米国は生物化学兵器の研究開発をウクライナからアフリカへ移転
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ウクライナで生物兵器開発
アメリカの国防総省はウクライナで生物兵器の研究開発を行っていたが、ロシア軍は昨年2月24日から始めた軍事作戦の過程でウクライナ側の重要文書の回収、そこには生物化学兵器の研究開発に関する2万以上の文書も含まれていた。
3月7日にはロシア軍のイゴール・キリロフ中将はそうした文書からウクライナには研究施設が30カ所あると発表している。
DTRA(国防脅威削減局)から資金の提供を受け、CBEP(共同生物学的関与プログラム)の下で研究開発は進められたという。
そうした研究施設ではロシアやウクライナを含む地域を移動する鳥を利用して病原体を広める研究をしていたほか、2019年からウクライナ兵を被験者としてHIV(ヒト免疫不全ウイルス)の感染実験が行われ、覚醒剤やモルヒネなどの薬物も使われていたという。
ウクライナでアメリカの生物兵器の研究開発施設を建設するという話が2013年に流れている。
アメリカ国防総省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれたのだ。
実際、建設された。
ジャーナリストのディリヤナ・ゲイタンジエワによると、ドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があるのだが、各研究所はハリコフより前の2010年から13年の間に建設されたという。
アメリカ国防総省はウクライナだけに研究施設を建設したわけではない。
中東、東南アジア、アフリカ、そしてジョージアを含む旧ソ連諸国にもある。
特に注目されているのはジョージアにあるルガー・センター(国立疾病管理公衆衛生センター)で、近くにアメリカ軍のバジアニ空軍基地がある。
センターで軍事プログラムを担当しているのはアメリカ陸軍医療研究ユニット・グルジアの生物学者と民間業者で、CH2Mヒル、バテル、そしてメタバイオタが含まれる。
ルガー・センターの研究員には外交特権を与えられ、ジョージア政府の直接的な支配下に置かれることなく、外交特権のもとに米国政府のために仕事をすることができる。
他の国でも同じ仕組みになっているようだ。
その研究内容は生物兵器(炭疽病、野兎病)やウイルス性疾患(クリミア・コンゴ出血熱など)の研究、将来の実験のための生物試料の収集などだ。
アフリカにおける生物兵器開発
しかし、ロシア軍の攻撃が始まるとウクライナの施設は破壊を免れても落ち着いて研究開発することは困難な状態になる。
そこで、ケニア、コンゴ、シエラレオネ、カメルーン、ウガンダ、南アフリカ、ナイジェリアといったアフリカ諸国、あるいはシンガポールやタイに移転したとされている。
アメリカの軍や巨大企業はアフリカを生物化学兵器の実験場として利用してきた。
キリロフによるとアフリカではDTRAのほか、電子情報機関のNSA(国家安全保障局)や国務省が主導、ナイジェリアではHIV/AIDSに関する研究が行われ、感染者とされる人の6割がギリアド・サイエンシズの抗ウイルス療法を受けているという。
ギリアドの会長を1997年から2001年まで務めた人物がドナルド・ラムズフェルド。
会長を退いたのは国防長官に就任するためだ。
2001年1月から06年12月までその職にあった。
2009年1月から10年8月にかけて「新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)」で騒ぎになった際に宣伝されたタミフルを開発した会社がギリアド。
この時もWHOはパンデミックを宣言したが、実際は大騒ぎするような状態でなかった。
偽パンデミックで危険な薬を売ろうとしたわけだ。
パンデミックを宣言できたのはこの直前に定義の変更があったからだ。
「病気の重大さ」、つまり死者数が多いという条件が削られている。
国防総省は2005年、抗インフルエンザウイルス薬としてタミフルを備蓄するとして10億ドル以上の予算を計上し、この薬を日本も大量に購入しているのだが、2005年12月4日のサンデー・タイムズ紙によると、数十名のインフルエンザ患者を治療したベトナムの医師はタミフルが効かなかったと話している。
副作用も問題になった。
WHOがCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)のパンデミックを宣言した後、日本の厚生労働省はレムデシビルなるギリアド・サイエンシズが開発した抗ウイルス薬を特例承認した。
COVID-19(新型コロナウイルス)への有効性を認めたとされているが、これも効果がない上危険な医薬品だ。
それに対し、中国でCOVID-19を沈静化させたインターフェロン・アルファ2b、メキシコの保健省と社会保険庁が効果を確認したイベルメクチン、抗マラリア剤として知られているヒドロキシクロロキンなどの使用は妨害されてきた。
アフリカ西部のギニアでは2013年12月からエボラ出血熱が広がりはじめ、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア、さらにアメリカやヨーロッパへ伝染、1万1323名が死亡(致死率:70から71%)、大きな騒動になった。
その際、生物兵器を研究している学者が数年にわたってギニア、リベリア、シエラレオネのあたりで活動していたと話題になる。
その学者が所属していたのは生物化学兵器を研究開発しているアメリカ軍のフォート・デトリック、そしてテュレーン大学だ。
感染が問題になり始めた2014年7月、シエラレオネの健康公衆衛生省はテュレーン大学に対し、エボラに関する研究を止めるようにという声明を出している。
その研究が予防や治療が目的でないと判断したのだろう。
ザイールでは1976年8月にエボラ出血熱が確認されている。
