記事「ブチャの大虐殺を行ったのはウクライナ軍である」 の要点と疑問点 ~遺体から発見された金属製のダーツは、2014年以来、ウクライナ軍によってドンバスの住民に対して広く使用されていた
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=312894
4月29日の編集長の記事で、フランス国家憲兵隊の法医学部門の専門家18人とキエフの法医学調査チームの調査によって、「ブチャの大虐殺」はウクライナ軍が行った銃撃で民間人が死亡したことを証明したという事でした。
その「ブチャの大虐殺を行ったのはウクライナ軍である」という記事の要点をまとめてくれているツイートがありましたので紹介します。
解剖を行なったウクライナの法医学者ピロフスキー氏は、「私達はこの地域の同僚と、遺体から金属製のダーツを発見しました。」と言っていますが、それらは通常長さ3〜4センチメートルで、戦車の砲弾や野戦砲に含まれる一種の榴散弾だということです。
この金属製のダーツは、2014年以来、ウクライナ軍によってドンバスの住民に対して広く使用されていたもので、ロシア軍はこの戦争でこのD-30榴弾砲を使用していない。
記事には、
「戦争の初めから、ウクライナの砲兵隊はヴォクザルナヤ通りのロシアの縦隊に砲撃した。
…ロシア軍がこの地域から撤退する数日前の3月下旬、彼らは再び発砲し、ロシア軍がキエフとチェルニーヒウ地域を離れるとすぐに攻撃を繰り返した。
…民間人はウクライナ軍によって行われた銃撃で殺された。」
と書かれています。
ただ、こうした説明では理解できない疑問があります。
記事にも書かれているのですが、“なぜいくつかの死体は手を縛られた状態であったのか?”です。
また、「ブチャの集団墓地、最大300人の遺体埋葬か」と題する記事が4月6日にロイターから出ており、
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/04/300-21.php
4月22日にはBBCが、「マリウポリ近郊に集団埋葬地か、3月末から拡張見られると=米衛星画像分析」と言う記事を出しています。
“ウクライナの地元当局は、ロシア軍が殺害したマリウポリ市民を埋葬していると非難している。
…ウクライナや西側の同盟国は、民間人の大量殺人の責任はロシア軍とロシア政府高官らにあると非難している。”
として、民間人殺害をロシア軍によるものとしています。
しかし、PickUpさんの検証「ブチャの集団埋葬の真相」と題するツイートによれば、
“遺体の人々が誰であったかはまだ分からないが、2月25日からゼレンスキーが、誰にでも武器を大量に配り始め
…3月3日には、ゼレンスキーはさらに、全ての民間人がロシア兵を殺害することを認める法律に署名している。
この背景には、民間人の犠牲者が増えても、それは後でロシアのせいにできる、という計算があったのではないか。
…キエフ周辺では、新たに武器を手に入れ武装した多くの「民間人」が、ロシア軍だけでなく、ウクライナ軍や、民間人同士で攻撃し合っていた。
…遺体が集められ、墓が掘られたのは「3月12日」で、ロシアの占領期間中ではない”
とのことです。
“手を縛られた状態の死体”に関しては、4月5日の記事の「特殊部隊によるウクライナ人を一掃する特殊任務」が発表されていた事と、
4月6日の記事の「殺害現場を目撃した人のツイート」の内容から、
ロシア軍全部隊がブチャから撤退後に、ブチャでロシア軍と協力関係にあるウクライナ人がウクライナの特殊部隊によって殺害されたと思っています。
8年前の5月2日に反クーデター派住民が虐殺されたオデッサで当局が外出禁止令
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202205010000/
黒海に面したウクライナの港湾都市、オデッサの当局は5月1日22時から3日5時まで外出を禁止すると発表した。
オデッサを含むウクライナの東部や南部はロシア語を話す住民が多く、ビクトル・ヤヌコビッチの地盤だった。
ヤヌコビッチはアメリカの私的権力に嫌われている人物。
2004年に実施されたウクライナ大統領選挙では新自由主義者のビクトル・ユシチェンコを破って勝利するが、ユシチェンコ陣営は「不正選挙」だと主張、2004年から05年にかけてデモや政府施設への包囲などで新政権を揺さぶった。
