きなこのブログ

大失業時代が到来しています。大失業の恐ろしさを歴史から学ばなければならない。『大失業は戦争への道につながっている』

コンプラドール 3 ~次の天皇は愛子さま~

[3326]次の天皇は、愛子(あいこ)さまである。愛子天皇で決まりだ。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/

愛子さまが、次の天皇になるだろう。日本の国家体制として、このように決まったようだ。
「愛子天皇待望論」が、昨年末、12月から沸き起こっている。岸田内閣の意向が裏にある。

私、副島隆彦も、「現天皇の長子で長女である 愛子(この人たちには、名字、姓がない)が次の天皇になる」で、いいと思う。いやあ、実にめでたい。めでたいことだ。
日本国として、大いに寿(ことほ)ぐべきことだ。

天皇の直系には、何とかの宮という呼び名もないので、天皇家の愛子」と呼ぶのが正しい、ということになる。キング・ジョン(ジョン王)、ヘンリー7世、王女メアリーとか、女王(クイーン)エリザベス と同じで、国王の名は、ファースト・ネイムで呼び捨てにするのが、ヨーロッパの伝統である。日本はこれに倣(なら)う。



ちょっと鼻が団子鼻で、鼻ぺちゃで、オカメ顔だが、丸々とふくよかな、お多福(おたふく)顔が、いかにも、日本人族の代表の立派な顔立ちをしている。一重(ひとえ)のすっとした細い目も日本人だ。お祖母(ばあ)さん(美智子上皇后)に似て、もう少し美人に育つかな、と、皆で期待したが、まあ、これぐらいでも、きれい、綺麗な日本女性だ。  

母親の雅子(まさこ)皇后にもそっくりで、どっしりとした、ぽちゃを通り越した、堂々たる長い団子鼻だ。口元も雅子皇后にそっくりだ。父親の徳仁(なるひと)天皇にもそっくりで、ゆったりとした笑顔をしている。血統も、遺伝子もきちんと直接、直接、上皇明仁(あきひと)天皇を受け継いでいる。

私が、明仁(あきひと)とか徳仁(なるひと)天皇と、尊号をつけずに書いたり、今上天皇(きんじょうてんのう)と書かないのは、不敬で、誤用の文だ、と言う者がいる。馬鹿を言うな。
明仁天皇は、諡号(しごう)、おくり名 であって、辞(いな)み、 イナミ、緯(この漢字の、言弁)だから、まだ生きている上皇に対して使ってはいけない、と、私、副島隆彦に、自分の知識をひけらかして、言ってくる者がいたら、私は即座に蹴倒す。その、お前の古式ゆかしい教養などは、もう、とっくに滅んだのだ。

今頃、天皇家への最高尊敬語など使う必要はない。陛下も、殿下も、猊下(げいか)も閣下も要らない。全部、使う必要はない。今や死んだ言葉だ。日本の大新聞たちも、この40年間で、天皇陛下、と書かないで、ただ、すっきりと天皇 とだけ書くようになった。

人間は皆、平等だ。日本人族の、劣性の表れである、ヘンな奇形の民族語である敬語はもう使わない方がいい。やたらと難しいヘンな敬語は、なるべく廃止すべきだ。誰も正しい丁寧語の使い方なんか、もう出来ない。やっていない。学校時代に、勉強ができなかった者たちが、わざと敬語を使おうとすると、全部、使い方が間違っているから、却(かえ)って恥をかく。

それでも、わざと旧式の雅語(がご)や、旧文の擬古文(ぎこぶん)の送り仮名を使い続けようとする、バカ右翼のヘンな男( 産経の「正論」とかの右翼言論誌の読者たち)が一時、居たが、もうこいつらも消えてしまった。日本語は、なるべく、すっきりと簡潔に平叙体で書くのがいい。

