きなこのブログ

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巨大金融資本の手先がアルゼンチン大統領に就任

米英金融資本の中核、ブラックロックの影響下にある人物がアルゼンチン大統領に
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202312160000/

アルゼンチンでは12月10日、ハビエル・ミレイが大統領に就任、アメリカの巨大資本と連携して新自由主義的な政策を推進していくと見られている。

 

 

 

大学で経済学者のために数学を教えていた人物だが、それ以上に注目されているのは年金会社、マクシマAFJPの主任エコノミストだったという経歴だ。

​マクシマAFJPの発行済み株式のうち40%を所有しているのはニューヨーク生命保険が発行する個人向けの変額年金保険(NYLアドバンテージ)​だが、

https://www.sec.gov/Archives/edgar/data/934298/000095012311103963/y91682nv4.htm

 

ニューヨーク生命の取締役にバーバラ・ノビックが2021年10月から加わっている。

 

 

 

ノビックは世界最大の資産運用会社であるブラックロックの共同創業者で、ブラックロックはバンガードやステート・ストリートをなどと同様、銀行のような規制は受けない金融機関、いわゆる「闇の銀行」だ。

 

この3社が大株主になっている会社はアメリカの主要500社の9割に近いという。

 

こうしたことから、ミレイは巨大金融資本の手先だとみなされている。

 

彼は素早くBRICSへの加盟申請を取り下げた。

 

今後、新自由主義的な政策を進めると見られている。

こうした展開はウクライナでも見られた。

 

2004年11月にウクライナでは大統領選挙があり、西側から自立してロシアとの関係を重視するビクトル・ヤヌコビッチ当選した。

 

 

そこで西側の支配層は配下のメディアを使い、「不正選挙だった」という宣伝を始め、ヤヌコビッチを引き摺り下ろす。

 

いわゆるオレンジ革命である。

 

この当時、ウクライナ駐在アメリカ大使はジョン・E・ハーブスト

 

 

この人物がオレンジ革命の指揮者だと見られている。

オレンジ革命で西側が支援していたビクトル・ユシチェンコは1993年から国立ウクライナ銀行の会長を務めていた人物。

 

1998年に再婚したカテリーナ・チュマチェンコアメリカで生まれている。

 


カテリーナの両親は1956年にアメリカへ移住、61年に本人はシカゴで生まれ、87年にはフロリダ州へ移り住んだ。

 

その後、彼女は国務省へ入り、次官補の特別アシスタントを経験、ロナルド・レーガン政権ではホワイトハウスジョージ・H・W・ブッシュ政権では財務省で働いている。

 

 

ウクライナが独立を宣言した後、米国ウクライナ基金の代表としてウクライナへ渡った。

 

カテリーナがウクライナ国籍を取得したのは2005年、ヤヌコビッチが当選した選挙の翌年だ。

オレンジ革命の最中、ユシチェンコの顔に異常が現れ、原因はダイオキシンだという話が広まった。

 

ユシチェンコ側は2004年9月5日、イホル・スメシコ治安局長やウォロジミール・サチュク副局長と食事をしたときに毒を盛られたのだと言い張る。

この件に関し、イギリスやオランダの医師がダイオキシンが原因だと主張していたが、​実際に治療したウィーンの病院で主任医療部長だったロタール・ビッケはそうした説を否定している。

 

2度診察したが、毒を盛られた証拠は見つからなかったという​。

​ビッケによると、病院の監督委員会から文書で主張を撤回するように要求された。

 

しかも英語なまりの人物から電話があり、「気をつけろ、おまえの命は危険にさらされている」と脅迫されたと語っている​。

 

 

その後、ビッケは病院を解雇された。

​2009年にはスイスとウクライナの研究者がユシチェンコの血清から通常の5万倍のTCDD(ダイオキシンの一種で、ベトナム戦争アメリカ軍が使った枯れ葉剤の中にも含まれていた)を検出したとランセットで発表​したが、

https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(09)60912-0/fulltext

 

最初からこれだけのダイオキシンが含まれていれば、すぐにわかったはずだ。

結局、ユシチェンコが大統領に就任するが、新自由主義に基づく政策を推進ボリス・エリツィン時代のロシアと同じように一部の人間が不公正な手段で資産を形成し、庶民は貧困化した。

 

そこでヤヌコビッチは2010年の大統領選挙で当選

 

再びアメリカ政府はヤヌコビッチを排除しようとする。

 

今度はネオ・ナチを使い、クーデターで倒した。

2013年11月からキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で抗議集会が始まるが、当初は「カーニバル」的なイベントにすぎず、問題はないように見えた。

 

様相が一変するのは年明け後。

 

ネオ・ナチが前面に出てきたのだ。

ネオ・ナチのメンバーはチェーン、ナイフ、棍棒を手に石や火炎瓶を投げ、トラクターやトラックを持ち出してくる。

 

 

ピストルやライフルを撃っている様子を撮影した映像がインターネット上に流れた。

ユーロマイダンでは2月中旬から無差別の狙撃が始まり、抗議活動の参加者も警官隊も狙われた。

 

 

西側ではこの狙撃はヤヌコビッチ政権が実行したと宣伝されたが、2月25日にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相はその翌日、逆のことを報告している。

 

バイデン政権を後ろ盾とするネオ・ナチが周辺国の兵士の協力を得て実行したということだ。

7割以上の有権者がヤヌコビッチを支持していたウクライナの東部や南部では反クーデターの機運が高まり、クーデターから間もない3月16日にはクリミアでロシアへの加盟の是非を問う住民投票が実施された。

 

投票率は80%を超え、95%以上が賛成する。

その一方、オデッサでは反クーデター派の住民がネオ・ナチに虐殺される。

 

そうした中、5月11日にドネツクとルガンスクでも住民投票が実施された。

 

ドネツク自治を、またルガンスクは独立の是非が問われたのだが、

ドネツクでは89%が自治に賛成投票率75%)、

ルガンスクでは96%が独立に賛成投票率75%)している。

 

この結果を受けて両地域の住民はロシア政府の支援を求めたが、ロシア政府は動かない。

 

そして戦闘が始まった。

 

クリミアやドンバス(ドネツクとルガンスク)を制圧できなかったのはアメリカ/NATOにとって大きな誤算だった。

 

 

 

アルゼンチンの新大統領、ミレイアメリカとの関係緊密化を主張、ネオコンが仕掛けたウクライナでの内戦でロシアと敵対する姿勢を見せているが、すでにウクライナアメリカはロシアに敗北している。

 

ネオコンがロシアと同じように敵視している中国との関係も悪化させる政策を進めると見られている。

ロシアと中国を中核とするBRICSアルゼンチンは参加する予定だったが、ミレイの勝利を受け、BRICSへの加盟申請を取り下げた。

 

自国の通貨を放棄、ドル体制に入るつもりのようだが、すでにドルは崩壊し始めている。

 

アルゼンチンに利権を持つブラックロック、そしてその背後の金融資本にとって、ロシアや中国とのビジネスが軌道に乗ることは悪夢だったと言われている。

 

 

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