状況の悪化に伴って正気でなくなり、神懸かってきたイスラエル政府
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イスラエルの首相を務めているベンヤミン・ネタニヤフはパレスチナ人虐殺を正当化するため、「われわれの聖書(キリスト教における「旧約聖書」と重なる)」を持ち出した。
聖書の中でユダヤ人の敵だとされている「アマレク人」を持ち出し、「アマレク人があなたたちにしたことを思い出しなさい」(申命記25章17節から19節)という部分を引用、この「アマレク人」をイスラエルが敵視している勢力に重ねて見せた。
アマレク人は歴史の上で存在が確認されていない民族だが、ネタニヤフの頭には存在しているようだ。
「アマレク人」を家畜ともども殺した後、「イスラエルの民」は「天の下からアマレクの記憶を消し去る」ことを神に命じられたという。
ネタニヤフはパレスチナ人が生活していた歴史を破壊で消し去ると言いたいのだろう。
インターネットには、95歳になるイスラエル陸軍の退役兵、エズラ・ヤチンがユダヤ人に対してパレスチナ人を殺して彼らの記憶を消し去れと呼びかけている映像が流れている。
こうした主張をするということは「約束の地」を想定しているのだろう。
ナイル川とユーフラテス川に挟まれた地域、つまりパレスチナのほかレバノン、ヨルダン、クウェート、シリア、さらにイラクの大半、エジプトやサウジアラビアの一部を自分たちの領土にしようとしている。
「大イスラエル構想」だ。
そしてサムエル記上15章3節の話を彼は持ち出す。
そこには「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」ということが書かれている。
これこそがガザでイスラエルによって行われていることだというのだ。
ネタニヤフによると「われわれは光の民であり、彼らは闇の民だ」としたうえで、イザヤの預言を理解しなければならないと主張する。
「われわれ」とはイスラエル人、「彼ら」とはパレスチナ人、イスラム教徒、あるいはイスラエル以外の人びとを指しているのだろう。
ネタニヤフはリクードの政治家だが、同じようにこの政党に所属する元国会議員のモシェ・ファイグリンはガザをドレスデンや広島のように破壊するべきだと主張している。
実際、破壊されたガザの様子は両都市を彷彿とさせるものがある。
ファイグリンは議員時代の2014年、ガザ問題の「解決策」を発表している。
まずイスラエルはガザの軍事目標を攻撃しようとしていると発表し、危害を加えられたくなければ直ちにガザからシナイ半島へ立ち去るように警告、そのうえでイスラエル軍はガザ全域を攻撃するが、その際、「人間の盾」や「環境へのダメージ」を考慮しない。
この攻撃と並行してガザを完全に包囲して兵糧攻めにし、攻撃で敵を弱体化させた後にガザへ地上部隊を侵攻させる。
この際、考慮するのは兵士への被害を最小限に抑えることだけ。
非武装の市民は「撤退が許可され」、ガザから離れることを望む人びとを援助する。
ガザはイスラエルの領土であり、イスラエルの一部になり未来永劫、ユダヤ人がそこに住むことになる。
ネタニヤフ政権はアメリカの支援を受けながらガザを攻撃しているようだが、パレスチナ人虐殺への反発は強い。
シオニストに支配されている日米欧のエリートはイスラエルの軍事攻撃に沈黙しているが、市民の間で怒りが高まっている。
「グローバル・サウス」では怒りを隠さないエリートもいる。
イスラエルとアメリカという悪役の登場でイスラム世界が団結、スンニ派とシーア派の対立が弱まった。
すでにアメリカ軍への攻撃も始まっている。
ファイグリンが「解決策」を発表した2014年、アメリカのバラク・オバマ政権はウクライナでクーデターを成功させた。
ホワイトハウスでクーデターを指揮していたのはジョー・バイデン副大統領、バイデン副大統領の国家安全保障担当補佐官を務めていた人物がジェイク・サリバン、現場で指示を出していたのがビクトリア・ヌランド国務次官補だ。
1941年6月、アドルフ・ヒトラーに率いられたドイツ軍がソ連に対する奇襲攻撃「バルバロッサ作戦」を開始した。
オバマ政権はこのふたつのルートを通ってロシアへ迫ろうとしたのである。
ソ連軍はドイツ軍を撃退したが、その時にソ連がおったダメージは大きかった。
いわゆる「惨勝」だ。
結局、ソ連は消滅するまでそのダメージから立ち直れなかった。
