きなこのブログ

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核兵器・核戦争をビジネスにする

核兵器を恫喝に使ってきたイスラエル(前)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408220000/

イスラエル政府は7月31日、ハマスの幹部でイスラエルとの首席交渉官を務めていたイスマイル・ハニエとヒズボラの最高幹部のひとりであるフア・シュクルを暗殺した。

 

イランの新大統領マスード・ペゼシュキアンの就任式に出席するためにテヘランを訪れていたハニエを殺したということはイランへの挑発でもある。

イランがイスラエルに報復することは間違いないが、その前に手順を踏んでいる。

 

根回しをしていると言えるだろう。

 

このイランがヒズボラハマスと連携してイスラエルを早晩、攻撃するはずだ。

 

 

 

アメリカやその属国はイスラエルを守ろうとするはずだが、成功する可能性は大きくない。

ヒズボラ単独でもイスラエルは軍事的に勝てないと言われ、ガザではハマス相手に苦戦している。

 

中東の状況を悪化させ、アメリカが軍事介入せざるをえない状況をイスラエル政府は作ろうとしていると推測する人もいるが、そもそもイスラエルイギリスの戦略に基づいて作り出されたのであり、イギリスの戦略を引き継いでいるアメリカもイスラエルと一心同体の関係にある。



アメリカのジョー・バイデン政権や副大統領で民主党の大統領候補でもあるカマラ・ハリスイスラエルにブレーキをかけているかのような発言を続けているが、​SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)によると、イスラエルの武器輸入の69%はアメリカが占める。

 

その次がドイツで30%。

https://www.sipri.org/sites/default/files/2024-03/fs_2403_at_2023.pdf

 

​ほかのNATO加盟国も多くが供給しているが、アメリカとドイツで大半を占める

 

つまり、この2カ国が本当にイスラエル軍によるパレスチナ人虐殺を止めようと思えば、可能であり、ハリスたちの発言は口先だけである。

 

 

 

イスラエルには核兵器という切り札がある。

 

この国の核兵器開発はフランスの支援でスタート、1960年2月にイスラエルの科学者はサハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加している。

 

その直後にはイスラエル自身が長崎に落とされた原爆と同程度の核兵器を所有している。



1949年から63年まで西ドイツの首相を務めたコンラッド・アデナウアーはイスラエルとは友好的な関係にあった。

 

イスラエルのダビッド・ベングリオン首相の求めに応じて小火器、ヘリコプター、部品などを提供している。

 

1960年3月にニューヨークでベングリオン首相と会った際には、核兵器を開発するために61年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めている。

それに対し、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領はイスラエル核兵器開発に神経をとがらせていた(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)が、1963年11月にケネディ暗殺され、後任はシオニストの富豪アブラハム・フェインバーグから資金援助を受けていたリンドン・ジョンソン

 

フェインバーグ日本への原爆投下を許可したハリー・トルーマンのスポンサーでもあった。

 

 

イスラエル核兵器について内部告発したモルデカイ・バヌヌによると、彼の証言がサンデー・タイムズ紙に掲載された1986年10月当時、イスラエル保有していた核弾頭の数は150から200発。

 

水素爆弾をすでに保有し、中性子爆弾の製造も始めていたという。

 

中性子爆弾は実戦で使う準備ができていたとしている。

後にカーターはイスラエル保有する核兵器の数を150発だと推測、イスラエルの軍情報機関ERD(対外関係局)に勤務、イツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めた経歴を持つアリ・ベン-メナシェによると、1981年時点でイスラエルがサイロの中に保有していた原爆の数は300発以上。

 

水爆の実験にも成功していたという。(Seymour M. Hersh, "The Samson Option", Faber and Faber, 1991)

こうした核兵器イスラエル政府が使おうとしたことがある。

 

1973年10月にエジプトのアンワール・サダト政権はイスラエル軍に対して奇襲攻撃をかけた。

 

 

そして始まったのが第4次中東戦争である。

 


核兵器を恫喝に使ってきたイスラエル(後)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202408230000/

アンワール・サダトムスリム同胞団と密接な関係にあった。

 

ムスリム同胞団はガマル・アブデル・ナセルの暗殺を試みて失敗、少なからぬメンバーはサウジアラビアなど国外へ逃亡した。

 

そうした同胞団のメンバーをサダトはカイロへ呼び戻し、サウジアラビアとの同盟を打ち出すとともにアメリカやイスラエルとの関係を修復、その一方で1972年にはソ連の軍事顧問団をエジプトから追い出した。

そのサダトイスラエルを奇襲攻撃したのだが、彼の背後にはヘンリー・キッシンジャーがいた。

 

