きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

サブプライム問題を見抜けなかった理由 2

レーガン政権発足当時、ロックフェラーと深い関係を持つシカゴ大学の経済学部には、フランク・ナイト・ジェイコブ・ブァイナーという自由主義思想を持つ教授が在籍していた。

 

彼に強く影響を受け、現在の新自由主義の礎を築いたのが、ミルトン・フリードマンだ。

フリードマンの掲げた原則は、「競争している市場は安定している」「競争市場は常に公平だ」というもの。

 

しかし、60年代、70年代当時の経済学の主流を占めていたのは、政府が積極的に市場の振幅をコントロールしていくべきだというケインズ学派だった。

ケインズ学派は、資本家が優位な力で思いのままに市場を利用することを政府が規制し、不況時には財政投資や公共事業によって雇用を確保すべきだと説く。

 

さらに、高額所得者には高い税率を課す厳密な累進課税によって社会福祉を充実させ、富裕層から貧者への富の再分配を行うことを経済政策の柱に据えていた。

ところが、フリードマンペコラ委員会が原因を究明したあの恐慌を、「政府の通貨政策の失敗が引き起こしたものだ」と主張した。

 

彼は自著『資本主義と自由』を通じて持論を展開し、アメリカ経済学会の注目を集める。

そのなかで、フリードマンは、政府が市場に介入することや、累進課税による再分配を批判する。

 

いわく、ある免税点を超えた所得に対する均一の課税が、個人所得税にとって最良の形だと主張した。

70年代、高い所得税に苦しんでいた富裕層がこの主張に賛同し始める。

 

この時期、アメリカはベトナム戦争の影響から財政が悪化。

 

インフレ率と失業率がともに上昇し、企業家、一般市民から政府の経済政策の失敗を追及する声が高まっていた。

そんななか、ホワイトハウスの主流派であったケインズ派の経済学者の打ち出す政策は、インフレ率を抑え込むことにも、失業率を下げることにも失敗しており、その信頼感は揺らいでいた。

 

そしてフリードマン新自由主義がクローズアップされていった。

とりわけ「市場の自由に任せる」というその理論は、自由と個人の責任を尊ぶアメリカ人の気質にも合致し、次第に大きな支持を集めるようになっていった。

 

そして81年、政権を取ったロナウドレーガン大統領はフリードマン自由主義を政策に取り入れ、さまざまな規制緩和を行っていくことになる。

【その結果、60年代までの会社社長の平均給料額は社員の20倍程度に抑えられ、アメリカンドリームは健全に機能していた。

それが今では人口の1%の人々にアメリカの総資産の40%近くが集中している。
加えて、男性労働者の給与水準は1973年をピークに下がり続けている。

まさに行きすぎた自由主義が、必要な規制をも規制緩和することによって一部の富める者がより富みを増していった。】

 

今のどこかの国とそっくりだ。(>_<)

その過程で、グラス・スティーガル法をはじめ、証券法、証券取引所法の規制も徐々に緩和されていった。

 

特にコンピュータの発達とともに登場した新たな金融商品の存在は規制緩和を行う理由の一つとされ、FRBは一部の銀行に特例を認める形で、徐々に「自由」を広げていった。

こうして、アメリカは実体経済とは違う夢を追い始めたのだ。