だいたい、国語学者というバカたちが、敬語を、謙譲語(けんじょうご)と尊敬語と丁寧語の3つに分けて、私たちに教えた。高校時代の国語の教科書に載っていた。ところが、敬語をこの3つに分けることは厳密には出来ないのだ。尊敬語か丁寧語化の区別などつかない。「目上の者に遜(へりくだ)ってい言うコトバが謙譲語だ」など、根拠はない。

国語審議会という体制派の威張り腐った国語学者という愚劣な学者たちの、理論やら論文やらは大間違いで、あちこち綻(ほころ)びが出て破綻した。その責任を取ろうともしない。恥を互いに掻きあったまま静かに消えていった、。

このようにして、女性天皇女系天皇を絶対に認めないと、この20年間、ずっといきりたって騒いできた、日本のバカ右翼、国粋主義者たち の大きな敗北だ。 


安倍晋三と、三浦瑠璃(みうらるり)たち、統一教会(Moonie ムーニー。本当の真実の反日人間たち)たちは、自分が天皇制翼賛(よくさん)右翼のふり をしながら、本当は、徹底した今の天皇家ぎらいの、反(はん)日本の奇怪な宗教集団だ。

だが、日本の反共右翼で、自分では、伝統重視主義者だと、言い張っているジジイ(爺)たちが、どんどん死んで、もうほとんど残っていない。

だから、私、副島隆彦が、一切の敬語を 天皇家に対して使わないで、平常の文体で書いても、もう私に向かって「お前の反天皇の言論 は、不敬(ふけい)だ」と言って、私を攻撃する者も、もういなくなった。いいことだ。不敬罪(ふけいざい)という刑事犯は、77年前の日本の敗戦で、刑法典の中から削除され、廃止された。だから、今の日本国には、不敬罪というのは存在しない。 だが、天皇家への不敬(ふけい)は有る、と、バカ右翼たちは、もともと頭の悪い、学校の勉強が出来なかった低能(ていのう)たちであるから、思い込んでいる。

第2次大戦は、連合国側から、悪者、悪人の国家にされて、大きく騙されて嵌(は)められた、日、独、伊の3国(the Axis ジ・アクシス。枢軸国=すうじくこく=と言う)が戦った。そして大敗北した。



この時、世界基準で、ヒトラームッソリーニヒロヒト (の世界の3大悪人)」 呼ばれた。天皇裕仁(ひろひと)が、昭和天皇であるが、このように、戦争中も、その後の敗戦の後も、世界中ではずっとヒトラームッソリーニヒロヒトと 戦勝国側である圧倒的に多数の国々で言われたのだ。それでは、まずいなあ、と日本国内でだけは、それを、勝手に変更して、ヒトラームッソリーニ、トウジョー(東条英機大将、首相)」という呼び方に変えた。

昭和天皇を、裕仁天皇と、皆が平気で呼べるように、私たち日本人は、ならなくてはいけない。天皇に対する、ヘンな気の使い方や、遠慮やくだらない遜(へりくだ)った、下人(げにん)が這いつくばったような、ことば遣いは、もう、全廃にすべきだ。もうこのことに文句を言うような、偏屈(へんくつ)じじいたちは、死んでしまって、いなくなった。

この右翼ジジイたちは、本当は、自分は戦場で戦っていない、生き方上手の、ズルい臆病者たちだったのだ。いろいろ調べて分かった。

 

私、副島隆彦は、日本の ごく普通の、平民(へいみん)の立場と感情から、天皇天皇家についての自分の考えを、さらさらと書いてゆく。ただし、私が所属する佐賀の副島の家は、尊王(そんのう)の家系である。

昨年10月30日の総選挙に自民党が勝って、11月7日から岸田政権になった。岸田首相は、前の安倍晋三たちのような反共右翼で気色の悪い宗教団体の考えをとらない。だから、じわっと女性天皇を認める、という立場に変わった。岸田政権が続く間に、皇室典範(こうしつてんぱん)を改正できるか、はまだ分からない。

