていたイメルダ・ロムアルデスをフェルディナンド・マルコスに紹介、結婚させている。
そこでマルコスは財宝の隠し場所に関する情報を知っていた。
そのマスコスをコントロールできなくなったアメリカは1986年2月に排除。
アメリカ軍が拉致して国外へ連れ出したのだが、この作戦を指揮していたのはポール・ウォルフォウィッツだと言われている。
ソ連を消滅させた時と同じ手口を使うなら、ロシアの軍や情報機関の幹部を買収していなければならない。
その上でプーチンを暗殺、クレムリンを乗っ取るということになるだろうが、それだけの準備ができているのだろうか?
ロシアで米英金融資本の手先が排除され始めた可能性
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ウラジミル・プーチン露大統領の無給顧問を務めていたワレンチン・ユマシェフが辞任したと伝えられている。
https://www.reuters.com/world/europe/exclusive-yeltsins-son-in-law-quits-putin-advisor-sources-2022-05-30/
エリツィン・センターの役員だということらもわかるように、この人物は米英金融資本の手先だったボリス・エリツィンと緊密な関係にあった。
エリツィンは1991年7月にロシア大統領に就任したが、この月にソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領はロンドンで開かれた主要7カ国首脳会議に呼び出され、新自由主義の導入、いわゆる「ピノチェト・オプション」を要求されている。
この要求をゴルバチョフは受け入れず、翌月に「クーデター未遂」が引き起こされた。
これが切っ掛けになって実権を握ったエリツィンが1991年12月にソ連を消滅させたわけである。
エリツィン時代、クレムリンに巣食う腐敗勢力の中心にいたのはエリツィンの娘であるタチアナ。
アルコールに溺れた生活を送り、心臓病を抱えていた父親に代わり、政府を動かしていた。
ボリスは1996年にタチアナを個人的な顧問に据えている。
2000年にプーチンから解雇された彼女はその翌年、エリツィンの側近で広報担当だったバレンチン・ユマシェフと結婚している。
ユマシェフの娘であるポリナ・ユマシェバと結婚したオレグ・デリパスカはロシアのアルミニウム産業に君臨するイスラエル系オリガルヒで、ナット・ロスチャイルドから「アドバス」を受ける一方、ロスチャイルド系の情報会社ディリジェンスの助けで世界銀行から融資を受け、政治面でも西側との関係を強めていたものの、プーチンとの対決は避けた。
ロシア軍がウクライナへの攻撃を始めた後、気候問題特使を辞任してロシアを離れたアナトリー・チュバイスはタチアナの利権仲間。
チュバイスは1992年11月にボリスが経済政策の中心に据えた人物で、HIID(国際開発ハーバード研究所)と連携していた。
この研究所はCIAの工作資金を流していたUSAIDからカネを得ていた。
(Natylie Baldwin & Kermit Heartsong, “Ukraine,” Next Revelation Press, 2015)
ソ連が消滅してから現在に至るまで、ロシアの経済や金融は米英の巨大金融資本と深くつながっている人びとにコントロールされている。
このネットワークを排除するべきだと考えるロシア国民は少なくないが、経済の混乱を恐れたのか、プーチン大統領はこの問題に手をつけなかった。
国家安全保障会議副議長のドミトリー・メドベージェフ、財務大臣のアントン・シルアノフ、中央銀行総裁のエリヴィラ・ナビウリナもそうしたネットワークのメンバーだとみなされている。
しかし、ユマシェフがプーチンから離れたとするなら、エリツィンの娘を中心に形成されたグループがロシアの支配システムから排除され始めた可能性がある。
ロシアのアキレス腱と言われるシルアノフ財務大臣やナビウリナ中央銀行総裁を交代させられるかどうか注目している人は少なくない。