きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

アメリカの敵と戦わせる「代理戦争」 1

 

 

 

 

アメリカの代理戦争と緩衝国家の安全保障――琉球列島のトリップワイヤー化を問う 東京外国語大学教授・伊勢崎賢治
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/25331

「台湾有事」を想定したミサイル基地化が進む沖縄県宮古島市で10日、「琉球弧を平和の緩衝地帯に」と題し、東京外国語大学教授(紛争予防・平和構築学)の伊勢崎賢治氏を講師に招いた講演会が開かれた。

 

主催は、ブルーインパルス飛行NO! 下地島宮古空港軍事利用反対実行委員会。

 

約200人が参加した講演会で、伊勢崎氏は、国連職員として赴いた各地の紛争地域での停戦調停やアフガニスタン武装解除に携わった経験から、ウクライナ情勢が日本に突きつける問題を指摘。

 

また大国同士の戦争によって真っ先に戦場になる運命にある「緩衝国家」であることを意識し、ボーダーランド(国境地帯)」をあえて武装化して戦争回避のための信頼醸成の要にする国防戦略の選択肢について、世界各国の事例をまじえながら提起した。

 

講演内容を紹介する。(文責・編集部)

この77年間、日本は幸か不幸か戦争を身近に感じてこなかった。

 

本当は感じなければいけない。

 

なぜなら世界で一番人を殺す国はアメリカ合衆国だ。

 

ロシアではない。

 

われわれは、そのアメリカを体内に置いているわけだ。

 

この責任を日本人は真っ先に感じなければならないのに、まだ対岸の火事と考える人が多い。
 

一番怖いのは、政治はそれを必ず利用するということだ。

 

「もしわれわれに向かってあの敵が襲って来たらどうするのか」ということで、「だから軍備増強だ」となる。

 

これは歴史上何回もくり返されてきた不可避的な動きだが、これに対していかに抵抗し、食い止めるかについて、僕なりの考えを提供したい。

まず我が家のファミリーヒストリーから話したい。

 

僕は親1人、子1人の母子家庭だったのだが、3年前にその母が98歳で亡くなった。



これは母が17歳のときの【写真】だ。

 

撮影されたのは戦前、場所はサイパン

 

伊勢崎家はもともと八丈島小笠原諸島)の島流しの家系だが、戦前の南方政策で、国策として一族郎党すべてサイパンに移住した。

 

そこには女学校もあり、強大な日本人コミュニティがあった。

 

沖縄からもたくさん人が入っており、母は戦争体験は語らなかったが、沖縄の人との交流はよく口にしていた。
 

戦争が始まり、ここに米軍が攻めてくる。

 

追い詰められた住民に対して、米軍は拡声器で「投降せよ」と呼びかけたが、住民は応じなかった。

 

そして断崖絶壁から天皇陛下万歳といって飛び降りた。

 

「バンザイ・クリフ」と呼ばれ、今は観光名所になっている。

 

 

この死のジャンプで伊勢崎家は全滅した。

 

唯一生き残ったのは母と祖母、母の弟だけで、あとは全員死んだ。
 

母は戦争体験を語らないタイプだったが、僕が祖母からよく聞かされた話では、アメリカに捕まれば、男は拷問され殺される。女子はレイプされ、屈辱を受けて殺される。そんな辱めを受けるのならば、天皇陛下のために喜んで死ね」と話し合われ、崖から飛び降りたのだと。

 

一方的な情報を鵜呑みにさせられ、それを自分の意志として死を選ぶ――「死の忖度」だ。

 

これが国民総動員の恐ろしいところだ。

 

祖母によれば、捕虜キャンプでは丁寧に保護され、レイプもなかったという。

ここで問題にしたいのは、国民総動員だ。

 

侵略者があらわれて、軍隊だけでは太刀打ちできない。

 

だから「市民は銃を取れ」といい、銃を取らない女や子どもまで兵站活動のために総動員する。

 

欧州ではパルチザンの歴史があり、市民の抵抗運動は英雄視されたが、現代ではそれは格好いいことではない。

 