この病気がスーダンやザイールなどで見つかったのは1978年のことだが、病気がどこで始まったのかが明確でない。
1976年の前は気づかれなかっただけなのか、病気自体がなかったのか不明だ。
1980年代の前半からこの病気を引き起こすウィルスを含む病原体を細菌兵器にしようとする極秘研究「プロジェクト・コースト」が南アフリカで始まる。
そのプロジェクトで中心にいた研究者がウーター・ベイソンだ。
AIDS
AIDSはアフリカの研究室で生まれたとする説がある。
1950年代にジョナス・ソークがポリオのワクチンを開発するが、そのワクチンを投与したサルがポリオを発症することにバーニス・エディという研究者は気づき、警告する。
その警告が無視され、多くの被害者が出ることになった。
また、バーニス・エディという研究者はワクチンの中に発癌性のSV(シミアン・ウイルス)40が混入していることにも気づく。
ファイザー製の「COVID-19ワクチン」に混入していたDNAにその塩基配列の一部が入っていることが判明、問題になったウイルスだ。
エディは当時、NIH(国立衛生研究所)に所属していたのだが、その発言にNIHの上司は激怒したと言われている。
ちなみにNIHはNIAIDの上部機関。
組織の幹部は警告を封印し、医薬品メーカーはワクチンの製造を続けた。
製造が止まるのは1961年7月になってからだ。
リコールが宣言されたものの、NIHは市場へ出回っている製品全てを回収することを命じなかった。
そこでアメリカ人は発癌性のワクチンを1961年から63年にかけて接種されることになる。
猿の腎臓にAIDSの原因になる病原体が含まれていたとする説も存在する。
アメリカでエイズが社会的問題になるのは1980年代に入って間もない頃。
そうした中、1984年に免疫学者のアンソニー・ファウチがNIAIDの所長に就任している。
その時の部下のひとりがHIVで有名になるロバート・ギャロだ。
実は、HIVの出現を予告したと思えるような発言が1969年にアメリカ議会であった。
伝染病からの感染を防ぐための免疫や治療のプロセスが対応困難な病原体が5年から10年の間、つまり1974年から79年の間に出現すると1969年6月に国防総省国防研究技術局のドナルド・マッカーサー副局長が議会で語っている。
HIVの存在が公的に認められたのは1981年のことだ。
731部隊
アメリカにおける生物化学兵器の研究開発拠点はフォート・デトリックである。
1943年にUSBWL(陸軍生物兵器研究所)がキャンプ・デトリックとして創設したのだが、研究開発が本格化するのは第2次世界大戦後のことだと言われている。
ドイツや日本の研究資料や研究者を押さえてからだ。
日本では1933年に軍医学校が東京帝国大学や京都帝国大学の医学部と共同で生物化学兵器の研究開発を始めたが、正確なデータを得るため、日本では生体実験が組織的に実施されている。
犠牲になったのは主に中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人。
こうした人びとを日本軍は「マルタ」(丸太)と呼んだ。
生体実験を実施するため、軍の内部に特別な部隊が占領地である中国で編成される。
当初は加茂部隊や東郷部隊と呼ばれたが、1941年からは第731部隊と呼ばれている。
第731部隊の隊長は1936年から42年、そして45年3月から敗戦までが石井四郎、その間、42年から45年2月までを北野政次が務めた。
1945年8月には関東軍司令官の山田乙三大将の名前で部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。
捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺される。
事態に気づいて食事をとならなかった捕虜は射殺され、死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められたという。
石井たち第731部隊の幹部は大半が日本へ逃げ帰るが、日本の生物化学兵器に関する情報はアメリカ軍も入手していた。
1946年に入ると石井たちアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになるが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。
【なぜなら、ソ連に731部隊の実験データが渡ることを恐れたアメリカが「日本の生物戦データの価値は戦犯訴迫よりはるかに重要」と結論づけたからだ。】
尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。
日本が提供した資料や研究員はドイツ(ナチス)から提供された知識と同じように、アメリカにおける生物化学兵器開発の基盤になった。
1950年6月に朝鮮戦争が勃発、52年2月に朝鮮の外務大臣はアメリカ軍が細菌兵器を使用していると国連に抗議した。
アメリカ側は事実無根だと主張したが、1970年代にウィリアム・コルビーCIA長官は議会証言の中で、1952年にアメリカ軍が生物化学兵器を使ったと認めている。
朝鮮戦争が始まると、アメリカ軍は輸血体制を増強しなければならなくなり、「日本ブラッドバンク」が設立されたが、北野政次が顧問に就任するなど、この会社は第731部隊と深い関係がある。
後に社名は「ミドリ十字」へ変更され、「薬害エイズ」を引き起こすことになる。
現在は田辺三菱製薬の一部だ。
第731部隊を含む日本の生物化学兵器人脈は「伝染病対策」の中枢を形成することになる。
その拠点として1947年には国立予防衛生研究所(予研)が創設された。
当初は厚生省の所管だったが、1949年には国立になる。
1997年には国立感染症研究所(感染研)に改名され、現在、「COVID-19対策」で中心的な役割を果たしている。