きなこのブログ

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「笛吹けども踊らず」状態のNATOに業を煮やし米政権は露国内でのテロに切り替え

ウクライナでの勝利が絶望的になった米政権は露国内でのテロに切り替えた可能性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202302150000/

ロシアの対外情報機関SVRアメリカがロシアを含む旧ソ連圏でテロ活動を実施する準備を進めていると発表した。

 

外交官、公務員、治安機関員、軍人がターゲットをターゲットにするとされているが、第1の目標はウラジミル・プーチン大統領だろう。

 

 


テロを実行させるため、アメリカは北カフカス中央アジアからの移民を中心に約60名をシリアのアル・タンフ基地に集め、訓練しているという。

 

この基地は2011年にアメリカなどがシリアに対する侵略戦争を始めて以来、バグダッドとダマスカスを結ぶ幹線を断ち切る形で存在している。

 

アメリカ軍の基地だが、イギリス軍の特殊部隊も駐留、CIAは傭兵を訓練してきた。

ウクライナは2014年2月のクーデター以来、ネオ・ナチ体制の影響下にあり、その背後にはアメリカ/NATOが存在している。

 

そのネオ・ナチを率いているひとりのドミトロ・ヤロシュは1971年生まれで、89年にネオ・ナチと見られるグループで活動を開始、94年に「三叉戟」を創設、指導者になった。

 

 

ヤロシュはドロボビチ教育大学の出身だが、その時に学んだワシル・イワニシン教授はKUN(ウクライナナショナリスト会議)の指導者グループに属、そのKUNはステパン・バンデラ派のOUN-B人脈によって組織されている。



イワニシンが2007年に死亡するとヤロシュが後継者になるが、このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。

その年の5月にウクライナのテルノポリで開かれた欧州のネオ・ナチ中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議で議長を務めた。

 

その当時アメリカのNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランドだ。



ウクライナのネオ・ナチはシオニストイスラムのジハード人脈とも友好的な関係にある。

 

クーデター後の2014年3月にヤロシュは声明を発表し、その中でチェチェンやシリアでロシアと戦ったサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)などイスラム系の武装集団への支援を表明している。

ズビグネフ・ブレジンスキーアフガニスタンソ連軍を引き込み、そのソ連軍と戦わせるために1970年代にサラフィ主義者やムスリム同胞団を利用して傭兵の派遣システムを組織した。

 

1970年代のことだ。



イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めた​ロビン・クックが2005年7月にガーディアン紙で、アル・カイダ」はCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン(イスラム戦士)」の登録リストだと説明した​。

 

 

アラビア語アル・カイダはベースを意味、データベースの訳語としても使われる。

 

後に出てくるDAESH(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)も同じ構造だ。

本ブログでも繰り返し書いてきたが、ウクライナの問題を話し合いで解決する動きアメリカ/NATOは昨年3月上旬から壊しにかかっている。

 

この辺の事情は​イスラエルの首相だったナフタリ・ベネット​も語っている。

 

 

ベネットは2022年3月5日にモスクワでウラジミル・プーチンと数時間にわたって話し合い、ウォロディミル・ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけた。

 

ベネットの仲介によるロシア政府とウクライナ政府は話し合いで双方とも妥協、停戦は実現しそうだった。

 

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領はNATOへの加盟を諦めた。​

 

ウクライナ治安機関SBUキエフの路上でゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフ射殺したのはその3月5日だ​。

 

 

 

4月に入ると西側の有力メディアはロシア軍がブチャで住民を虐殺したと宣伝し始める。

 

マクサー・テクノロジーズなる会社から提供された写真を持ち出し、3月19日に死体が路上に存在していたと主張しているが、疑問が噴出した。

 

アメリカ/NATOキエフ政権による偽情報の流布だったことは決定的だが、ベネットによると、このブチャ騒動でイスラエルが仲介した話し合いは壊れたという。

アメリカ軍も指摘しているが、ロシア軍はウクライナで非戦闘員の犠牲を抑えるよう、慎重に攻撃している。

 

戦闘は長引くほど危険だと考えるアメリカの元政府高官から批判されるほどだった。

 

プーチン大統領は昨年9月21日に部分的な動員を実施すると発表したが、ロシア政府が話し合いでの解決を諦めたのはこの頃だろう。

 

その時までロシア軍やドンバス軍は圧倒的に少ない戦力で戦っていた。

司令官の交代も注目された。

 

西部軍管区司令官の司令官がロマン・ビアルニコフ中将へ、またドンバス、ヘルソン、ザポリージャの指揮官としてセルゲイ・スロビキン大将を任命、またチェチェン軍を率いているラムザン・カディロフは上級大将の称号を与えている。

岩塩の採掘場を利用して作られた「地下要塞」のあるソレダルをロシア軍が制圧した頃、ワレリー・ゲラシモフ参謀総長ウクライナにおける軍事作戦の統合司令官にするという発表があった。

 

スロビキンは副官になるが、ドンバス、ヘルソン、ザポリージャでの作戦を指揮することに変わりはない。

 