そうやって何百万人も殺された第二次世界大戦が終わり、人類は二度とこういうことをくり返さないためにどうするかを考え、国際法という形で禁止行為を定めたのだ。
 

現在の国際人道法(ジュネーブ条約)で一番の御法度は、市民を殺すことだ。

 

もちろん相手国の市民を殺すことも戦争犯罪だが、自国の国民を盾に使うことも戦争犯罪になる。

 

自国の市民を戦闘に巻き込むからだ。

そこで、みなさんによく考えてほしい。

 

今のウクライナ戦争で「市民よ、銃を取れ」といって総動員令を出しているが、その銃はアメリカが供給しているものだ。

 

アメリカの武器供与がなければウクライナは戦えない。

 

そこに市民が動員されている。

 

この戦争を応援できるだろうか? 

 

あの大戦を経験した日本人が。

市民は市民であり、銃を取らないからこそ、国際法で保護される対象になる。

 

その市民が銃を取れば、相手から見たら戦闘員になるから殺せる。

 

このマインドでアメリカは原爆を落としたし、われわれ(日本)も他国を空爆して無差別攻撃した。

 

「敵国に無辜(こ)の市民はいない。みんな戦闘力だから殺せばいい」――無差別攻撃の動機はこうして生まれる。

 

それをやってはならないと国際法はこの70年間で成長してきたのだ。

だが、ウクライナ戦争で世界が変わった。

 

西側諸国は、諸手を挙げてウクライナの戦争を支援する。

 

日本人は憲法九条を持っている。

 

どんな戦争であろうと、たとえ侵略者に立ち向かう戦争であろうとも、双方に歩み寄らせて「もうやめろ」というのが九条の心ではないか。
 

ところが、僕が一刻も早いウクライナ戦争の停戦を求め、ロシア研究者の和田春樹先生(東京大学名誉教授)たちと学者グループを作って声明を出し、国連への働きかけを始めると、いわゆるリベラル九条派と呼ばれる人たちからプーチンの味方をしている」といわれる。

 

一体、九条主義とは何なのだろうか?
 

政治が歴史的に利用するのが「悪魔化」だ。

 

 

第一次世界大戦のとき、アーサー・ポンソンビー卿という英国議員が、『戦時の嘘』(戦争プロパガンダ10の法則)という本を書いた。

 

権力が戦争を起こすとき、もしくは戦争を継続させたいときにつく嘘(プロパガンダには法則がある。

 

それは現在に至るすべての戦争に当てはまる。

①「われわれは戦争はしたくない」、

②「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」――

ウクライナ戦争は、今年2月24日に突然、宇宙から火星人が攻めてきたかの如く始まったものではない。

ウクライナは2014年から8年間ずっと内戦状態であり、その延長として今の戦争がある。

侵略は許されないことだが、そこには理由がある。

その理由について考えさせない。

③「敵の指導者は悪魔のような人間だ」――

プーチンだけが悪魔化されている。

プーチンだけが悪魔か? 

それを非難する側のアメリカはどうか? 

僕が関わったアフガニスタンでは8万人も殺し、イラクでは20万人だ。

死者の数だけで比べることはできない。

だが、ロシアの侵攻を問題にするのなら、大量破壊兵器の所在を偽装してまでイラクへの侵攻を正当化したアメリと相対化されるべきだ。

だが、そのように相対的に悪魔を見ようとするだけでプーチンの味方をしている」といわれる。
 

僕を攻撃する人たちは、プーチンだけを「絶対悪」「抜きんでた悪魔」と見せたいのだが、それは日本にとっても好都合なわけだ。

 

軍備増強のために。

 

それにリベラル護憲派と称する人たちも乗っかっていると言わざるを得ない。

④「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」――

使命とは何か? 自由と民主主義? その自由と民主主義のためにNATOアメリカが20年戦った顛末について後述する。

⑤「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」、

⑥「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」、

⑦「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」――

今情報は西側からしか入ってこない。

ロシア側からの情報は完全にシャットアウト。

情報統制だ。

それに異議を唱えるメディアがない。

おそらく第二次世界大戦もこんな状態だったのだろうが、僕は65年生きてきて、こんな状態を目の当たりにするのは初めてだ。

まして日本で。

⑧「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」、

⑨「われわれの大義は神聖なものである」、

⑩「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」――

悪魔を相対的に見るというだけでも「裏切り者」扱いされる。

ロシアを外交的に利するかもしれないという政治的思惑を優先し、非力な被害住民の側の視点に誰も立とうとしない。

「悪魔」があらわれるたびに「この悪魔はこれまでの悪魔とは違う」という理屈で、これがくり返され続けるのだ。


 


