きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

悪魔の遺伝子操作 ~エイズウイルスとコロナ・ワクチン製造所~

【3085】生物化学兵器であるコロナ・ワクチンと、その先輩のエイズ・ウイルスの製造者の画像を載せる。
https://snsi.jp/bbs/page-1/

コロナ・ワクチンという、アメリカが製造した、大量の人殺し用の生物化学兵器(bio chemical weapon  バイオ・ケミカル・ウエポン ) を、日本国民に、半ば、強制的に打った(接種した、国民の8割、9割かも))ことについての 画像資料(パワーポイント)を、まず11枚載せる。

このコロナ・ワクチンの大量培養をやった(2018年頃だろう)アメリカの米陸軍基地内の生物研究所である、フォート・デトリックという研究所の 外観の画像を載せる。

このフォートデトリックの生物兵器製造所で、その40年前の 1979年に、エイズウイルスHIV ヒト免疫不全ウイルス )も製造されたのである。
そのあとで、ロバート・ギャロ Robert Gallo  ( 86歳で、存命) というアメリカの生物、遺伝子学者 が、エイズウイルスを作ったのだが、この、人類にとっての、大犯罪者の顔写真と、経歴を載せる。
 


その際に、私、副島隆彦が、2009年に 雑誌に書いた評論文の上に載せた一枚の写真を載せる。
このロバート・ギャロ と一緒に、リュック・モンタニエというフランス人の、パスツール研究所のウイルス学者が、写っている、貴重な写真だ。 国際エイズ学会 が、横浜で開かれた時の写真だ。 まるで、仲良しの研究者仲間のようにしている。だが、モンタニエの方は、大(だい)悪人ではなくて、 このエイズウイルス(HIV) を、世界で初めて分離(すなわち、発見)した 学者で、彼が、2008年に、その業績で、ノーベル生理学物理学賞を受賞した。

恐るべきことに、この「エイズ菌を開発・製造した、ロバート・ギャロは、「私が、発見者だ」と、1984年に、リュック・モンタニエと、激しく争ったのだ。 「あんたは、エイズ菌の製造者であって、発見者ではありません」 という、笑い話を通り越す、恐ろし世界だ。

副島隆彦です。 私は、今日は、私のコロナウイルスや、エイズ菌についての考えは、もう書かない。以下の講演資料と、写真(画像)たちを、皆さんに、じっと見て、真剣に、持て貰うことにする。本当に、真剣に、一枚、一枚を読みなさい。そして、自分の頭(知能、思考力 =mind マインド、= thinking  ability  スインキング・アビリティ)を酷使して、一所懸命に 考えなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ザ・フナイ誌」2009年2月号  ここに写っている ロバート・ギャロ(右)が、1978年に、エイズ・ウイルスを製造した。 

隣りのリュック・モンタニエ博士(パスツール研究所)(左)は、そのエイズ・ウイルスの 発見者として、2008年の、ノーベル医学生理学賞を受賞した。
モンタニエは、スウエーデンの王宮でのノーベル賞の授賞式に欠席することで抗議の意思を表明した。 

極悪人と善人のふたりが、日本の横浜で開かれた、1994年8月8日の「国際エイズ会議」に出席した時の記念すべき写真である。

この、ロバート・ギャロという人類にとっての大犯罪者の顔を、私たちは、こうして見ることが出来る。

 

 

(ウィキペヂアの説明文)  

ロバート・ギャロ(Robert Charles Gallo, 1937年3月23日 – )は、アメリカ合衆国のウイルス学者である。

ヒト免疫不全ウイルス(HIV)が、後天性免疫不全症候群を引き起こす要因であることを発見し、血液検査によるHIV検査方法を開発したことで知られている。

来歴 

メリーランド大学教授、アメリカ国立がん研究所所属。コネチカット州ウォーターバリー出身。
1963年、トーマス・ジェファーソン大学で医学博士号取得した。

1976年、インターロイキン-2というT細胞増殖因子を発見した。

1980年には、セザリー症候群に罹患したカリブ海の黒人から、のちにヒトTリンパ好性ウイルス(HTLV-2)と命名されるレトロウイルスを分離した[1]。

1986年、 ヒトヘルペスウイルス6(HHV-6)を発見した[2]。
1984年以降、HIVの発見をめぐり、パスツール研究所のリュック・モンタニエと激しく争ったことが知られている。

後に両者が共に発見者であるとして政治決着したが、ノーベル生理学・医学賞の受賞はならなかった(2008年にモンタニエが受賞)。

主な受賞歴  1982年 アルバート・ラスカー基礎医学研究賞
1983年 レオポルド・グリフエル賞
1985年 ディクソン賞医学部門
1986年 ラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞
1987年 ガードナー国際賞
1988年 日本国際賞[3]
1990年 カール・ラントシュタイナー記念賞
1997年 ウォーレン・アルパート財団賞
1999年 パウル・エールリヒ&ルートヴィヒ・ダルムシュテッター賞
2000年 アストゥリアス皇太子賞 学術・技術研究部門
2009年 ダン・デイヴィッド賞

自伝 『ウイルスハンティング―エイズウイルスとの邂逅』 山口一成 訳、羊土社 1993年 ISBN 978-4-89706600-4
脚注 ^ 成人T細胞白血病HTLV発見物語(前編)日本学術振興会

(ロバート・ギャロの説明文終わり)


 

『悪魔の遺伝子操作』ヤコブ ゼーガル (著), リリー ゼーガル (著) 徳間書店 1992年刊。 

原著は、” The Origin of Aides  ,1989 “  「ザ・オリジン・オブ・エイズ」(1989年)である。

この本の重要性については、今日は、何も書かない。
この本の中に、ロバート・ギャロが、どのようにして、エイズ・ウイルスを製造したかが、克明に書かれている。   

副島隆彦