 

この頃からロシア政府は戦いの相手をNATOだと明言するようになる。

 

NATOとの戦争も覚悟したのかもしれないが、これはNATO加盟国に小さくない影響を及ぼしたはずだ。

ネオコンのような反ロシアの好戦派はいきりたつが、「笛吹けども踊らず」といった状態。

 

そこでテロ工作が始まる。

 

​昨年8月20日にはモスクワでトヨタ製ランド・クルーザーが走行中に遠隔操作で爆破され、乗っていたジャーナリストのダーヤ・ドゥギナが殺された​が、

 

 

本格的な破壊活動と言えるのは昨年9月26日に実行されたノード・ストリーム(NS1)とノード・ストリーム2(NS2)の爆破だろう。



​イギリスの首相だったリズ・トラスは爆破の1分後、iPhoneアメリカのアントニー・ブリンケン国務長官に対し、「やった」というテキストのメッセージを送っている​。

 

 

 

この情報は10月30日に報じられたが、その前日、ロシア国防省はこれらのパイプラインを破壊したのはイギリス海軍だと発表、トラスはその4日前に辞任している。



​イギリスのベン・ウォレス防相​は10月18日、

アメリカを秘密裏に訪問してジェイク・サリバン国家安全保障補佐官、

 

 

ロイド・オースチン国防長官、

 

 

マーク・ミリー統合参謀本部議長

 

 

そして国務省や情報機関の高官と会談している。

 

 

電話を使わず、直接アメリカへ行ったことから通信のセキュリティーに不安があったと考える人もいた。

この爆破に関する記事を調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは2月8日に発表​した。

 

NS1とNS2を爆破したのはアメリカ海軍の特殊部隊だとする記事を調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは発表した。

 

 

その記事によると、ジョー・バイデン大統領は2021年後半にNS1とNS2の爆破を決断、サリバンを中心とする対ロシア工作のためのチームを編成した。

 

その中には統合参謀本部、CIA、国務省、そして財務省の代表が参加、12月にはどのような工作を実行するか話し合っているという。

 

2022年初頭にはCIAがサリバンのチームに対し、パイプライン爆破計画について報告している。

 

イギリスのウォレス防相はこのチームと会ったと言えるかもしれない。

10月8日には​クリミア橋(ケルチ橋)が爆破された​。

 

 

この橋はクリミア半島とロシア本土を結んでいるが、自動車用道路、そして並行して走る鉄道を走行していたディーゼル燃料を運ぶ列車7両に引火した。

 

ウクライナ大統領府長官の顧問を務めるミハイロ・ポドリャクはこの破壊工作について「始まりだ」と発言、こうした工作を続ける意思を表明している。

ここにきて​計画したのはイギリスの対外情報機関MI6(SIS)だという情報​が出てきた。

 

西側の有力メディアが実行者をSBUだとしているのはそのためだという。

CIAは半世紀前にアフガニスタンイスラム系傭兵システムを築き、体制転覆工作などに使い、暗殺にも利用してきただろうが、その前からNATOの内部には秘密部隊のネットワークが存在している。

 

中でも有名な組織がイタリアのグラディオで、1960年代から80年代にかけて極左を装い、爆弾テロを繰り返した。

このネットワークのベースは第2次世界大戦の終盤に作られた。

 

アメリカのOSS(戦略事務局)やイギリスのSOE(特殊作戦執行部)がレジスタンス対策として「ジェドバラ」というゲリラ戦部隊を編成したのである。

 

西部戦線でドイツと戦っていたレジスタンスはコミュニストが主体で、OSSSOEの黒幕、つまり巨大金融資本にとってレジスタンスは敵だった。

ヨーロッパでの戦争はスターリングラードでの戦いでドイツ軍はソ連軍に敗れ、1943年1月に降伏している。

 

この時点で事実上、ヨーロッパでの戦争は終わっていたのだが、「ソ連の勝利」を容認できないイギリスとアメリカの一部支配層が動き始める。

 

そしてジェドバラも作られたわけだ。

大戦後にOSSは廃止され、分析担当者は国務省へ、諜報/防諜担当者は陸軍省へ所属することになる。

 

ゲリラ戦部隊のジェドバラの一部メンバーは軍へ移動、グリーン・ベレーをはじめとする特殊部隊の創設に関わった。

(William Colby, “Honorable Men”, Simon and Schuster, 1978)

ジェドバラ人脈の一部は破壊活動を目的とするOPCを組織。

 

活動の中心はヨーロッパだったが、東アジアにも拠点はあった。

 

中華人民共和国が成立する前には上海を拠点にしていたが、その後は日本へ移動、厚木基地など何カ所かに拠点は作られた。

OPCは1950年10月にCIAへ吸収され、翌年1月にはアレン・ダレスがOPCとOSOを統括する副長官としてCIAへ乗り込む。

 

そして1952年8月にはOPCが中心になり、CIAの内部に「計画局」が設置され、秘密工作の中枢になる。

 

その後、名称は変更されるが活動内容は基本的に変化していない。