彼に強く影響を受け、現在の新自由主義の礎を築いたのが、ミルトン・フリードマンだ。
フリードマンの掲げた原則は、 「競争している市場は安定している」「競争市場は常に公平だ」というもの。
フリードマンの掲げた原則は、 「競争している市場は安定している」「競争市場は常に公平だ」というもの。
しかし、60年代、70年代当時の経済学の主流を占めていたのは、政府が積極的に市場の振幅をコントロールしていくべきだというケインズ学派だった。
ケインズ学派は、資本家が優位な力で思いのままに市場を利用することを政府が規制し、不況時には財政投資や公共事業によって雇用を確保すべきだと説く。
ケインズ学派は、資本家が優位な力で思いのままに市場を利用することを政府が規制し、不況時には財政投資や公共事業によって雇用を確保すべきだと説く。
さらに、高額所得者には高い税率を課す厳密な累進課税によって社会福祉を充実させ、富裕層から貧者への富の再分配を行うことを経済政策の柱に据えていた。
ところが、スリードマンはペコラ委員会が原因を究明したあの恐慌を、「政府の通貨政策の失敗が引き起こしたものだ」と主張した。
ところが、スリードマンはペコラ委員会が原因を究明したあの恐慌を、「政府の通貨政策の失敗が引き起こしたものだ」と主張した。
インフレ率と失業率がともに上昇し、企業家、一般市民から政府の経済政策の失敗を追及する声が高まっていた。
そんななか、ホワイトハウスの主流派であったケインズ派の経済学者の打ち出す政策は、インフレ率を抑え込むことにも、失業率を下げることにも失敗しており、その信頼感は揺らいでいた。
そんななか、ホワイトハウスの主流派であったケインズ派の経済学者の打ち出す政策は、インフレ率を抑え込むことにも、失業率を下げることにも失敗しており、その信頼感は揺らいでいた。
そしてフリードマンの新自由主義がクローズアップされていった。
とりわけ「市場の自由に任せる」というその理論は、自由と個人の責任を尊ぶアメリカ人の気質にも合致し、次第に大きな支持を集めるようになっていった。
とりわけ「市場の自由に任せる」というその理論は、自由と個人の責任を尊ぶアメリカ人の気質にも合致し、次第に大きな支持を集めるようになっていった。
そして81年、政権を取ったロナウド・レーガン大統領はフリードマンの自由主義を政策に取り入れ、さまざまな規制緩和を行っていくことになる。
【その結果、60年代までの会社社長の平均給料額は社員の20倍程度に抑えられ、アメリカンドリームは健全に機能していた。
【その結果、60年代までの会社社長の平均給料額は社員の20倍程度に抑えられ、アメリカンドリームは健全に機能していた。
今の日本とそっくりだ。
その過程で、グラス・スティーガル法をはじめ、証券法、証券取引所法の規制も徐々に緩和されていった。
その過程で、グラス・スティーガル法をはじめ、証券法、証券取引所法の規制も徐々に緩和されていった。