皮肉だが、ソ連が消滅して衛星国やソ連構成国という重荷が取れたロシアは国力を急回復させることができたのだ。
ソ連が消滅する前年に東西ドイツが統一されたが、その際、アメリカ政府はソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフに対し、NATOを東へ拡大させないと約束していたとロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックが語っている。
ドイツの外相だったハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)
それだけでなく、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官がソ連側に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。
イギリスやフランスもNATOを東へ拡大させないと保証した。
ソ連の防衛を西側の「善意」に頼ったわけだが、言うまでもなく、こうした約束は守られなかった。
1000キロメートル近くNATOは東へ拡大、ロシアとの国境は目前に迫る。
そして2014年のウクライナにおけるクーデターだ。
これはゆっくりしたバルバロッサ作戦にほかならない。
ウクライナでのクーデターは「新バルバロッサ作戦」の決定的瞬間だと言える。
ロシアにとって深刻な事態だが、2014年にウラジミル・プーチン大統領は動かなかったが、クーデター後、クーデター軍の戦力は反クーデター軍より劣っていた。
ネオ・ナチ体制を嫌い、ウクライナ軍の将兵や治安組織の隊員のうち約7割が離脱、一部は反クーデター軍に合流したと言われている。
残った将兵の戦闘能力は低く、西側諸国が特殊部隊や情報機関員、あるいは傭兵を送り込んでもドンバスで勝利することは難しい状況。
そこで内務省にネオ・ナチを中心とする親衛隊を組織、傭兵を集め、年少者に対する軍事訓練を開始、要塞線も作り始めた。
そうした準備のために8年間が必要だった。
その時間稼ぎに使われたのがミンスク合意だということを仲介役を務めたドイツのアンゲラ・メルケル(当時の首相)は昨年12月7日、ツァイトのインタビューでミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めている。
その直後にフランソワ・オランド(当時の仏大統領)はメルケルの発言を事実だと語った。
それに対し、プーチン大統領はアメリカ/NATOの「善意」に期待した。
NATOを東へ拡大させず、1997年からNATOに加盟したすべての同盟国から軍事インフラを撤去することを定めた条約の草案をプーチンがNATOへ送ったのは2021年秋。
それがロシア軍がウクライナへ軍事侵攻しないための条件だったが、NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長は署名しない。
こうした事情をストルテンベルグは認めている。
https://www.nato.int/cps/en/natohq/opinions_218172.htm
2023年に入ると、ウクライナ軍がアメリカ/NATOの下でドンバスに対する大規模な攻撃を始める動きが見られた。
後にロシア軍が回収した文書によると、昨年3月にウクライナ軍は本格的な軍事侵攻を始める予定だった。
その直前、2022年2月24日にロシア軍はドンバスで軍事作戦を開始する。
ミサイルでドンバス周辺に集まっていたウクライナ軍を一気に叩いき、ウクライナ各地の軍事施設や生物兵器の研究開発施設を破壊している。
アメリカ/NATOは8年かけてドンバスの周辺に要塞線を築いたが、ネオ・ナチを中心に編成されたアゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊)が拠点にしていたマリウポリ、あるいは岩塩の採掘場があるソレダルにはソ連時代に建設された地下施設、つまり地下要塞が存在している。
それを利用して要塞線は作られたのだ。
アメリカ/NATOはウクライン軍にドンバスで住民を虐殺させ、ロシア軍を要塞線の中へ誘い込む作戦だったとも言われているが、ロシア軍は大規模な地上部隊を送り込むことはなかった。
地上部隊の中心は現地軍、チェチェン軍、あるいはワグナー・グループで、戦力を比較するとドンバス側はキエフ側の数分の1だったと言われている。
