きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

遊覧船死者とワクチン接種死者の違いは利益の違い ~金にならない命は尊い~

 

人命より利益を優先する構図
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2022/04/post-74c9b0.html

知床遊覧船が、波浪注意報が発令され、航行条件が悪化することが予知できるなかで出航を強行し、重大事故を引き起こした。

しかも、安全確保のために必要不可欠な無線連絡手段に重大な不備があるなかでの航行だった。

当該海域の状況に詳しい漁業関係者、他の遊覧船関係者が出航するべきでないとアドバイスするなか、知床遊覧船は出航を強行した。

出航を判断したのは知床遊覧船の桂田精一社長。

桂田氏は金銭的な利益を優先して安全対策をおろそかにしたと見られる。

人命を預かる企業が人命第一をおろそかにして金銭的な利益を優先した。

その結果として多数の人命が失われている。



現在も懸命の救助活動が行われており、一刻も早い救助が求められるが、当該海域の水温は低く、生存の可能性が低下しつつある。

メディア報道は知床遊覧船の安全管理体制のずさんさを厳しく追及している。

ところが、知床遊覧船の桂田精一社長の言動からは、責任の所在の認識、心からの反省と謝罪、犠牲者や行方不明者ならびにその家族に対する真摯な姿勢が窺われない。

メディアは声をそろえて、「人命最優先」が鉄則である遊覧船運行事業における安全確保に対する認識と対応の甘さを追及する。

これは当然のこと。

人命最優先の根本原則を踏まえれば、重大なリスクの存在が確認されながら、そのリスクを軽視して杜撰な航行を強行させた知床遊覧船桂田精一社長の責任は計り知れない。

この問題と対比して考えるべき問題がある。

ワクチンの問題。


新型コロナワクチンは新種のワクチンである。

遺伝子ワクチンは新種のワクチンで、長期的な安全性が確認されていない。

新型コロナウイルスのワクチンとして用いられているメッセンジャーRNAワクチンおよびウイルスベクターワクチンについては,医薬品医療機器等法第14条の3に基づく特例承認にとどまっており,長期にわたる被接種者の追跡調査という治験がまったくない。

つまり、極めて重大なリスクを伴う可能性がある。

専門家からも重大リスクに対する警告が発せられてきた。

しかしながら、政府は新型コロナワクチンのリスクを十分に説明することなく、ワクチン接種を熱烈奨励してきた。

しかし、その結果として何が起きているのか。

報告された事例だけでも1500人を超える接種後急死者が確認されている。

しかも、この報告数が氷山の一角と考えられている。

これまでの季節性インフルエンザワクチンについては、接種後急死者の全数が報告義務の対象とされてきた。

ところが、新型コロナワクチンでは、副反応報告義務が大幅に改変、緩和された。

医師が関連性を認める場合に限って報告することとされたのだ。

厚労省可能な限り報告しないことを奨励する運用を行っていると見られる。

実際に、ワクチン接種当日に急死した事例について、これを報告したところ、当局から問題視され、病院から勝手に報告するな注意を受けた医師の証言も存在する。

アナフィラキシーショックの報告についても、インフルエンザワクチンでは接種後24時間以内に発生したものが報告対象とされたが、新型コロナワクチンでは接種後6時間以内へと4分の1の時間に短縮された。

つまり、副反応の報告が少なくなるように制度が変更されたのである。

死亡、アナフィラキシー以外でも、入院、機能障害およびその恐れ、については、インフルエンザワクチンでは全数が報告義務の対象とされたが、新型コロナワクチンでは医師が関連性を認めた場合に限って報告することとされた。

しかも、インフルエンザワクチンでは「副反応報告」とされていたものが、新型コロナワクチンでは「副反応疑い報告」に変更された。

報告されたものは「副反応」ではなく、あくまで「疑い」に過ぎないとするためだと思われる。



この状況下で何が起きているか。

氷山の一角と見られる公表ベースの接種後急死者数においてさえ、新型コロナワクチン接種後の急死者数は、接種人数当たり急死者数で季節性インフルエンザワクチンの250倍に達している。

驚くべき数の市民が新型コロナワクチン接種後に急死している。

かけがえのない命を失っている点で遊覧船事故による死者とワクチン接種後の急死者に違いはない。

この多数の死者発生について、政府の対応、メディアの対応は、遊覧船事故への対応と著しい落差を示している。

ワクチン接種後急死の事例を重大視しないことが著しく不当である。