現在の憲法は、男女の平等(憲法24条。両性の平等)を定めているから、「天皇は男しかなれない」という現行の皇室典範は、憲法違反である。このような解釈を、内閣法制局は、すでにしているはずなのだ。だが、この内閣法制局の判断は、隠されていて、時期が来るまで公表しない、ということになっているようだ。

これは嘘(うそ)ではない、真実の国民調査で、「女性の天皇でいい」という数字は、つねに80パーセントを超えつづけている。この日本国民の圧倒的な多数意思を、愚劣な反対派が押しつぶすことが出来るわけがない。

だが、岸田に、そこまで一気にやりきる力はないだろう。むくつけき生来の右翼体質のごろつき人間たちが、まだまだ500万人ぐらいいる。だから、岸田は、不用意に「女性、女系天皇を認める」の法律改正の議論を、自民党内で簡単に始められないだろう。岸田は、優柔不断に決まっている。それでも、与野党合わせて、先を急いでいるように見える。

皇室典範は、敗戦で憲法明治憲法大日本帝国憲法)を始め法律体系が大きく変わったときに普通の法律になった。だから、この法律を国会で多数決で、改正、変更して、今の1条の「皇統は男系の男子が継ぐ」という文字を変更して、「女性および女系の皇統も認める」とかに、改正すればそれで済むことだ。

12月1日に 愛子内親王(ないしんのう)は、儀式上の成人(20歳)になった。この時が、愛子の、大きなお披露目(ひろめ)となった。上記の写真は、実に堂々と、「次の天皇になる人はこの人だ」の、日本国民への公式の宣言だ、と受け止めることができる。日本の国家体制は、着々と次の天皇を愛子にする、で動き出している。

愛子はもう20歳(2001年12月1日生まれ)だからすぐに結婚の話が出て来る。愛子が、今から20年後ぐらいに 女帝になる(父親の徳仁=なるひと=天皇が、死去するか天皇定年(笑い)で退位したら)。
そのずっと前に、結婚をする相手を決めなければいけない。相手を、皇族の血を引く者にして、旧皇族らしき男を養子にして婚姻を結ぶ、ということにしようとしている。

そのように宮内庁皇室会議は動いている。相手の男が、旧皇族マッカーサー占領軍が、皇族から枝払いして廃止にした。いいことだ) の出であるなら、それで、男系天皇の血が繋(つな)がるから、それで妥協して、それなら愛子天皇を認めてやる、という風に、伝統重視主義の保守派の男たちは、すでに納得したのだろう。だが、そのように愛子自身が、承諾して、妥協して、うまく運ぶか分からない。天皇家も普通の人間だから、好き嫌いがあって、かつ、自分の体調や、軽度の頭の病気の問題もある。

私は、これまでの20年間ですでに3本、天皇家の継承の問題について、論文を書いている。一本は、「雅子妃の頭のご病気問題について」である。もう一本は、「カルト・オブ・ヤスクニ(靖国)に怒った昭和天皇天皇が、戦犯合祀を誰よりも一番嫌って、1978年以後、靖国参拝をやめたのだ」論だ。そのうち、ここの学問道場にも載せよう。私の天皇論を、ここで細かく書くことはしない。すでにかなりのことを書いている。

昨年まで、3年間ぐらい、天皇の弟の 秋篠宮(あきしののみや)の長女の眞子(まこ)内親王の結婚のことで、ドタバタした。コロナ、ワクチン騒ぎもなんのその、皇室の結婚問題になったら、大騒ぎになって、眞子が、小室圭(こむろけい)という大学時代の友人を好きになって、その小室の家が、釣り合いの取れない下賤の出のように、書かれ続けて、それで、天皇家は、散々に週刊誌とテレビで描かれて「大変な目に遭った」と自分たちでは思っている。 