ロシア軍が攻撃を始めて間もなく、ウクライナ政府はロシア政府と停戦交渉を開始した。
停戦交渉を仲介したひとりはイスラエルの首相だったナフタリ・ベネット。
彼によると、話し合いで双方は妥協に応じ、停戦は実現しそうに見えた。
3月5日にベネットはモスクワでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけ、その足でベネットはドイツへ向かってオラフ・シュルツ首相と会っている。
ゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフがウクライナの治安機関SBUのメンバーに射殺されたのはその3月5日だ。
クーデター直後からSBUはCIAにコントロールされていた。
停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。
アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と今年6月17日に会談しているが、その際、プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。
その文書にはウクライナ代表団の署名があった。
つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。
そうした停戦合意を潰したのはアメリカ政府やイギリス政府。
アメリカ/NATOはウクライナへ武器弾薬を供給、軍事情報を提供、昨年夏頃にはNATOが指揮していたとも言われているが、十分な訓練をしないまま前線へ送り出され、「玉砕戦法」を強いられた。
アメリカ/NATOはウクライナ人の命を軽視しているので可能な戦法だ。
結局、要塞線は突破される。
今年6月4日にウクライナ軍は「反転攻勢」を始めたが、フォーブス誌によると、6月8日にウクライナ軍の第47突撃旅団と第33機械化旅団が南部の地雷原を横断しようとして壊滅的なダメージを受けた。
その後も無謀な攻撃を繰り返し、反転攻勢の失敗は明確になる。
ウクライナに「玉砕攻撃」を強いたアメリカ/NATOは武器弾薬が枯渇、イスラエルにはアメリカ軍の兵器がストックされているはずだが、支障が出るだろう。
アメリカでイスラエルを無条件に支持している勢力はキリスト教の福音主義者(聖書根本主義者)。
この宗教勢力の支援でネオコンは1970年代の半ば、ジェラルド・フォード政権の時代に台頭した。
福音主義者はアメリカを「神の国」、アメリカ軍を「神軍」だと信じていたのだが、ベトナム戦争で勝てないことに苛立つ。
そうした中、イスラエル軍は1967年の第3次中東戦争で圧勝、新たな彼らの「神軍」になったのだ。
ここにきて神懸った発言をしているネタニヤフ首相。
彼の父親であるベンシオン・ネタニヤフは1910年3月にワルシャワで生まれ、40年にアメリカへ渡った人物。
そこで「修正主義シオニズム」の祖であるウラジミル・ヤボチンスキーの秘書を務めている。
ヤボチンスキーに接近したひとりにレオ・ストラウスという人物がいる。
1899年にドイツの熱心なユダヤ教徒の家庭に生まれ、17歳の頃にヤボチンスキーのシオニスト運動に加わったのだ。
このストラウスは後にネオコンの思想的な支柱と言われるようになる。
カルガリ大学のジャディア・ドゥルーリー教授に言わせると、ストラウスの思想は一種のエリート独裁主義で、「ユダヤ系ナチ」だ。(Shadia B. Drury, “Leo Strauss and the American Right”, St. Martin’s Press, 1997)
ストラウスは1932年にロックフェラー財団の奨学金でフランスへ留学し、中世のユダヤ教徒やイスラム哲学について学ぶ。
その後、プラトンやアリストテレスの研究を始めた。(The Boston Globe, May 11, 2003)
1934年にストラウスはイギリスへ、37年にはアメリカへ渡ってコロンビア大学の特別研究員になり、44年にはアメリカの市民権を獲得、49年にはシカゴ大学の教授になった。
アメリカとイスラエルの神懸かった人たちは状況が悪化するにつれ、自分たちの本性をあらわにしはじめた。
彼らは正気でない。
そうした彼らに世界の人びとはうんざりし、同時に危機感を強めている。
国連総会でパレスチナとイスラエルの大使が演説した後の議場の反応がそうした世界の雰囲気を示している。