きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

人類の存続を危うくする薬物の研究開発 2

軍事産業としての医薬品メーカー
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404070000/

国防総省とのビジネスはカネ儲け以外にもメリットがある。

 

「安全保障上の秘密」という名目で監視の目から逃れることができるのだ。

 

アメリカで少なからぬ企業が国防総省と契約したがる理由のひとつはそこにある。

 

そうした企業群の中に医薬品メーカーも入っていることが「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」で明確になった。​

 

この騒動における「主犯」は医薬品メーカーでなく国防総省だとサーシャ・ラティポワは主張している​。

 

 

これは同省がバラク・オバマ政権の時代に始めた軍事作戦だというのだ。

アメリカで生物化学兵器の研究開発が始められたのは1930年代のことである。

 

例えば​ロックフェラー財団の「衛生委員会」チームの一員としてプエルトリコのサンフアンにある病院で数カ月間勤務したロックフェラー医学研究所のコーネリアス・ローズなる人物は1931年、プエルトリコの被験者に意図的にガン細胞を人体へ注入し、そのうち13人を死亡させたという​。

 

 

https://www.sott.net/article/232912-Assassinations-by-induced-heart-attack-and-cancer

 

 

 

彼はプエルトリコ人を軽蔑、絶滅を妄想していた。

ローズは第2次世界大戦中にアメリカ陸軍の大佐となって化学兵器部門の医学部長を務め、ユタ州メリーランド州パナマ化学兵器研究所を設立、プエルトリコ人に対する秘密実験にも参加。

 

1943年末までに化学兵器関連の新しい医学研究所マサチューセッツ州のキャンプ・デトリック、ユタ州のダグウェイ実験場、アラバマ州のキャンプ・シベルトに設立された。

 

1944年1月、化学兵器生物兵器に関するすべてのプロジェクトを担当することになった。

第2次世界大戦後、日本やドイツによる生物化学兵器の研究開発結果はキャンプ・デトリック(1955年からフォート・デトリックに格上げ)へ運ばれた。

 

 

ここは今でもアメリカ軍の生物化学兵器開発の中心的な存在である。

日本の生物化学兵器の開発は軍医学校、東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部が中心になって進められた。

 

その一環として生体実験をおこなうため、中国で加茂部隊が編成されたが、その責任者が京都帝国大学医学部出身の石井四郎中将。

 

後ろ盾は小泉親彦軍医総監だったとされている。

その後、加茂部隊は「東郷部隊」へと名前を替え、1941年には「第七三一部隊と呼ばれるようになり、捕虜として拘束していた中国人、モンゴル人、ロシア人、朝鮮人を使って生体実験する。

 

こうした人びとを日本軍は「マルタ」と呼んでいた。

 

この部隊の隊長を1936年から42年、そして45年3月から敗戦まで務めた人物が石井四郎

 

途中、1942年から45年2月までを東京帝国大学医学部出身の北野政次少将が務めている。

ソ連の参戦が迫っていた1945年8月、関東軍司令官の山田乙三大将の命令で731部隊に関連した建物は破壊され、貴重な資料や菌株は運び出された。

 

監獄に残っていた捕虜を皆殺しになる。

 

捕虜の多くは食事に混ぜた青酸カリで毒殺されたが、食事をとろうとしない者は射殺された。

 

死体は本館の中庭で焼かれ、穴の中に埋められた。

 

日本軍は監獄などを爆破した上で逃走している。(常石敬一著『消えた細菌戦部隊』海鳴社、1981年)

石井たち第731部隊の幹部は大半が日本へ逃げ帰るが、日本の生物化学兵器に関する情報はアメリカ軍も入手していた。

 

1946年に入ると石井たちアメリカ軍の対諜報部隊CICの尋問を受けることになるが、厳しいものではなく、資料はアメリカ側へ引き渡された。

尋問の過程でGHQ/SCAPの情報部門G2の部長を務めていたチャールズ・ウィロビー少将と石井は親しくなり、隊の幹部たちはアメリカの保護を受けるようになる。

 

日本が提供した資料や研究員はドイツから提供された知識と同じように、アメリカにおける生物化学兵器開発の基盤になった。

1950年6月に朝鮮戦争が勃発、52年2月に朝鮮の外務大臣アメリカ軍が細菌兵器を使用していると国連に抗議した。

 

アメリカ側は事実無根だと主張したが、1970年代にウィリアム・コルビーCIA長官は議会証言の中で、1952年にアメリカ軍が生物化学兵器を使ったと認めている。

朝鮮戦争では捕虜になったアメリカ人パイロット約30名が生物兵器を投下したと告白したが、アメリカ政府はこうした主張をプロパガンダだとして全面的に否定する。

 

「洗脳」という用語も使われた。

 

帰国後、パイロットたちは国家反逆罪に問うと脅され、告白を取り消している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