しかし、そこは日本の体制の頂点にいる人たちだから、眞子と小室の結婚の報告の儀式(ぎしき。リチュアル ritual ライト rite )に仕立てて、最後は上手に乗り切った(11月26日)。 内親王(女の皇族)が、結婚によって民間人に天下ることを、臣籍降嫁(しんせきこうか)と言って、それで、完全にその女子は皇族から離れる。眞子は、3億円ぐらいを嫁入りの経費として貰っただろう。このあとは、NY のリトルイタリー地区の、ワーフ(桟橋)近くの小ぎれいな高層アパートで暮らして警護の者がそれとなくずっと付くのだろう。
 

眞子の芯(しん)の強さが、最後の勝利を勝ち取った。あれほどに、さんざん悪口を書かれても、秋篠宮家は団結して、誹謗中傷に耐えて、乗り切った。見事だった。天皇両陛下への眞子だけの婚姻の報告の儀式があって、その後の記者会見で、小室圭が、ぼーっとではあるが、堂々と、「私は、眞子さんを愛しています」と言った。この瞬間に、日本国民は、一斉に和(なご)やかになった。これで、全国の女たちが、少女も、若い女も、主婦も、老婆たちも「ああ、これが人間の幸せなんだー」と思った。女たちは、この時、眞子を許した。
 

あれほど身分が違う、とか、なんなヘンな男を選んで、とか、眞子の悪口を、それこそ、朝から晩まで言い続けた、性格の悪い女たちは、数百万人いるだろうが、口を噤(つぐ)んだ。 以後、一切、小室圭と妻の眞子の悪口を言わなくなった。自分の非を、今は、ひとりづつ静かに認めているだろう。

もうひとつのシーンは、ご一家の別れの様子で、東宮御所の一角にある秋篠宮邸の玄関で、妹の佳子(かこ)と、姉妹の柔らかい抱擁(ハグ)をしたときの映像を見て、この家族愛にため息が出て、日本全国で、この立派な「娘が嫁入りして、実家を出て行くときの儀式」を見て、日本国民は大きく承諾した。これで眞子の大勝利となった。



美智子上后が、言ったという。眞子は自分の初孫である。「あの子は、本当に芯の強い子です。立派に自分の意思を貫きました。本当に賢い子です。どんな妨害も負けないで、自分の人生を自分で切り開くことをしました。彼女なら女の天皇にもなれたでしょう」というような内容の発言をしたと伝わっている。

皇族の女 という、日本の特権階級の頂点の家に生まれて、そのことの異常な堅ぐるしさを、自分の強い意思で打ち破って、小室という、男の世界から見たら、あまり強そうに見えない、ちょっと優男(やさおとこ)風の、軽めの男を、一旦、死ぬほど好きになったのだから。その愛を成就(じょうじゅ)されてあげればいいのだ、と、私は、ずっと思っていた。

古い因習や格式を、かなぐり捨てて臣籍降下(しんせきこうか)かつ降嫁(こうか)していった。眞子はこれで平民となった。結婚した後、眞子は、NYに旅たつ時に、長い髪を下におろして、普通の女性として普段着で行動した。立派だった。

平民の出だ、と、旧華族のババア(婆)たち( 旧華族どもの霞山会=かざんかい= と 常磐会=ときわかい= 学習院を握っている旧華族ども) から、さんざんいじめられた、正田美智子は、自分の実家の日清製粉(にっしんせいふん)が、戦争前に、中国に工場を持っていたので、「上海夫人」とか、「粉屋の娘」と、嘲(あざけ)られて、正田家も大変な苦労をした。今回の眞子さま事件は、あの時とは違う、その逆で、皇室から平民になってゆくドラマだった。

ちなみに、旧姓、正田美智子さまの 母親は、旧姓、副島富美子(そえじまふみこ)さんで、佐賀の副島氏の出で、私、副島隆彦もその遠い血縁だ。私の父は、美智子の皇太子妃へのご成婚が決まる前に、警察から一族の調査があったとき、宮城(きゅうじょう。皇居のこと)の方角に向かって遥拝(ようはい)して、「我が一族から天皇家に迎えられる人が出た」と感激していたそうだ。この話を私の姉から聞いた。