・冷戦終焉後のNATO 自分探しの30年
 

ウクライナ情勢について考えるうえで、まずNATO北大西洋条約機構)について考える。

 

僕は実務家として、この米国を頂点とする欧州の軍事同盟であるNATOと嫌というほど付き合ってきた。

 

だから平和運動をやっている皆さんから見れば、その意味で僕は「あちら側(軍事組織の中)」の人間だ。

その僕が目撃した冷戦後のNATOは、「自分探しの30年」だ。

 

NATOは冷戦のために生まれた軍事同盟であり、本来なら冷戦が終われば解消するのが筋だが、それをしなかった。

 

冷戦が終わり、ソ連という敵がいなくなったのに「なぜ自分たちはいるのだろう?」という自分探しだ。

 

その最後の20年に自分は付き合った。
 

NATOの軍事同盟としての性格は、次のNATO憲章第五条(集団防衛)にあらわされる。

「欧州又は北米における一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなす。締約国は、武力攻撃が行われたときは、国連憲章の認める個別的又は集団的自衛権を行使して、北大西洋地域の安全を回復し及び維持するために必要と認める行動(兵力の使用を含む)を個別的及び共同して直ちにとることにより、攻撃を受けた締約国を援助する」

つまり、一人が狙われたら全員への攻撃と見なして、みんなで戦うという軍事同盟だ。

 

ではNATOがそのように全員で戦ったことがあるのかといえば、実は一度しかない。

 

数カ国だけの有志同盟で戦うことはあっても、みんなで戦ったのは一度きり。

 

それが9・11テロ後、20年続いたアフガニスタン戦争だ。

冷戦時に形成された東西陣営の境界は、この30年で大きく東(ロシア側)に移動している【地図参照】。

 

NATOの東方拡大だ。

 

プーチンが開戦時にNATOは東方不拡大の約束を破っている」と主張して物議を醸した。

 

開戦当初、日本のメディアでも盛んに取り上げられ、専門家の多くは「それは嘘だ。そんな約束はなかった」と声高に主張した。
 

だが、この約束が確かに存在していたことは、アメリカの公文書を調べれば自明のことだ。

 

ソ連崩壊前の1989年、ベルリンの壁が崩壊する。

 

そこで西側の首脳たちは、みずからペレストロイカを発動して西側陣営に接近したゴルバチョフソ連内の強硬派の攻撃から守るために何度も会合を開き、彼が円滑に改革を実行できるようにNATOはこれ以上ロシア側に拡大しない」という約束を何度もやっている。

 

ジョージ・ワシントン大学のナショナル・セキュリティーアーカイブには、そのときの公電記録(外交議事録)が残っている。

ただし、この約束は、外交文書として交わされていない口約束であり、外交的拘束力があるとはいえない。

 

だが、プーチンがまったくの嘘を言っているということにはならない。

 

ちなみに、そこではNATOの発展的解消についても約束されている。

 

軍事同盟ではなく、ロシアを含む欧州・ユーラシアすべてが加わった平和的な政治フォーラムに改変させるというビジョンまで語られていた記録が残っている。

・供与兵器が戦争再生産 アフガニスタン
 

ソ連崩壊前の1979年、ソ連アフガニスタンに侵攻した。

 

西側のわれわれはこれを侵略と非難し、日本を含めてモスクワ五輪(1980年)をボイコットしたことは記憶にあるだろう。

侵略行為は、ソ連も加盟する国連憲章において最も重い大罪だ。

 

だが当時のソ連にとって、これは侵略ではなく、国連憲章51条で固有の権利として認める「集団的自衛権の行使」――つまり、友好国が窮地に陥って助けを求めており、助けに行かなければ自分自身もやられる。

 