そこでイギリス、イタリア、スウェーデンソ連、フランス、ブラジルの科学者で調査団が編成され、1952年10月に報告書を発表、実際に生物兵器は使われたとしている。(Robert Harris & Jeremy Paxman, “A Higher Form Of Killing,” Arrow Books, 2010)

朝鮮戦争の前から日本では生物兵器に関係すると思われる動きがあった。

 

1946年に厚木基地からほど近い倉庫をアメリカ軍の極東医療分隊に所属する「406医療一般研究所」が使っていたが、これは病原体の媒介昆虫に関する研究用の「倉庫」と見なされていた。

 

後に同部隊は東京都千代田区丸の内の三菱ビル内へ移動、朝鮮戦争の際には戦闘地域へ要員を派遣している。

(Stephen Endicott & Edward Hagerman, "The United States And Biological Warfare", Indiana University Press, 1998)

オーストラリア人のウィルフレッド・バーチェットはジャーナリストとして朝鮮戦争におけるアメリカ軍の生物兵器使用告発している。

 

彼がインタビューしたアメリカ人捕虜は中国の尋問官に対し、細菌戦を行なったと自白していた。

 

こうした彼の報道はアメリカやオーストラリアの政府を怒らせ、その後、彼に対する誹謗中傷が繰り返されることになる。

なお、​2010年にはアル・ジャージーラも、朝鮮戦争アメリカ軍が生物兵器を使用したとする調査団やバーチェットの結論を支持する報告書を発表している​のだが、こうした生物兵器の使用に日本の専門家が無関係だったとは言えない。

 

 

アメリカの情報機関や軍はアメリカ国内でも実験していた。

 

例えば、1950年にアメリカ海軍がサンフランシスコで「バチルス・グロビジー炭疽菌と同属)」セラチア菌を散布したとされ、55年にはCIAがフロリダ州タンパで生物戦争の実験を行い、その後に百日咳の患者が急増、56年から58年にはジョージア州フロリダ州にある貧困地区で黄熱ウイルスを持つ蚊を使った実験を実施、死者も出ている。

また、1966年にはアメリカ陸軍の特殊部隊がニューヨーク市の地下鉄でバチルスを撒く実験を実施、またCIAは68年と69年に上水道へ毒を混ぜる実験をワシントンのFDA(食品医薬品局)のビルで行なった。

(Edited by Ellen Ray & William H. Schaap, “Bioterror,”Ocean Press, 2003)

731部隊の人脈は朝鮮戦争時に「日本ブラッドバンク」を設立、後に社名はミドリ十字へ変更された。

 

現在は田辺三菱製薬の一部だ。

 

1947年に創設された国立予防衛生研究所(予研)も同じ人脈。

 

この研究所は1997年には国立感染症研究所(感染研)に改名され、「COVID-19対策」で中心的な役割を果たしている。



こうした歴史を振り返れば、COVID-19騒動の背後にアメリカの国防総省が存在していることは自然なことだとわかる。

 

この騒動ではmRNA技術を利用した遺伝子導入剤が使われているが、その薬剤を販売している企業がファイザーモデルナ

 

京都大学ファイザーと、東京大学はモデルナと手を組んでいるが、731部隊を操っていたのは軍医学校、京都帝大、東京帝大であり、構図に変化はない。

こうした延長線上にウクライナにおける生物化学兵器の研究開発がある。​

 

ディリヤナ・ゲイタンジエワによると、ドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があり、各研究所は2010年から13年の間に建設された​という。

 

 

2013年はアメリカがウクライナでクーデターを始めた年だが、その年にアメリカ国防総省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれた。

 

実際、この施設は建設された。

アメリカ軍がロシア周辺で行っている生物兵器の研究開発にロシアが気付いたのは2008年だという。

 

この年、イスラエルアメリカの支援を受けたジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃したのだが、その際、ロシア軍はジョージアに謎のバイオ研究所があることを知ったという。

 

この国にはアメリカ軍のバジアニ空軍基地があるが、その近くにあるルガー・センター(国立疾病管理公衆衛生センター)ではアメリカ軍が生物化学兵器の研究開発をしていると言われている。

ウクライナでの研究開発の実態が明らかになるのは2022年2月24日にロシア軍がドンバスへ軍事侵攻してから。

 

ロシア軍はウクライナの軍事施設だけでなくアメリカ国防総省生物兵器研究開発施設破壊した。

 

 

ウクライナにはアメリカ国防総省のDTRA(国防脅威削減局)にコントロールされた研究施設が約30カ所あったと言われている。

 

その際、機密文書も回収した。

 


​そうした文書の分析でアメリカが「万能生物兵器」を開発していたことが判明したと2023年4月に発表された​。

http://duma.gov.ru/media/files/yAyvTotA3CCDYVpDmjA4mfOIl8jAEc8R.pdf

 

アメリカは人間だけでなく動物や農作物にも感染させることができる普遍的な遺伝子操作生物兵器の開発を目指していたというのだ。

 

生態系を破壊し、大規模で取り返しのつかない経済的損害を与える遺伝子組換え生物兵器を開発していたというわけである。