私の父は、最後の海軍で、敗戦は岡崎の海軍軍医見習い学校で迎えた。父の自筆の履歴書に残っている。酔っぱらうと、私に「隆彦。あの戦争は日本国民みんなで戦ったんだ」と言っていた。私の父(1923年、大正12年生。関東大震災の年)は、当時のごく普通の愛国青年だった。右翼ではなかった。戦争で自分の死を覚悟した世代だ。終戦の年に22歳だ。

このようにして秋篠宮家の長女が、大騒ぎの後、きちんと片付いた。そのあとに愛子さまの満を持しての、ご登場であった。 

 

秋篠宮

皇位継承者としては、皇太子になった。これもヘンなことである。安倍晋三たち馬鹿者たちが強要してやったことだ。簡素な立太子式でいいと、秋篠宮は嫌がっていた。秋篠宮夫婦も、安倍晋三たち右翼連中をひどく嫌った。

日本の右翼たちは、秋篠宮の長男の悠仁=ひさひと=親王を、何が何でも天皇にする、という狂った策動を続けた。新しい女の宮家を作るべきだとか、訳のわからない謀略をたくさん仕掛けた。だが、今やそれらはすべて敗れた。だから、愛子でもいいよ、と不貞腐れながら、この君側の奸(かん)どもは、今、全国で鬱屈している。 「天皇は、何が何でも、男でなければいけないんだー」と喚(わめ)き続けた者たちが負けた。何が、「男がもつ「 Y 染色体」を続けなければ」だ。馬鹿どもめが )
と妻の紀子(きこ)は、私たちはこんなにイジメられるのなら、もう皇族から離れたい、という考えまで言ったと伝えられた。

 

同じ時、イギリス王室も大騒ぎだった、ヘンリー(ハリー)王子と、アメリカ人の黒人女のメイガン妃ケリーの結婚の問題と類似している、と皆、思った。
黒人女のメイガンが、でしゃばるものだから、白人の保守派の人々の怒りを買った。生まれた子供の肌の色が、あんなに真っ白のわけない、と騒がれた。エリザべス女王は、この子を祝福しなかった。しかし、それでも、本当に大悪魔の集団である英国王室から、命からがら脱出して、無事、逃亡することが出来たので、ハリーとメイガンは、勝利したのだ。ヘンリーのお母さんの、故ダイアナ妃のことも・・・ある。

もう世界は、王族とか、大貴族とかの時代ではない。もう、こういう制度を止めにすべきなのだ。と、言っても、すぐにできることではないから、国王制度(キングダム。モナーキーmonarchy )を少しずつ、やめにして廃止する方向にむかうべきだ。現に、今、世界は、とくにヨーロッパは、本当に王政を廃止(アバンダン、アボリシュ)する方向に向かっている。

王様と貴族制度を無くした政治体制のことを、共和政(共和制も同じ。republic リパブリック)と言う。たったこの一行を、日本の知識階級の者たちでも知らない。恐るべきアホたちの国だ。「共和政(リパブリック)とは、王様のいない国のこどだ」と、以後、しっかり覚えなさい。日本人は、敗戦後、皆、大きく洗脳されたままなのだ。

王政を廃止する。いや、そんなわけにはゆかない。長い伝統の王室を廃止するような、政治的な動乱は、好ましくない。という考えが、日本国民の中に、じわーっとしっかりと根付いている。だから、今の天皇制は、このまま続くだろう。
しかし、考え方によったら、100年後には憲法が改正されて、体制変更が起きて、憲法が変わって、今の天皇制は国家制度の中から取り除かれる時代が来る。何事も、永遠に今のまま変わらない、ということはない。

言っておくが、日本の天皇は、国王である。皇帝ではない。日本は、帝国(エンパイア)ではないから、皇帝はいない。日本は、王国(キングダム kingdom )であって、その頂点に国王を置いている国である。そして、その内側が、かなり、接合面が悪くて、ギクシャクするが、民主政(デモクラシー)になっている。