だから国際法に則った正当な武力行使であり侵略ではない、というのが当時のソ連の見解だ。

アフガニスタンは、その以前からいくつもの軍閥による戦乱の世が続いていた。

 

軍閥とは、多様な民族で構成されるアフガンにおいて各民族のドンのような存在で、大きなものでは1万以上の兵員を抱える武装組織だ。

 

これを最初に統一したのが社会主義政権だった。

 

それが気にくわない軍閥たちが政権を攻撃し、劣勢になった政権はモスクワ(ソ連)に助けを求め、モスクワはこれを集団的自衛権行使の好機と捉えて武力行使に踏み切ったのだ。

このときソ連軍と戦ったアフガン人たちは、ムジャヒディーン(イスラム聖戦士)を名乗り、この戦争を「赤い悪魔(共産主義)に対する聖戦」とみなして勇猛果敢に戦った。

 

当時これを応援したのが、サウジアラビアなどの金満王国、そしてNATO、とくに米国が大量の武器を供与した。

戦況を変えたのがスティンガーミサイル(携帯式ミサイル)だ。

 

これによってソ連軍機は次々撃ち落とされ、10年間戦ってついにソ連は撤退する。

 

アメリカ軍は戦闘に参加しないが、有効に戦える武器を与え、アメリカの敵と戦わせる――

 

これを学術的には「代理戦争」という。

今のウクライナ戦争と一体何が違うだろうか?

 

今回ロシアが侵攻した理由も集団的自衛権だ。

 

つまり、2014年から8年間続くウクライナ東部のドンバス地方で、ロシア語を話す親ロシア派住民たちがウクライナ政府から迫害され、言語を剥ぎ取られ、独立を求めており、ロシアの助けを求めているという理由で、プーチンはこれを戦争ではなく「特別軍事作戦」といって軍事侵攻した。

 

40年前とまったく同じ構図だ。
 

40年前の代理戦争は、アメリカが供与した武器が功を奏してムジャヒディーンが勝ち、しかもその10年後にはソ連邦が崩壊した。

 

代理戦争の数少ない成功事例だ。

なぜこれを代理戦争と呼ぶのに、ウクライナ戦争は代理戦争と呼ばないのか。

 

それは今懸命に戦っているウクライナの人々を侮蔑することではない。

 

だが仕組みは同じなのに肌の色が違うだけで、一方を代理戦争といい、一方をそうではないという。

 

これを「レイシズム(人種差別)」という。

とくに平和を求める人々は、このウクライナ戦争をアメリカによる代理戦争」であると明確に捉えなければならない。

 

なぜならこの戦争を止められるのはアメリカだからだ。

 

バイデンがプーチンに電話一本かければ済む。

 

アメリカは武器の供与をやめる。だから、今ある軍事境界線で我慢しろ」と。

 

それだけでいい。

 

そうしなければ終わらない。

 

それとも10年間、アフガンのように戦わせることが本望だとでもいうのだろうか。

このときアフガンでアメリカが支援した軍閥たちは、ソ連撤退後、今度は主導権をめぐって軍閥同士で内戦を始める。

 

これによってアフガンは、ソ連侵攻時にも増して荒廃の一途を辿る。

 

そこで登場したのが、タリバン創始者ムッラー・オマール師だ。

 

つまりタリバンは、強大な軍閥たちが内戦に明け暮れ、荒廃した国を立て直すための「世直し運動」として生まれたものだ。

また、このアフガン戦争は、アルカイダ設立者のオサマ・ビン・ラディンも生み出した。

 

アメリカの支援を受けてソ連と戦った彼は、その後、その武器を使ってアメリカに牙を剥く。

 

その後、僕は小泉政権から頼まれて政府代表としてアフガンに赴き、彼らを説得し、武器を回収する武装解除の任務を負うわけだが、そのとき回収した武器はすべて冷戦時代のものだった。

供与された武器は、次の戦争を再生産する。

 

今回、ウクライナに供与された大量の高性能兵器が、その後一体どうなるのか――その使い道は誰もモニターできない。

 

アメリカと付き合ってきた僕には断言できる。

 

それでもこの戦争を応援できるだろうか?