キッシンジャーによると、戦争の初日にサダトは秘密の情報チャンネルを使い、ワシントンに連絡している。(Henry Kissinger, “Crisis,” Simon & Schuster, 2004)

キッシンジャーは戦争でエジプトを勝たせ、サダト大統領をアラブ世界の英雄に仕立て上げ、それと同時にイスラエルへ「和平交渉」に応じるようプレッシャーをかけようと目論んでいた。

 

この和平とは部分的なもので、国連の242号決議とは根本的に違う。

 

 

キッシンジャーシオニストであることに変わりはなかった。

 

デイビッド・ロックフェラーもキッシンジャーと同じことを考えていた。

 

その際、サダトキッシンジャーをつなぐパイプ役を務めたのがサウジアラビアの情報機関を統括していたカマル・アドハムだ。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

こうしたキッシンジャーの動きにリチャード・パールポール・ウォルフォウィッツといった後にネオコンと呼ばれる人びとは激怒、統合参謀本部ではイスラエルを助ける方法を探りはじめた。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

一方、ソ連の情報機関は早い段階でイスラエルが核弾頭を使う準備をしている疑いを抱いていた。

 

その情報はエジプトのモハメッド・アブデル・ガーニー・エル・ガマシ参謀長に伝えられている。

 

10月9日の朝にはアメリカ政府へもイスラエル核兵器を使う準備をしていると警告していた。( William Colby, “Honorable Men”, Simon & Schuster, 1978)

この後、アメリカはイスラエルへ物資を輸送して反撃を支援しはじめる。

 

キッシンジャーサダトに行った説明によると、核戦争へとエスカレートすることを防ぐためだった。

実際、イスラエルゴルダ・メイア首相の執務室では核兵器の使用について議論があり、その際、モシェ・ダヤン国防相核兵器を選択肢として見せる準備をするべきだと発言したという。

 

アメリカのウィルソン・センターの調査によると、核兵器使用の準備をするという提案はメイア首相が拒否して実行されなかったというのだが、閣議核兵器の使用が決まったという情報もある。

10月16日にイスラエルの機動部隊が運河を越えてエジプト軍の背後に回り込みはじめ、エジプト陸軍の第3軍が窮地に陥る。

 

第3軍が壊滅したならキッシンジャーの計画は水泡に帰す。

ソ連のアレクセイ・コスイギン首相は16日にエジプトへ飛び、停戦するように説得、キッシンジャー20日にモスクワへ飛ぶ。

 

22日にキッシンジャーイスラエルから停戦の内諾を得るのだが、イスラエルはエジプトへの攻撃をやめない。

10月24日にソ連のアナトリー・ドブルイニン駐米大使はキッシンジャーに対し、米英両国が平和維持軍を派遣してはどうかと提案。

 

レオニード・ブレジネフ書記長はリチャード・ニクソン大統領宛の手紙の中で、アメリカがソ連と手を組めないのならばソ連は単独で行動すると警告されていた。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

 

戦争当時にCIA長官だったウィリアム・コルビーもそう証言している。(William Colby, “Honorable Men”, Simon & Schuster, 1978)

この直後、キッシンジャーニクソン大統領に知らせないままWSAG(ワシントン特別行動グループ)を招集して討議。

 

その会議で、まずニクソンの名前でブレジネフへソフトな内容の返信を送り、その一方でアメリカが核戦争の警戒レベルをDEFCON(防空準備態勢)を通常の5から3へ引き上げるということを決めた。

 

翌朝、ニクソンはこの決定を追認している。

 

25日には全世界のアメリカ軍に対して「赤色防空警報」が出されたともいう。(Len Colodny & Tom Shachtman, “The Forty Years War,” Harper, 2009)

そうした中、ダヤン国防相は核攻撃の準備を始め、2基のミサイルに核弾頭をセット、目標をダマスカスとカイロに定めている。

 

当時、イスラエルとの間に一線を引き、武器の供与に消極的だったニクソン大統領に対する恫喝だと推測する人もいる。

 

キッシンジャーイスラエルに停戦を強く求め、停戦は実現したのだが、イスラエルに「懲罰」を与えることはできなかった。

ニクソン大統領は1974年4月にCIA副長官だったバーノン・ウォルターズを中東へ秘密裏に派遣、PLOヤセル・アラファトと会談させている。

 

ウォルターズはアラファトに好印象も持ったようで、そのように報告。

 

その年の8月にニクソン大統領キッシンジャーに対し、もしイスラルが国連決議に従わないなら、軍事面も経済面もイスラエルに対する援助を打ち切るつもりだと伝えた。

 

ニクソンが辞任したのはその3日後だ。

 

ニクソン辞任を受け、副大統領から昇格したジェラルド・フォードデタント(緊張緩和)派を粛清、ネオコンを台頭させた。

 

(了)

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