アジアは1990年代後半の金融危機(1997年7月からの計画的なアジア通貨危機)の後、慎重な財政運営をしなさいというIMFの教えを丸のみした。
その後、アジア諸国が貯めこんだお金は、
浪費癖のある西側諸国が借り出し(ほとんどゼロ金利の日本円)、
貧乏な国々でのバクチ金融商品や、高い金利の住宅ローンに投入した。
そして、世界にサブプライムローンと債務担保証券(CDO)を ばら撒く ことになった。
金融の屋根が崩れ始めてから丸3年経った。
もちろん、欧州の大半の人は、抑制の利かない英米流資本主義に危機の責任があると考えた。
ではこの間、何か変わったのか?
答えはほとんど何も変わっていない。
結局、ふたを開けてみれば、自国の(政府)機関も完全に共謀していたことに気づかされる羽目になる。
ゴールドマン・サックスの上層部はかつて、プライベートジェットだけでなく一定の名声も得ていた。
神の仕事をするバンカー(Banker - 銀行経営者、銀行員)たちは今、輝かしい社会的地位を失った。
それでもバンカーは、スーツケースに詰め込んで家に持ち帰る現金は減ったにせよ、今年の稼ぎは過去最高になりそうだと話している。
だが、このバクチで、その他すべての人に降りかかった苦難を考えると、世間的な不名誉など、小さな代償にすぎない。
言うまでもなく、増税や、お粗末になった公共サービス、失業者の増加を通じて、一般家庭が、このツケを払っているのである。
国際市場は、政治指導者が、市場を適切に監視する能力は言うまでもなく、現状の金融市場の危機を理解する能力のはるか先を行っている。
グローバルな経済統合に、政治的な統治が後れを取っている状況は、我々の大部分が3年前より貧しくなったという点を除けば、3年の月日が経っても、状況は当時とほとんど何も変わっていない。
今も金融市場がすべてを支配している。
このことの危険さを、お分かりだろうか?
厚生労働省の中央最低賃金審議会が8月5日、2010年度の地域別最低賃金(時給)について、全国平均で15円引き上げというチマチマした話で、最低賃金は728円になる見通しだ。
日本の最低賃金は、先進主要国のなかでもきわめて異常に低い。
日本では、年収が200万円以下の「ワーキングプア」(働く貧困層)が1000万人を超えている。
OECDの調査によると、日本では貧困層の8割が働いており、各国平均の63%に比べても異常に高い「ワーキングプア大国」というべき状態になっている。
“国際標準”を無視して低賃金を押し付け、資本蓄積に励む資本の壁を、労働者階級が、乗り越えられないでいるからだ。
高度経済成長時代の企業社会で、正規労働者である夫の稼ぎを補填する妻や、学生のパート・アルバイト労働を想定していたからである。
失業率が低く、相対的過剰人口が問題化していない経済構造のもとでは、それで間に合ってきた。
日本は地域ごとに格差をつけ、根拠のないランク付けしている国である。
欧州など先進諸国のほとんどでは、全国一律の最賃制度である。
現在の全国平均時給713円という最低賃金が728円になっても、まともに働いて最低限の生活が維持できる水準でないことは明らかで、最低限の生活ができない最低賃金は、最低賃金でない。
日本では、こんな当たり前のことも認めようとしない資本の横暴が罷り通っている国なのだ。
最低賃金1000円以上は、先進主要国では当たり前である。
膨大な低賃金・不安定就業層によって形成された「過剰人口プール」が、現代日本の低賃金(ワーキングプア)構造となっているもとで、労働者の賃金低下を押しとどめる「底上げ」としての最低賃金の大幅引き上げは喫緊の課題である。
大企業の内部留保は、1999年度からの10年間で209.9兆円から428.7兆円へと倍加した。
2002年から07年までの5年間にわたる“いざなぎ景気”超えのときには、グローバル企業は過去最高益を更新し続ける一方で、賃金の切り下げ、非正規労働者の解雇など、労働者の犠牲と下請単価切り下げなどによる中小企業への犠牲転嫁を続けた。
最低賃金を引き上げると、中小零細企業が苦境に陥るとよく言われる。
確かに、中小企業に対する適切な助成措置が必要である。
助成措置にはお金がかかるだろう。
この原資をどこから持ってきたら良いのか。
それは、低い最低賃金によって大きな利益を得たところが出すべきだろう。
正規労働者に代え、低賃金の非正規労働を大量に採用することでコストダウンを図り、内部留保を拡大してきたグローバル大企業こそ、この間の低賃金政策の最大の受益者だからだ。
日本国民の多くは、バブル経済崩壊後、平成4年秋以降、景気循環が「10年間にわたる大不況期」に入っていたなか、 「清貧の思想」に取り付かれていたうえに「政治改革」という風潮に流されていた。
しかも平成14年秋から「10年間の好況期」に戻っていたにもかかわらず、小泉純一郎政権は、機動的な「景気対策」を打ち出すどころか、 「構造改革」のみにうつつを抜かして、国民生活の向上を疎かにしてしまった。
その結果、どのような副作用に苦しめられるようになったか。
毎年3万2000人もの自殺者、
2万4000人に上るホームレス、
さらには、リストラ、派遣切り、
あるいは家族間の殺し合い、
子殺し、無差別殺人、
その果てに100歳以上高齢者の行方不明など
日本列島は、地獄絵図を現出している。
この元凶は、何なのか。
年間所得200万円以下世帯1000という数字が示しているように、一言で言えば、 「貧困なる経済政策」、言い換えれば「経済無策」にある。
福沢諭吉が名著「学問ノススメ」のなかで「愚民の上に苛き政府あり」と述べているように、愚民の罪は計り知れない。
マスメディアが早朝から深夜にかけてバカの一つ覚えの如く「政治とカネ」と喧伝し続けているのに惑わされ、「政治とカネ」と呪文を唱え、叫んでいれば景気がよくなると思い込んでいるフシがあるが、そんなことで、景気は一向によくならない。
景気は、「カネと土地」を動かさなければ、上向いてこない。
「カネと土地」を動かせるのは、残念ながら財務官僚ではない。
いまの日本では、「小沢一郎という政治家」ただ一人である。
小沢前幹事長は、国際金融機関はもとより、国内の金融証券保険機関に対する政治力により「カネ」を動かし、田中角栄元首相・中曽根康弘元首相・竹下登元首相・金丸信副総理から連綿とつながる土木・建設・不動産業界、そして鉄鋼業界の「マンパワー」を総がかり動かせる政治家なのである。
ここ16年間、まともな「景気政策」を打ち出さず、「財政再建」を優先し、増税にしがみつく「財政政策」に固執し、歴代政府をがんじがらめにしてきた現代の宦官と言うべき財務官僚の罪は、万死に値する。
国会議員の罪は、さらに重い。
<愚民の上に苛き政府あり>
西洋の諺に愚民の上に苛き政府ありとはこの事なり。
こは政府の苛きにあらず、愚民の自ら招く災いなり。
愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。
故に今我日本國においても此人民ありて此政治あるなり。
日本の政治がダメなのは、「愚民の自ら招く災い」なのだ。
<田中角栄の遺言、官僚栄えて国滅ぶ>
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