西側もこの行動を支援し、ユシチェンコが大統領の座を奪うことに成功した。
いわゆる「オレンジ革命」だ。
ユシチェンコの新自由主義的な政策によって西側の私的権力やその手先は利益を得たが、大多数の人びとは貧困化、2010年の大統領選挙でもヤヌコビッチが勝利する。
アメリカのバラク・オバマ政権はネオ・ナチを利用してクーデターを仕組み、2014年2月にヤヌコビッチを排除することに成功。
ヤヌコビッチの地盤である東部や南部の住民はクーデターに反発するが、その中にはオデッサも含まれていた。
キエフにおけるネオ・ナチによる残虐行為を知ったクリミアの住民は3月16日の住民投票を経てロシアと統合する道を選ぶ。
それに対し、4月12日にCIA長官だったジョン・ブレナンがキエフを極秘訪問、22日には副大統領のジョー・バイデンもキエフを訪れた。
バイデンの訪問に会わせるようにしてクーデター政権はオデッサでの工作を話し合ったと伝えられている。
そして5月2日、ウクライナ軍が制圧していたオデッサでは反クーデター派の住民が虐殺される。
https://orientalreview.org/2014/05/14/bloodbath-in-odessa-guided-by-interim-rulers-of-ukraine/
その日、オデッサではサッカーの支配が予定されていたため、サッカーのフーリガンが集まっていた。
そのフーリガンをネオ・ナチの右派セクターが挑発して反クーデター派の住民が集まっていた広場へ誘導する。
女性や子どもを含む住民は労働組合会館へと「避難」させられ、その中で右派セクターは住民を虐殺したのだ。
労働組合会館では48名が殺されたとされているが、これは地上階で確認された死体の数にすぎない。
地下室で惨殺された人を加えると120名から130名になると現地では言われていた。
会館の中で住民は撲殺されたり射殺され、その後で放火している。
上の階へ逃げた人びとを焼き殺すことも目的だったようだ。
屋上へ出るドアはロックされ、逃げ出すことはできなかった。
屋上には右派セクターであることを示す腕章をした集団がいたので、この集団が反クーデター派の住民を殺すためにロックしたとみられている。
この時、会館の外で撮影された少なからぬ映像が存在、内部の無残な様子も撮影されて公開されていたが、すでに削除されたようだ。
2018年にロシアへ亡命したSBUの将校、バシリー・プロゾロフによると、SBUには「死の部隊」が存在、暗殺、誘拐、拷問を実行している。
そのターゲットのひとりはルガンスクのクーデター政権が支配している地域の市長で、ロシアと話し合いでの解決を目指していたボロディミル・ストルク。
3月1日に誘拐され、拷問された上で胸を撃たれて死亡した。
3月5日にはロシアと交渉しているチームのひとり、デニス・キリーエフがキエフの路上で治安機関SBUの隊員に射殺され、
3月7日には殺されたゴストメルのユーリ・プライリプコ市長の死体が発見されている。
ウクライナでは11名の市長が行方不明だともいう。
ゼレンスキー政権は3月後半、ロシア語系住民を支持基盤とする11の政党を禁止。
そうした政党のひとつを率いるビクトル・メドヴェドチュクは昨年から軟禁状態だったが、今年4月に逮捕され、手錠をかけた姿を撮影した写真が公開された。
ウクライナ側はメドヴェドチュクとウクライナ兵との交換を求めている。
ウクライナの南部にあるミコライフ州のビタリー・キム知事は4月21日、「ウクライナ24テレビ」の番組で「全ての裏切り者を処刑する」と語った。
(*西側の植民地の報道↓)
そうした処刑を実行するための秘密部隊を編成、すでに作戦を遂行しているともいう。
キムにとって「裏切り者」とはウォロディミル・ゼレンスキーの政策に同意しない人びとだ。
ゼレンスキー政権はネオ・ナチ、つまりCIAのコントロール下にあるとみられている。
CIAがベトナムやラテン・アメリカで展開した住民虐殺作戦をウクライナでも実行しているようだが、これは住民の間でゼレンスキー政権に対する反発が強まっていることを暗示している。
オデッサで住民がネオ・ナチに虐殺された5月2日に人びとの怒りが爆発することをオデッサの当局は恐れているのだろう。