きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

日本政界とアメリカ政界の統一教会 1-2

1973年までに、文鮮明は自分の使命をアメリカに持ち込み、ニューヨーク州タリータウンのイースト・ガーデンと呼ばれる18エーカーの森林地帯に居を構えた。

 

そこでは、アルコールとドラッグが禁止され、結婚以外のセックスをすると罪人として燃えるような天罰を受けるという新しいコミュニティを設立した。

 

1974年までに、アメリカの統一教会は年間800万ドルの収益を上げ、文鮮明はその2年後にニューヨーカー・ホテルと隣接するマンハッタン・センターを購入することができたと言われている。

 

アールデコ調の建物は、統一教会アメリカでの活動拠点となり、統一教会の信者たちの子供たちが共同保育される場所となった。

 

前述のストレイトは3歳になるまでニューヨークで育ったが、両親が大学のキャンパスを探し回る勧誘員から「愛の爆撃(love bombed)」を受けた後だった。

 

ストレイトは、「多くの家族があのホテルに住んでいた。そこから、人々が資金集めや布教活動に出かけた」と回想する。

統一教会は、若い男女を家族から引き離し、「洗脳(brainwashed)」されたとされる隔離されたキャンプに送り込むことで悪名高い存在となった(教会はこれを否定している)。

 

しかし、改宗の熱意(zeal of conversions)は、心配した親族が「ディプログラミング(deprogramming)」と呼ばれる連れ出しを開始することを促し、双方に訴訟が相次いだ。

 

文鮮明はまた、保守的な政治活動を支援し始めた。

 

ウォーターゲート事件の最中には、全米の新聞にニクソン支持の全面広告を掲載し、連邦議事堂で「神はリチャード・ニクソンを愛している(God Loves Richard Nixon)」集会を開いた。

 

文鮮明は魅力的な女性信者たちを派遣し、連邦上院議員たちを篭絡させ、情報を収集させた。

 

そうした信者の1人は、カール・アルバート連邦下院議長の側近にまでなった。

 

1974年、ホワイトハウスリチャード・ニクソン米大統領と会談する文鮮明牧師。

 

1981年10月22日、文鮮明牧師の巨大なポスターが経っている間にアメリカ国旗がいくつも立てられている。

彼の信者たちが一団となってアメリカ連邦地方裁判所の外の公園でデモを行っ写真。

1976年、米連邦議会の調査により、文鮮明が、アメリカの対北朝鮮政策に揺さぶりをかけようとする韓国の諜報活動に関与していたことが明らかになった。

 

1982年、文鮮明は脱税で有罪判決を受け、18カ月の禁固刑を言い渡された。

 

文鮮明は自らを型破りな信仰のために迫害された殉教者に仕立て上げ、ジェリー・ファルウェルやティム・ラヘイなど、さまざまな市民的自由主義者や宗教保守派から支持を集めた。

 

影響力を高めるため、文鮮明ワシントン・タイムズ紙を創刊し、その創刊号は文鮮明が有罪判決を受ける前日に発行され、ロナルド・レーガン大統領を含む保守派の間で必読の新聞となった。

文鮮明は信教の自由と反共の熱意を訴え、当時の冷戦の熱気の中で幅広い支持を得た。

 

ラテンアメリカでは、米州社会統一連盟(Confederation of the Associations for the Unification of the Societies of the Americas、CAUSA)を設立した。

 

アメリカ政府の情報筋によれば、CAUSAはコントラ反乱軍に現金と物資を送り、1980年に民主的に選出されたボリヴィア政府を転覆させた右派クーデターを画策した準軍事組織、コカインカルテル、逃亡中のナチス戦犯クラウス・バービー(「リヨンの虐殺者(Butcher of Lyon)」)といった多様な一団に資金を提供した。

冷戦が終結しても、文鮮明の並外れた政治的影響力を妨げることはなかった。

 

1995年、ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領とバーバラ夫人は韓国の統一教会で、一連の有料講演を行い、その1年後、ブッシュはブエノスアイレスを訪れ、文鮮明が設立した新しい地域日刊紙『ティエンポス・デル・ムンド』の創刊式で演説した。

 

その他の著名な仲間には、ジェラルド・R・フォード元大統領、共和党のジャック・ケンプ連邦上院議員、ミハイル・S・ゴルバチョフ、そして現在不祥事を起こしている芸能人のビル・コスビーなどがいる。

 

2000年、文はパラグアイデラウェア州とほぼ同じ広さの土地を購入した。

 

地元の警察当局は、統一教会武器や麻薬の密輸を容易にするためにこの土地を使用していると非難している。

 

統一教会は、その土地での違法行為を認識していると述べているが、関与は否定しており、警察当局に協力していると主張している。

 

2005年7月16日、パラグアイのタクアラで、プエルト・カサドの町のパラグアイ人たちが、文鮮明統一教会が自分たちの地域で取得した土地の一部を、自給自足農業のために自分たちに引き渡すよう政府に圧力をかけるため、自宅から首都アスンシオンまで148km(91マイル)の行進に参加した。

統一教会の政治的結びつきが強まるにつれて、そのプロパガンダも直接的になっていった。

 

2003年、ワシントン・タイムズは見開き2ページで、亡くなった36人のアメリカ大統領全員が文鮮明の卓越性を認めていたと主張した。

 

一方、トーマス・ジェファーソンは、墓の中から「全ての人々にとっての救世主である文鮮明師の教えに従え」という個人的な推薦文を書いた。

 

翌年、ダークセン記念連邦上院議員会館で行われた華やかな式典には、少なくとも12人の米連邦議員が出席した。

 

式典の中で、文鮮明は「戴冠式(crowned)」を行い、自らを「人類の救世主、救世主、帰天の主、真の親」と宣言した。

 

また、数百名のゲストを前にして、イエス仏陀ヒトラースターリン文鮮明の教えを通じて「生まれ変わり、新しい人間となった」と報告された。

 

共和党のロスコー・バートレット議員は文鮮明韓鶴子の前で一礼し、民主党のダニー・デイビス議員は文鮮明の頭に金の王冠を載せた枕を差し出した。

 

2006年、ジョー・バイデン大統領の弟のジェームズは、甥にあたるジョー・バイデンの息子ハンターとともに、文鮮明の義理の息子であるジェームス・パークが設立したヘッジファンドを購入した。

しかし、舞台裏で全てが順調だった訳ではない。

1984年、文鮮明の次男文興進(Heung Jin Moon)が自動車事故による負傷がもとで亡くなった。

 

17歳だった。

 

1999年、もう一人の息子文榮進(Young Jin Moon)がリノの17階建てのホテルの部屋から飛び降り自殺した。

 

一方、文鮮明の長男で後継者と目されていた文孝進(Hyo Jin Moon)は、飲酒、麻薬、無差別暴力を好む気まぐれな人物として知られていた。

 

1995年、妻のナンスク・ホンさんは家族と決別し、文孝進をコカインとポルノ中毒の不倫女たらしで、妊娠7カ月の時も含め定期的に暴力を振るったとして非難する本を書いた。

 

文孝進は2008年に心臓発作で亡くなった。

 

45歳だった。

 

両親が指導的立場の信者で、イースト・ガーデンの近くで育ち、現在は脱会した元信者であるテディ・ホースは、「成人した大人たちが、文鮮明の子供たちに頭を下げてかしずいてきたので、文鮮明の子供たちは、人々をおもちゃのように扱っていた。彼らはまさに反社会的家族だった」と述べている。

 

1986年に撮影された文鮮明の家族写真。

 

 

日本政界とアメリカ政界の統一教会 1