きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

衆議院総選挙は「政権選択の選挙」である

 

 

共産含む野党共闘威力を知らしめる
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2021/10/post-ca79ff.html

日本国憲法前文は次のように始まる。

日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、(中略)主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。


これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。

日本の主権者は国民。

国民が正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する。

国政は国民の厳粛な信託によるもの。

国政の権威は国民に由来し、国政の権力は国民の代表者がこれを行使し、国政の福利は国民がこれを享受する。

主権者である国民にとってもっとも大切な権利の行使機会が選挙である。

衆議院総選挙が10月31日に投票日を迎える。

すべての国民は主権者として選挙に参加し、国政のあり方を決定しなければならない。

衆議院総選挙後に召集される特別国会では召集とともに内閣が総辞職し、他のすべての案件に先だって内閣総理大臣が選出される。

選出された内閣総理大臣国務大臣を指名して内閣が組織される。

行政権は内閣に属する。

私たちの生活に直結する行政を行う体制はこのようにして定められる。

この意味で衆議院総選挙の意味は何よりも重い。

選挙の前に政党は政権の構想を示す。

その構想を踏まえて主権者である国民が投票を行う。

この意味で衆議院総選挙は「政権選択の選挙」である。

主権者にとっての悩みは、選べる選択肢のなかから選ばねばならないこと。

提示されたメニューのなかからしか選べない。

しかも、最終的に実現する政権はただひとつ。

自分の選んだ政権の体制が実現するとは限らない。

内閣総理大臣の指名は国会のなかの選挙で行われる。

国会での投票で最多の得票を得た者が内閣総理大臣に就任する。

通常は国会の過半数議席を獲得した勢力の意向が内閣総理大臣指名選挙の結果に反映される。

したがって、主権者が望ましい政権を誕生させるためには、支持する政治勢力が国会の過半数議席を獲得することが必要になる。

これを実現して初めて、自分が望む政権が樹立されることになる。

悩ましいのは、それぞれの個人が望む政権選択のメニューが示されるとは限らないこと。

「帯に短し、たすきに長し」の選択肢しか提示されないこともある。

しかし、だからと言って投票の権利を放棄してしまえば、主権者としての権利は意味を失う。

選ぶことのできる選択肢のなかから「最善」を選んで投票するしかない。

権利の行使は極めて大切なこと。

自公は自公政権の維持を目指して行動する。

問題は自公政治の刷新を求める主権者の行動。

本来は、野党第一党立憲民主党が、基本政策を共有する政治勢力による大同団結を実現するためにリーダーシップを発揮するべきだ。

ところが、立憲民主党がこの役割を十分に果たしていない。

共産党を含む野党共闘確立が日本政治刷新の条件だが、この方向に動いていない。

立憲民主党枝野幸男氏は「国民民主党と連合と共闘し」、「共産党社民党、れいわとは共闘しない」と発言している。

したがって、共産党を含む政治刷新勢力による政権樹立を目指す主権者は立憲民主党を全面支援できない。

「政策連合」(オールジャパン平和と共生)は、基本政策を共有し、共産党を含む野党共闘の構築を訴えてきたが、残念ながら立憲民主党がこの要請に十分こたえていない。

このなかで共産党が一方的な譲歩を示して多くの選挙区で候補者一本化を実現した。

この功績は極めて大きい。


このことを踏まえて「政策連合」は今回の衆議院総選挙に対して、以下の対応方針を提唱する。

1.野党統一候補を擁立した選挙区ではその統一候補を支援する。

2.野党候補者を一本化できなかった選挙区では、共産党社民党・れいわ新選組(候補者擁立順)、立憲民主党の順序でただ一人の候補者への投票集中を呼びかける。

3.維新および国民民主党候補者は支援しない。

4.一本化された候補者が国民民主党候補者である場合は自主投票とする。


この方針で対応することとする。