自民党政権は、過去3回の政府危機・政治危機をなんとか乗り切ってきた。
今回は過去3回よりも危機は深刻だ。
このとき自民党は宇野宗佑首相を直ちに辞職させ、総裁選を実施し、若いクリーンイメージの海部俊樹を総裁・総理にし、さらに若い小沢一郎を幹事長にして党のイメージを一新した上で、公明、民社両党を取り込み「自公民体制」を構築して乗り切った。
第二の危機が1993年夏の細川非自民連立内閣の成立によって、政権を失ったとき。
このときが自民党史上の最大の危機だった。
細川内閣が衆院解散をしなかったことで自民党は救われ、復活できた。
自民党内の仕掛人たちが考えたことは、細川政権の実力者の小沢一郎新生党代表幹事と村山富市社会党委員長を分断し、社会党を細川連立体制から離脱させ自民党側に取り込むことだった。
そのためなら一時期村山を首相にしてよいと考えた。
莫大な金が動いたといわれた。
数カ月の努力が実を結んで、1994年春、細川連立与党は分裂した。
村山社会党委員長は首相になった。
自民党は政権に復帰した。
社会党取り込み作戦は成功したのである。
橋本龍太郎首相は直ちに辞任し、総裁選を実施して党のイメージチェンジを図った。
選挙の結果、小渕恵三氏が総裁・総理に就任。
直ちに連立内閣づくりに入った。
次の第二段階で公明党が参加し「自自公連立」となった。
第三段階で、自由党を切り「自公2党連立体制」に移行した。
その後、自公連立体制は、森、小泉、安倍(清和会=統一教会)の3代の内閣を支えてきた。
自公連立によって自民党は立ち直った。
ここに至って、自民党には、新たに組むべき勢力も一本釣りを試みる勢力も存在しない。
安倍首相がテロ特措法延長問題での11月解散、12月総選挙に失敗すれば、即退陣だろう。