きなこのブログ

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雨宮副総裁が辞退で日銀新総裁に植田和男氏 2

日銀サプライズ人事の評価
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2023/02/post-f823c6.html

日銀の次期総裁、副総裁人事に関する情報が報道された。

総裁に東京大学名誉教授の植田和男氏、副総裁に前金融庁長官の氷見野良三氏、日銀理事の内田真一氏が起用される方向にあると報じられた。

日経新聞は日銀の雨宮正佳副総裁に総裁就任が打診されたと報じていたが、雨宮総裁が流れて植田総裁が誕生する見込み。

新聞辞令が排除されて人事案が差し替えになった感も強い。

日経新聞に雨宮総裁案を潰す狙いがあったのかどうか。

重要人事に関する情報の取り扱いには特別の対応が必要になる。

結論から示せば、今回の幹部人事は適正である。

植田和男氏の起用はサプライズ。

事前に気配はなかった。

植田和男氏は金融政策運営の詳細にも通じるエキスパートである。

植田氏は1998年から2005年にかけて日銀審議委員を務めている。

日銀法改定以後の日銀政策決定に深く関与してきた。

植田氏は総裁就任内定が報じられた後にメディアインタビューを受けて黒田日銀の金融緩和政策を維持する方針を示唆した。

この対応は市場への影響を十分に踏まえたもの。

植田氏起用報道を受けて為替市場では日本円が上昇する反応が見られていた。

しかし、植田氏の発言を受けて円は反落した。

日銀トップの発言が金融市場にどのような影響を与えるのかを知悉(ちしつ)している。

私は1985年から1987年にかけて丸2年間、大蔵省財政金融研究所で植田和男氏と同室で仕事をさせていただいた。

85年から86年にかけての私の任務は売上税導入に向けて、大型間接税を導入した場合の経済効果算出だった。

中曽根内閣が大型間接税導入を計画していた。

そのための理論武装と経済効果試算を財政金融研究所が担当した。

このときに大型間接税導入に向けての世論操作プロジェクトもスタートした。

TPRと呼ばれるプロジェクト。

TPRはTaxのPRという意味。

政界、財界、学界3000名リストが制作され、この全員を説得するプロジェクトが実施された。

詳細については機会を改めて記述する。

結局、中曽根内閣は大型間接税導入を断念した。

このことにより大型間接税導入の経済効果算出プロジェクトは終焉した。

1986~87年に私の任務となったのが短期金融市場における日銀政策の分析である。

もとより、私の担当専門分野は財政金融政策だった。

この時期に集中して取り組んだのが日銀の金融政策オペレーションに関する研究である。

このプロジェクトにおいて指導をいただき、共同で論文を執筆した上官が植田和男氏だった。

植田和男氏は1985年から87年まで大蔵省財政金融研究所主任研究官を務めた。

私は財政金融研究所研究官だった。

このときの研究成果の一部が「短期金融市場における金融政策」と題する論文にまとめられ、東京大学出版会から刊行された

『現代経済学研究』(鬼塚雄丞岩井克人編著、1988年)

 

 

に所収された。

短期金融市場における日銀の金融調節の詳細について分析した論文である。

丸2年間、同室で職務に携わり、植田和男氏の研究を間近で拝見させていただいた。

日銀審議委員を8年も務められており金融政策運営の表も裏も精通されている。

2月9日付掲載記事

『インフレ誘導がそもそもの誤り』

 

 

『次期日銀総裁の責務』

 


に1999年から2000年にかけての日銀金融政策運営について記述した。

2000年4月に速水優総裁がゼロ金利政策解除に言及し、8月に解除を強行した。

私は日銀のゼロ金利政策解除が時期尚早であるとして強く反対した。

このときの日銀政策決定会合でゼロ金利政策解除に反対票を投じたのが植田和男氏である。

植田和男氏の日銀総裁への起用は適正人事であると評価できる。

 

 


TPRとKBK
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2023/02/post-a0c862.html

昨日言及したTPRについての事実関係を記述する。

1985年から1987年、私は大蔵省の財政金融研究所で大蔵事務官、大蔵省研究官として勤務した。

その丸2年間、植田和男氏と同室で仕事をした。

定員4名の広くはない研究部別室での勤務。

2年目の研究課題は短期金融市場における日銀の金融政策オペレーションだった。

主任研究官として在籍した植田和男氏と共同研究に携わらせていただいた。

1年目の主要任務は税制改革の経済効果試算。

中曽根内閣が大型間接税導入を検討していた。

税制改革を実施したときにどのような影響が生じるかについての政府試算を担当した。

マクロ計量モデルを作成し、経済効果の分析を行った。

背景に、大型間接税導入に向け、財政金融研究所においてTPRプロジェクトが発足したことがある。

TPRはTaxのPRのこと。

PRと表現すると聞こえが悪くないが、実態は世論操作、世論誘導活動だった。

当時、大蔵省内でKBKという符丁が用いられた。

KBKとは「課税ベースが広い間接税」のこと。

大型間接税を導入する目論見があり、これをKBKと称した。

TPRはKBKを導入するための世論操作活動。

財政金融研究所研究部が事務局を担当することになった。

大臣官房企画官がTPR担当に任ぜられた。

当時の大臣官房調査企画課の参事官が黒田東彦氏だった。

私が担当した経済効果試算は研究部の課長補佐を経由して黒田参事官に報告され、大蔵省の見解が取りまとめられた。

私も黒田参事官に何度も説明に伺った。

TPRの主要業務は世論誘導と世論監視。

政界、財界、学界3000人リストが作成された。

大蔵省職員が手分けして約3000人に対する説得工作を実施した。

事務局の財政金融研究所研究部が3000人リスト=電話帳の管理を行った。

B4サイズの電話帳に五十音順の名簿が作成され、各人の列に日付と応接録内容を記載する欄が設けられた。

KBK導入に賛同を得られるまで「説明」が繰り返された。

了承を得られれば当該人物に対する「ご説明」=「説得」は完了する。

賛同を得られなければ一階級上の大蔵省職員が説得に伺う。

網羅的に有識者に対するローラー作戦が展開された。

主要メディア幹部を集めての「説明会」も開催された。

築地吉兆なども「ご説明」の場として利用された。

電話帳管理と並行して「TPRウィークーリー」と題する取りまとめも行われた。

新聞、テレビ、雑誌におけるKBK関連の各人発言が精密にチェックされた。

とりわけ重点的な精査が行われたのがKBKに反対意見を提示する者のウォッチである。

KBKに反対する識者をリストアップし、いわゆるブラックリストが作成された。

このときのKBK=大型間接税導入は失敗に終わった。

中曽根首相が総選挙前に「投網をかけるような大型間接税は導入しない」と発言したことが強く影響した。

最大の決定打になったのは「政策構想フォーラム」が発表した売上税導入の影響分析調査結果だった。

民間シンクタンクの「政策構想フォーラム」が所得階層別の影響についての分析結果を公表した。

このとき提示されていたのは売上税を導入し、他方で所得税法人税を減税するという増減税同額方式だった。

レベニューニュートラル(歳入額不変)の前庭が置かれた。

調査結果は所得階層別に見て中間所得者層以下の階層で負担増になることを示した。

この調査結果を朝日新聞が大きく取り上げ、一気に大型間接税導入に対する反対意見が強まった。

結局、売上税導入は断念に追い込まれた。