きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

米英中みんなで支えるWHO事務局長

イスラエルを助けるためにイエメンを攻撃している米英がWHO事務局長を支える
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202401250001/

アメリカとイギリスは1月12日からオーストラリア、バーレーン、カナダ、そしてオランダを引き連れてイエメンを攻撃している。

 

イスラエル軍はガザで2万5000人以上をすでに殺害、そのうち4割は子ども、女性を含めると7割に達するとされている。

 

そうした虐殺を止めるべく、イエメンのフーシ派(アンサール・アラー)はイスラエルへ向かう船舶に対する攻撃を始めた。

 

それに対する報復、つまりガザでの虐殺支援がジョー・バイデン政権の目的だと見なされている。

 

フーシ派の攻撃に米英が反応した理由は、イエメンの攻撃がそれだけイスラエル経済に対して大きなダメージを与えているからだろう。

イエメンはアラビア半島の南西端にあり、アデン湾を挟んでソマリアと、ジブチと紅海への入り口を構成、エチオピアとも面している。

 

 

紅海を進んで行けばスエズ運河だ。

 

ジブチにフランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、スペイン、中国、日本が軍事拠点にしている理由もそこにある。

ソマリアジブチエチオピアエリトリアを含むアフリカ大陸の東端にある突き出た部分は「アフリカの角」とも呼ばれている。

 

アメリカなど欧米諸国はこの地域を支配するため、さまざまな工作を行なってきた。

 

 

エチオピアでは2020年11月にTPLF(ティグレ人民解放戦線)が政府に対して反乱を開始するが、TPLFの背後にはアメリカ政府が存在していた。

 

アメリカはTPLFにエチオピア支配させたようとしたのだ。

 

30年間にわたってアメリカはTPLFへ年間約10億ドルの援助を注ぎ込み、「ワシントンの警察官」としての役割を果たさせようとした。

ところが、2018年にTPLFは民衆の反乱で倒され、オロモ民主党の元党員であるアビイ・アーメド氏が権力の座に就く。

 

エチオピアの隣国であるエリトリアは1993年にエチオピアから分離独立した国で、アメリカのAFRICOM(米アフリカ軍)の存在に抵抗している。

エリトリアではEPLF(エリトリア人民解放戦線)が1991年5月に臨時政府の樹立を宣言、93年5月に独立した。

 

その当時からエリトリア世界銀行IMFからの融資を拒否社会主義体制の下で経済的自立を進めた。

 

つまり、アメリカの思い通りにならない国だ。

 

アメリカは2000年代半ばから「制裁」を課している。

エチオピアのTPLFはアメリカにとって重要な手先だが、WHO(世界保健機関)のテドロス・アダノム事務局長はその幹部だったと言われている。

 

【テドロスはかつて、エチオピアの過激派組織「ティグレイ・エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)」に所属し、(日本であれば、あさま山荘事件を起こした連合赤軍によるテロ組織のようなものです。)首領3人のうちの1人として大きな影響力を奮っていました。


EPRDFは、ソ連レーニンや中国の毛沢東のような共産主義を掲げ、「土地国有化」という名目で、私有地を略奪するなど、初期の中国共産党のようなゲリラ活動を行なってきました。

 

ゲリラ活動が功を奏し、ティグレイ人民解放戦線の指導下で、政党を立ち上げ、その後の1991年に政権を奪取しました。

テドロス氏は正式に医者の仕事を経験したことがありません。

 

その実態は、「プロの政治家」です。

 

彼は1986年にエチオピア大学を生物学学士として卒業し、与党のエチオピア人民革命民主戦線が管轄している軍隊で衛生兵として服務しました。

その後はイギリスに留学し、2005年にエチオピアの健康保健機関の大臣に就任し、2012年11月に外務大臣になりました。

 

国連の公開資料によると、テドロス氏が健康保健機関の大臣から外務大臣に就任する期間に中国からの寄付金が急増しました。

政権に就いた当初は、支持率も高く、共産党ならではの「甘い言葉」で4つの野党と統合しました。

 

合併というよりも「呑み込んだ」と言ったほうがいいかもしれません。

そして、最大独裁政党の「エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)」を結成しました。

 

その後、経済政策の失敗で大飢饉が発生し、政権を打倒しようとする有志の国民らを弾圧。

 

さらには大虐殺まで行いました。

 

当時は合併された元野党の議員たちがティグレイ人民解放戦線の異常性、残虐性がやっと分かり、離党、分裂しようとする党員が決起しました。

 

しかし、すぐに国家反逆罪で逮捕されて、全員処刑されました。

 

その他にも、何十年もの間に、オロモ(Oromo)民族の土地を強奪し、「民族浄化」という名の民族大虐殺まで行いました。
 

テドロス氏自身が、こうした政治運動に参加したか否かは、現時点ではまだ確認されていませんが、少なくとも「エチオピア人民革命民主戦線」が、彼の所属政党であり、彼が極左イデオロギーの持ち主であることは証明されました。

また、エチオピア人民革命民主戦線は大虐殺、テロ行為を行ったため、1990年に1度、アメリカ政府が「指定テロ組織」のリストに入れました。】

 

2013年から15年にかけてTPLFの治安部門に所属し、殺人や拷問に関係していたと批判されている。