このように、日本は、王政と、民主政が、2重の入れ子構造になっている、いびつな国だ。この大きな真実を、私、副島隆彦以外は、誰も指摘しない。私は、このことの研究もしてすでに論文にしている。

日本国は、外側は、王政の、王国なのである。諸外国の、世界中の外国人たちから見たら、日本は、タイ国や、サウジアラビア国 と同じ、国王のいる王国、君主制国なのだ。ところが、、その内側が、民主政になっている、おかしな2重構造の国なのだ。

だから、女子中学生が、母親に向かって、「いいなあ。私も、眞子様のような、あんな、きれいなドレスを着たい。どうして、あの人たちだけ特別なの? 」と、 聞く。
母親は、「そんなことを言っていけません。世の中は、そうなっているの。特別な人たちがいるものなのよ」 娘 「でも、学校では、人間は皆、平等だ、と教えるよ」と反論する。

だから天皇家を嫌う、リベラル派の女たちが、「どうして、眞子に、結婚するときに、何億円も国のお金をあげるのよ。腹が立つ」となる。女は、カネのことにうるさい。

デモクラシー(民主政。代議制民主政体。平民たちの代表者が権力を握る体制。 ✖ 民主主義という訳語は間違い。デーモス・クラティーア demos – cratiea は、主義ではない )は、共和政よりも、ヨーロッパで、その200年後に現れた政治体制だ。人類史に、初めて完全に民主政(かつ、共和政)が実現したのは、1776年独立宣言のアメリカ合衆国だ。アメリカは、英国王の支配を否定して、大統領(選挙で選ばれた指導者)の下に結集する民主国家となった。

日本が、形の上だけでも、民主政(これを、本当は、デモクラタイゼイションと言う)になったのは、ほんの77年前の敗戦のあとの、新憲法体制のときだ(1946年公布)。この新憲法の1条で、天皇を、国民統合の象徴(シンボル)だと、決めた。

この今の憲法体制を、いくら安倍晋三たちが、改正して徴兵令を憲法の中に入れたくて、あがいて策動しても、簡単には出来ない。日本は、戦争が出来る正常な国になるべきだ、という考えは、危険であり、大きなダマシだ。

安倍晋三たちの、邪悪な憲法改正の策動に乗ってはいけない。

天皇は、日本国民の団結の象徴である、という考えで、このあとも、日本国民は、動いてゆく。天皇がいてくれたほうが、日本民族は一致団結して、国難に立ち向かえる、という素朴な、しかし強固な民族感情の上になりたっている。これを壊す必要はない。

日本の天皇家は、戦後は、ヨーロッパ各国の愚劣で、国民の評判が悪い王政国家とは違う。イギリス国王の藩屏(はんぺい)で、あるスウエーデンも、オランダも、ベルギーも、スペインも、国王たちは、ものすごく評判が悪い。

日本は、敗戦後の昭和天皇の深い反省をしっかり受け継いでいるから立派な王室だ。


             慰霊祭の場で、安倍首相を厳しく睨みつける天皇美智子皇后

明仁上皇と、美智子上皇后 が、毎回、壇上の貴賓席から、厳しく睨みつけて、ずっと激しく怒っていたのは、安倍晋三に対してである。 

安倍晋三たちぐらい、天皇家を蔑(ないがし)ろにして、昭和天皇 「日本は、2度と戦争をしない。騙されて、愚かにも、戦争に引きづり込まされた。私は、バカだった」という固い不戦の誓いを、一番、毛嫌いして、一番、今の天皇を憎んでいるのは、安倍晋三たち、統一教会キチガイたちである。

統一教会(帝都ワシントンでも猛威を振るっている)の世界最大の資金源である、笹川財団(英語では、the US -Japan Foundation 、ザ・ユーエス・ジャパン・ファウンデイション)は、朝鮮系の団体だ。 

ドンの笹川良一は、統一教会と同様に朝鮮人である。

このことは韓国、北朝鮮では公然の秘密である。

誰でも知っている。

現在は、日本財団東京財団を名乗っている。

このように、私、副島隆彦が、書くと、ひどい人種差別の人間に私がなってしまうことを私は分かっている。だが、朝鮮人、韓国人を、あれほどに軽蔑して、見下(みくだ)して、チョーセン人、チョン公、嫌韓(けんかん)を言い続けた、日本のバカ右翼、言論人どもに、私は腹の底から怒っている。アジア人どうし尊敬しあって、仲良くしなけばいけない。

だから、私が、「お前たちの大親分の、笹川良一こそは、おまえたちが、大嫌いな、朝鮮人じゃないか。お前たちの頭は、一体、どうなっているんだ。 なあ、橋下徹よ、曽野綾子よ」と、私は、書く。だから、私は、安倍晋三たち、統一教会の バカ右翼たちに、大きなケンカを売る。

もう時間がない。残りを急いで書く。
その前に、日本の天皇制を、明治の初めに、創作したのは、イギリス王室(イギリス国教会 Anglican church アングリカン・チャーチ。聖公会 )だ。

こいつらが、人類の諸悪の根源である、現在の ディープステイト deep stateそのものだ。

ローマ教会(ヴァチカン)と並ぶ、人類の凶悪な、大悪魔たちだ。

今日は、もう詳しくは書かないが、英王室は、「父(パテル、デウス)と、子(フィリウス。イエスのこと)と、聖霊スピリタス)」の、三位一体の、聖霊(ホウリー・スピリット)のところに、英国王を入れた。それが英国国教会(アングリカン・チャーチ)だ。だから、「父と子と英国王」と、三位一体(トリニティ)を作り替えた。つまり英国王は、神の一部、神そのものになったのだ。

そして、それを、明治の初めに、巧妙に、英国が、日本の天皇を創作したときに、同じように、日本の天皇を、現人神(あらひとがみ)にした。この時に、日本の天皇は、生神(いきがみ。living god リヴィング・ゴッド)さま になったのだ。そのように、イギリスが作ったのだ。それまでの日本の天皇は、御門(みかど)、スメラギであり、太陽の子である日嗣(ひつぎ)であり、中国式の天子とは違う天子だ、とされていた。

だから、日本の天皇は、明治の初めに、イギリスによって作られたものだ。この理論を、私はもっと、もっと、これから徹底的に書く。

最後に。 日本の昭和天皇 はじめ、4人の 皇族の 本当の父親は、誰か。
それは、日本国民に嫌われた、極悪人の政治家だった、 山県有朋(やまがたありとも)である。長州閥を作った張本人だ。長州閥(ちょうしゅうばつ)の政治家たちが、現在に至るまで、日本の政治を、本当に悪くした。戦後も、まさしく今に至る、岸信介安倍晋三の血統だ。

長州閥を、今こそ、私たちは、根絶やしにしなければいけない。

昭和天皇以下、すべて4人とも、伊藤博文をハルピンで、自分の日本陸軍の銃殺隊に殺させた(1909年)後、最高権力者になった、山県が、女官や、采女たちに産ませた子だ。 

以下に載せる画像の、写真を、じーっと見なさい。じーっと見たら、誰でもわかる。みんな、そっくりでしょう。


 

大正天皇は、脳膜炎(のうまくえん)の障害者だった。重度の障碍者は、子供を産めない。それなら、昭和天皇以下、誰の子だ、ということになる。このように、私は、何ごとも、はっきり書く。私は、真実以外の何ものも恐れない。真実を書いたことで、殺されることも厭(いと)わない。

私、副島隆彦は、真実の暴き言論の人間である。この世にある、大きな真実しか信じない。文句があるなら、何か言ってきなさい。お前の書いていることは信じられない、ウソだ、でも何でも書いてきなさい。そのお前たちの脳天に、真実の稲妻の炎(ほのお)をくらわしてやる。